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2011年2月ソロモン諸島往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2011. Last Update on 2011年7月11日 (月) at 17:30:01.

【第3日目】 村へ(2011年2月10日)

「Le Ciel」で6:30起床。何だか寝苦しくて良く眠れなかったため,まだ眠い。変な夢をたくさん見た気がする。4時間半は眠っているはずだが,眠りが浅いとダメだ。

Bank of South Pacific (BSP)には,8:30の開店と同時に入ってすぐに日本円TCをソロモンドルに換える手続きはできたのだが,職員が不慣れなので,(2人がかりで応対してくれたのだけれども)50分も取られてしまった。ソロモンドルが昨年9月よりさらに安くなっていて,1 SBDが10円台だった。このまま行くと10円を切ってしまう日も近いかもしれない。

銀行の並びにあるBe-mobileの店で249 SBDでNokiaの本体とSIMカードと1 SBD分の通話とActivationサービス込みで携帯電話を買ってから,NHTRIへ向かう途中の広場にあるKai barでCurry Lottiという野菜カレー入りのフォカッチャのようなもの(12 SBD)とウインナーロール(13 SBD)を買って食べた。朝食としてはボリュームも味もちょうど良かった。

NHTRIに着いたのは9:40頃だった。10時にはFさんが来るはずなので待たせてもらうことにした。D氏が気を遣ってFさんに電話をしてくれたが,切れていてつながらなかった。

さてしかし。例によって,待てど暮らせどFさんは来ないのだった。結局11時頃になって登場した。日曜にずっと入院していた兄弟が亡くなったので,水曜まで親戚一同で眠らずに喪に服していたそうだが,ずっと咳をしていて具合が悪そうなのが気がかりだ。これから一週間の怒涛のスケジュールを乗り切れるのだろうか。ともかく,昨日メモした通り,10時過ぎにD氏とFさんと一緒に保健省へ行って公衆衛生局長に会うことになっていたのだが,キャンセルするしかなくなったのは問題だ。D氏が再度電話してくれて,13:30から14:00の間に時間が取れるかもしれないということだったが,多忙な人なのであまり期待できないようだ。その場合は月曜に会うしかないとのこと。

それで,とりあえずFさんと一緒にレンタカー屋に行ってHiluxを借りようということになったわけだが,これがまた大変だった。かなり前にメールで,今回は人数から言ってもRAV4ではなくてHiluxが必要と連絡しておいたので,当然Fさんもレンタカー屋(PACIFIC CASIO HOTELにあるSupreme Car Rental)に確認済みであろうと思いきや,確認をしようと思っていた矢先に前述のごとく服喪になってしまったため,まったく何も連絡していなかったのだった。ドライバーを紹介してもらう都合(レンタカーの契約時にドライバーの名前などの情報と運転免許が必要)もあって,毎回,レンタカー屋との事前交渉はFさんにやってもらっているのだが,何か別のやり方も検討するべきだと思う。さてSupreme Car Rentalの返事はというと,Hiluxは顧客からの苦情が多くて対応したくなくなったので売り払ってしまったというのだ。RAV4なら用意できるそうだが,日曜に引き上げてくるときなど,絶対にRAV4では乗れる人数が少なすぎる。他のレンタカー屋を当たってみると,Budgetという店には電話で連絡がつき,やはりHiluxはないとの返事だったが,本来はカーディーラーであるEla Motorsでもレンタカーをやっているという情報をつかんだので行ってみることになった。

Ela Motorsでは奥の部屋に通されて丁寧に応対してもらえた。Hiluxどころかランドクルーザーを800 SBD/日で用意できるしデポジットも5,000 SBDでいいよ,という返事で一瞬喜んだのだが,糠喜びであった。つまり,ここは日常業務としてレンタカー屋をやっているわけではないので,車を用意するために15日までかかるというのだ。1週間前に連絡してくれれば何とかなったのに,と散々言われたが,仕方が無い。しかしここで簡単に引き下がるわけにはいかない。何とか土日だけでもHiluxを調達しなくては調査ができないのだ。Supreme Car RentalでダメだったときにFさんがG-Province(ガダルカナル州政府)の保健局に連絡してくれて,土日だけなら貸してくれると言われたのだけれども,マラリア陽性の人の治療のためには月曜も必要だし,Workshopのときも使うと思うので,できれば通して借りたい。それで,Ela Motorsのカウンターで応対してくれていた男性に,ホニアラにレンタカー屋は他にないのかを尋ねてみたら,いつもガソリンを入れている中華街のガソリンスタンド(David Qwan――スペルは嘘かも――という人が経営している)が,専業ではないがレンタカーもやっているはずだから当たってみてはどうかと勧められた。

