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1997年夏・ギデラの健康と栄養

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2017. Last Update on 2017年3月17日 (金) at 03:08:13.

【20】 ダルーからポートモレスビーへ(1997年9月1日月曜〜9月4日木曜)

再びWipimからSun West AviationでDaruへ飛んだ。Daruでは再びLさんの家に居候である。いろいろ電話をしたかったが,郵便局の公衆電話が不調で,仕方ないのでマーケットで買い物をした。Stone fishと呼ばれていた大きな魚をK6.00,大きな菜っぱをK1.00×2束,パイナップル中がK5.00,キュウリとトマトが1個50t(トヤと読む。1 Kina=100 toya)だったので5個ずつ購入。再び郵便局に行ったら電話が通じ,まず日本に掛けてツインpHのセンサー発注を頼み,次にポートモレスビーのグランビルモーテルというホテルに電話して予約確認した(先に帰国した稲岡さんが予約しておいてくれた)。

今年の大渇水は久々であることは確かだが,Daruに出てきてビジネスをしている村人たちと喋っていると,人によって細かいところは違ってくる。1968年以来の大渇水だという人もいれば,1972年以来だという人もいる。まあ過去の4年程度の違いはどうでもいいのだろう。フライ川の上流のKiungaという町でも水不足で,川が浅く狭くなって船が遡上できなくなったので物資も無く,首都から空輸しているという話を聞いた。

ここで今回の調査は終わりなので,缶詰とかキンカンとかいろいろな物をLさんの家に残していくことにしたら,ポロシャツとかビルム(丈夫な紐を編んで作った肩掛け袋)など,いろいろプレゼントを貰ってしまって却って申し訳ないくらいだった。Daru最後の3日水曜夜は,ラム肉と牛肉ソーセージのスープ(たっぷり野菜入り)という豪華な晩餐会となった。本当にあたたかい人たちだ。

4日木曜朝はイングリッシュブレッド(?)と呼ばれるパンにジャムとマーガリン(彼らはバターと呼ぶが本物のバターはDaruでは滅多に入手できない)を塗ったサンドイッチを食べてから空港へ。エアニウギニのポートモレスビー行きは新型Dash8だった。11:45にポートモレスビー着。グランビルモーテルは送迎バス付きのはずだが,それらしいバスは見当たらないので,PMVで6マイルまで移動し,そこから歩いてグランビルに着いた。チェックインした感じでは,実は予約なんて関係ないような気がした。2日分の宿泊の前払いとうことで,K200を払った。ここは1泊K80の筈だが,税などあってデポジットは2日でK200なのだそうだ。1泊K180のGatewayホテルに比べると部屋にタオルがないとか,いろいろ欠点はあるが仕方ないか。村人の話では1泊K39という部屋もあるということだったが,そんな話は知らないと言われた。でもたぶん,村人と外国人ではレートが違うのだと思う。

銀行に行って余ったキナをオーストラリアドルに換えた。K550がA$450になった。Borokoのスーパーでタオルとひげ剃りとコーヒーと果物と消臭芳香剤を買い,中華レストランで昼食をとった後,グランビルに戻ったら部屋に洗いたてのタオルが供されていたので脱力した。タオルを買ったのは早まったな。1ヶ月分のひげ剃りはなかなか凄いことになるのだが,スーパーで買ってきたジレットのセンサーエクセルは優れものだった。

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