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2015年9月のPNG超弾丸往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2015. Last Update on 2015年10月3日 (土) at 12:07:36.

【第3日目】 ディンギーとトラックでK村へ(2015年9月22日)

6:00頃に起きてメモ打ち再開。8:00にはP氏が迎えに来るといっていたので,それまでには昨日打ち合わせした内容の入力を終わらせねばならない。クーラーを入れなくても比較的涼しくて過ごしやすい朝。

ダルーの海岸沿い道路8:30頃にP氏が現れたので港の方に歩き始めたが,それからが長かった。陸路のトラック用の燃料を買ったり(まず燃料容器を買わなくてはいけないと言って店を回ったのだがなくて,結局中古の食用油容器を買って,それをなぜか水で洗い,何軒かの燃料屋を回って安いところで買おうとしたら当然のごとく共洗いされて水で洗った意味が無かったり……),人に会って握手して話をしたり(これがとくに急ぎでもない話だったりするのだが),等々,延々と引き回された。途中会ったK村出身のビジネスマンのA氏が,金曜日ならK村からダルーへの朝のMAFの飛行機があって(K村には村人が作って管理している滑走路があるのだ。もちろん未舗装だが,セスナ機の発着には支障ない),エアニウギニのポートモレスビー行きに接続しているはずだから,エージェントに言って2席取ってやるという。飛行機は1人当たり270キナだし,それに乗れるなら木曜も調査ができるので素晴らしいことで願ってもない。しかし席が取れるかどうかわからないので,もし予約できたら村のエージェントに連絡するように頼んでおいた。ここの調査(今回は予備調査だが)は常に予定通りに行かなかった場合の次善の策を講じ続けなくてはいけないのが難しいところだ。ディンギー代は最初はふっかけられたが,P氏も乗るのでハイヤーではないし(P氏の分はP氏自身に出して貰った。たぶん彼は最初アレンジを頼んだダルーのB氏から貰っているはずだから),一人70キナ掛ける3人と燃料代の120キナしか払わないと主張し,合わせて330キナで済んだ。とはいえ,日本円にしたら約16500円もするわけで,決して安くはない。

オリオモ川河口部にて最終的にディンギーに乗ったのが10:45頃で,それからまたP氏が追加の燃料を買おうとしたり,タバコを吸ったりと待たされて,出航は昼過ぎになった。海を渡る間はかなり飛沫で濡れたが,オリオモ川を遡行し始めてからは順調で,14:30頃にオリオモステーションという場所に着いた。以前はなかった立派な鉄製の桟橋ができていて驚いた。

しかし,これで一安心というわけにはいかないのがパプアニューギニア。今度は,ここまで迎えに来て貰うはずだった車が来ないのだった。我々の中で,どんどんP氏の「アレンジ」への信頼が落ちていった。代議員とはいっても,とくにビジネスをしてきたわけでもない,素朴な村の男なので,ビジネスマンと渡り合って的確なアレンジをできるわけがないのは,ある意味仕方ないことだが。

車を待つこと3時間,空の色とともに気持ちまでだんだん暗くなってきたとき,おそらく林業会社のトラックと思われるものが偶然来なかったら,ここで夜明かしをする羽目になっていたかもしれない。本当にこのトラックが来てくれたのはラッキーで,しかもウィピム村までタダで便乗させてくれた。ただ,オリオモステーションを出たのが夕方だったので,ウィピム村に着いたら真っ暗で,20:00を過ぎていた。しかも,普段なら1台や2台はあるはずの車がガマエヴェという村で葬式があったために出払っているので,朝まで待たねばならないという。

オリオモステーションの桟橋ウィピムで驚いたのは,昨夜一緒に行こうと言ってくれたE氏がいたことだ。彼は昼間のうちにここまで着いたが,やはり葬式で車がないので足止めされていたそうだ。ということは,彼と一緒に来ていれば,ウィピムからK村まで3時間歩いていくという手もとれたということで,我々は昨夜の選択を少し悔やんだが後の祭りだ。