そこでFさんとともに再びタクシーに乗り,中華街のガソリンスタンドまで行ってみた。カウンターの女性に当たってみたところ,2台あるのだけれども,1台は壊れているし,もう1台は新品なので一日1,000 SBD以上の値段な上に,既に予約が入っているので翌日1日しか貸せないという話だった。実はオーナーの奥さんがFさんの親友だというので,最初に応対に出たレジの女性の木で鼻をくくったような返事よりは随分マシな返事になったのだけれども,無い袖は振れないというやつだ。

これだけ八方手を尽くしてもダメということは,もう本当にダメと考えるしかないので,OK諦めた,こうなったらSupremeでRAV4を1週間借り,それとは別に土日はG-ProvinceからHiluxを借りよう,とFさんに言って,タクシーをSupremeへやってもらった。今度は無事に交渉が成立し,RAV4を1週間使える状況まではもってきた。あとは無事に土曜にG-ProvineのHiluxが来るかどうかだ。

昼飯がまだだが,13:30近かったので,保健省の公衆衛生局長のところに直行し,1時間待ったが,結局会うことはできなかった。時間の無駄だったが仕方がない。かなり遅くなってしまったので,慌ててメンダナホテルに引き返してチェックアウトした。ワークショップで使うプロジェクタだけは,村にもって行きたくなかったのでホテルのカウンターに預け,翌日到着予定の大前先生に渡してくれるように頼んで,他の荷物を全部RAV4に積んで出発したのは15:30頃だったように思う。途中で携帯電話を"Top up"した。"Top up"とは自分の番号を教えて金を渡すと,店が持っている携帯電話の利用可能残額から振り分けてくれるサービスであり,携帯電話が使える場所でありさえすればどこでも可能だし,とくに電話会社と代理店契約などしなくても営業可能な仕組みで,うまくできていると思う。仕組み上,店の携帯電話の利用可能残額までしか契約できないため,その店では15 SBDしか残っていなかったので,15 SBDだけ払った。手数料がかかるので,自分の携帯電話の利用可能残額は12 SBD強しか増えなかったが,別の店に寄る暇もなかったし,それほどホニアラと電話する必要もなかろうと思ったので,それで手を打ったのだった。後になってから,多少時間がかかっても,もっと増額しておくべきだったと後悔したが,このときは,まさかそんな必要が生じるとは思わなかったのだ。

途中1本の小川を突っ切った以外はわりと道は良くて,村に着いたのは17:00頃だったと思う。先行していた石森君がすぐに気付いて出てきてくれたが,いつも家を借りて住ませてもらっている神父CS氏は不在であった(CS氏はセントラル州のツラギという町に家族を連れて赴任中なのだが,家は村にあって,来るたびに開けてもらっている)。今回は何度かメールを送っていたのだが返事が無く,どうしたのだろうと思っていたが,村人の話によると,彼の属する教会に新しい大司教が着任するので,今月20日に歓迎記念式典をすることになっており,その式典の一切を彼が取り仕切らなくてはいけないので,無茶苦茶に忙しいのだそうだ(追記:式典を報じるSolomon Starの記事。これだけ盛大な行事を仕切らねばならないとあれば,確かに健診どころではなかっただろう)。たぶん今回の健診を受けることもできないし,ワークショップにも来られないらしい。鍵を借りることもできなかったので,別の住処を探す必要がある。幸い,2日前に着いた石森君が住ませてもらっている家(本来は何人かの子供たちが眠るだけの家として使われている)には空きスペースがあったので,そこに住ませてもらうことになって一安心……と思いきや,その家は入り口が背よりも高いところにあって,階段を上がらなくては入れないのだが,いきなり一段目を踏み抜いて壊してしまったので,まずはその修復を,そこに眠っている子供たちの祖父であるJC氏がしてくれるまで待つことになった。石森君は壊さずに利用していたわけで,ぼくの体重が重いから悪いのだということで笑いをとってしまった。減量せねば。RAV4には,明日は日本から着く3人を迎えに飛行場に行ってくれることと,土曜は7時にホテルに3人を迎えに行って村に直行するように頼んで帰ってもらった(ガソリン代と日当を含め,翌日分も支払いをした)。

修復後はとくに問題なく利用できたが,蚊帳を張ったり床に敷くマットを借りたりしているうちに暗くなってしまったので,JC氏の家で晩飯(芋を煮たものとコーヒーだけのメニューだったが,実に美味であった)を食べさせてもらった後は,石森君と暫く情報交換をしてから眠った。

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Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.

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