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Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2012. Last Update on 2012年9月28日 (金) at 19:22:35.
朝食後に数名の測定をしてから集団猟に出た。乾季なので草原と灌木に火を付けて動物を追い立て,待ち伏せして弓矢で射るのである。ワラビーが飛び出してきてB君が弓矢で射たのだが逃してしまい,残念そうだった。気づくのが遅かったということだが,たぶん元気なワラビーには滅多に当たらないのだと思う。
夜は独立記念日の後夜祭なのか,村人みんなが広場に料理を持ち寄り,ビニールシートをしいて会食。我々2人はコミッティの1人から前の方に座るように招待されたので少々注目を浴びてこそばゆい。しかし会食の前に牧師の感情たっぷりの説教が長々とあったのには参った。たぶん内心では村人の多くも辟易していたのではないかと思うし,子供たちは関心を失って騒ぎ始めていたけれども,表面的には恙なく説教は終わった。その後,村人代表が何か現地語(英語でもピジン語でもなく,彼らの言葉。彼らはウィッピー語と称している)で何か演説。中で我々2人の滞在に触れ,独立記念日への寄付への謝意を語ってくれていたようだ。我々は,まあ些少だが先発隊と同額の寄付をしていたのだ。先発隊の2人については,もう帰国してしまったからか触れられたかどうかわからなかったが,我々については意外に長く語ってくれていた。その後は会食となり,B君のお姉さんがコップを持ってきてくれたので,予め湯を沸かして魔法瓶水筒に入れてきたものを使ってインスタントコーヒーを入れることができた。料理についてはB君のお姉さんとお母さんのは緑色の野菜が入っていなかったが,コミッティの奥さんが用意した鍋にはアイビカがたくさん入っていて,久々に葉っぱものを食べることができた。もし彼らの食生活が我々の滞在中とずっと変わらないとしたら,WHO/FAOの推奨から考えたら野菜を摂らなすぎなのでまずいと思うが,自然に依存して生きている人たちなので,たぶん葉っぱものがたくさん摂れる季節もあるだろうし,もう少し長期的にみないと何ともいえない。
後夜祭はいつ終わるともしれず続いていたが,この日に測定した人の写真を印刷しなくてはいけないからと説明し,我々は途中でB君の家に戻った。夜眠る前に,いつもつけている万歩計をみたら17,800歩ほど歩いていた。
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