2年間来なかった間にウィピムがずいぶん廃れていて,行政の地方事務所やそのオフィサーの宿舎が空き家になっていた。原因は燃料がなくて電力供給ができなくなったためとのこと。行政機能はオフィサーごとダルーに移転されたらしい。携帯電話の電波は入らないし,ポンプで水を汲み上げることもできないので,オフィサーの宿舎の水洗便所が使えないのだという。さながらゴーストタウン。しかし屋根と壁があるので,ここに一泊するかという話になりかかったとき,たまたま連絡がついたらしいトラックの1台がウィピムに帰ってきて,そのドライバーがすぐにK村まで行ってくれるという連絡が入った。このチャンスを逃してはならないので,すかさず交渉に入った。ドライバーは以前から顔見知りのK君だったが,ウィピムを本拠地とする彼の一族は骨の髄までビジネスマンで,稼げるときはきっちり稼ごうとする。開口一番,これから危険な夜道をハイヤーでK村まで行ってやるのだから900キナ払えと言ってきた。日本円にしたら約4万5千円である。もちろんそのままの額を払うはずがないことはK君もわかっているので,とりあえずふっかけてみたということだろう。我々は燃料を持っているので,それを10リットルあげること,村人も乗っていくこと,などを材料にして交渉し,結局350キナで話がついた。半額以下に値切ったわけだが,たぶんこの方が正しくて,言い値で払ってはいけないのだと思う。道が悪いので片道1時間弱かかるが,燃料もこっちもちだし,2時間の労働で2万円近く稼げるのだから,K君にとってもいいアルバイトのはずだ。

ウィピム村での簡単な晩飯ただ,我々全員,朝買ったビスケットをかじっただけで,他に食べていないので,とりあえずウィピム村の店で米と缶詰とラーメンを買って(警官にお金を渡して買ってきて貰った)調理して貰い,それを食べてから出発ということになっており,既に調理が進んでいたので,食べ終わるまで待って貰うことになり,ウィピム村を出発したのは21:00を過ぎていた。助手席に載せて貰ったのだが,K君がガタガタの悪路を時速60kmでかっ飛ばすので大変怖かった。しかし山内さんと萩原さんは村人と共に荷台に乗ったので,もっと怖かっただろうし,尻が痛かっただろうと考えると文句は言えない。途中,鹿が目の前の道路を横切っていったので,ドライバーのK君が,撃ちたいけど銃も弓矢も持ってきてないのが残念だと言っていた。ここの人たちの交渉術もハンター故か。

22:00過ぎにK村に着き,毎度泊まらせて貰っているB君の家に行ってみると,いつも我々が泊まらせて貰う部屋はもうきれいに掃除されてマットが敷かれていた。町で働いている彼の兄G氏にメールで訪問を連絡しておいたのが一応伝わっていて,何日も前から準備はしていたのだそうだ。でも正確な日時はわからなかったので,とりあえず部屋だけ用意しておいたということだったが,それで十分だ。B君とは彼が乳児だった頃からの付き合いだが,いつも誠実で心温まる歓待をしてくれるのが嬉しい。今回は,とてもきれいなトイレもできていた。地面に埋設したドラム缶に溜めるだけなので,そのうち糞尿を分けることで悪臭が出ないようにして,かつ堆肥も作れる,いわゆる「エコトイレ」を紹介したら良いかもしれない。彼らの生業は狩猟採集と焼畑農耕なので,基本的に施肥はしないし(だから野菜も作っていない),町から遠くて肥料を買うのは非現実的だが,糞便から堆肥が作れれば,農業研修を受けに行った人とかもいるので使ってくれる可能性はある。もっとも,そうやって生業を変えてしまうような介入をしていいのかどうか,まだ自分の中でも結論はでないし,情報提供くらいはするとしても,実際に事業にしたいと言われた場合にどこまでコミットしていいのかは難しい問題だ。

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