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2011年9月のソロモン諸島及びパプアニューギニア往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2011. Last Update on 2012年1月26日 (木) at 11:18:40.

【第7日目】 帰国するつもりだったが……(2011年9月24日土曜)

巨大なピザ朝飯は売店で買ったビスケットと部屋に備え付けのコーヒーで済ませた。10時にチェックアウトして暫くDeparture Barというところで待ち。昼飯として巨大なピザをとって食べてから空港へ。離陸予定時刻の約2時間前には空港に着いたのだが,受付カウンターは長蛇の列で,しかも遅々として進まない。エアニウギニの国際線は来る時もそうだったが乗客を捌くのが遅いと思う。やや不安が高まってきたが,何とか1時間前くらいの時点でチェックインカウンターに辿り着いた。これでチェックイン,と思いきや,恐ろしいことが判明した。成田行きはオーバーブッキングされていて,ビジネスも含めて全然空きが無く,かろうじて2席だけは取れたけれども,2人は残ってもらうというのだ。明日の朝のケアンズ便ですぐ乗り継いで成田に帰れるし,その振り替えも無料でやってくれるし,ホテルも食事も全部もってくれるというのだが,残りたくないので粘って交渉した。しかし埒が明かず,本当に空席が全くないということだけがわかり,時間は刻々と過ぎて行く中で,話は誰が残れるのかという方向に行かざるを得なかった。ファイナルボーディングコールがかかってしまい,乗り継ぎ飛行機が変えられないという山内さんと,リーダーの河辺さんが帰ることになり,萩原さんと自分が残留組にならざるを得なかった。呑気にピザなんて食べていないで,チェックアウトしたらさっさとチェックインしてしまうのだった。ここまでうまくいきすぎたので,多少気が緩んでいたことは否めない。エアニウギニ相手なのだから,油断してはいけないのだった。

エアニウギニのオフィスでもホテルの手配とかチケットの振り替えなど,やたらに時間がかかったが,PNGジャパンの皆さんに大変お世話になり(支配人の奥さんと気の良さそうな大柄な男性のお二人は親身になってエアニウギニと交渉してくれた),何とか無事に手続きが終わった。ホテルはゲートウェイが近いので延泊したかったが,それにはエアニウギニの偉い人のサインが必要で,今日は土曜なのでその人は休みだというので,ラマナホテルではどうかということになり,考えてみればNRIのオーストラリア人のお薦めホテルなので,この機会に泊まっておくのもいいかと思ってOKした。

ラマナホテルは非常に雰囲気のあるいいホテルで,ゲートウェイよりいいかもしれないと思った。ゲートウェイと違って浴槽はないけれど,同じ無線LANのアカウントは使えるし,空調も効いているしテレビもあるし湯も沸かせるし熱いシャワーが出るし,何も問題は無い。晩飯もチキンマサラとガーリックナンを頼んだら,実に本格的なインド風のチキンカレーが出てきて驚くほど美味であった。土曜の夜だからかライブのようなものがあるらしく,レストランでも見られるようだったが,明日は朝早いので部屋に戻り,この記録を打った。ライブが大音量なので部屋からもかなり聞こえるのは善し悪しだが,まあ許容範囲といえよう。

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