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2008年2月ソロモン諸島往還

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2007. Last Update on February 8, 2008 (FRI) 23:09 JST .

往路(2008年2月1日金曜〜2月2日土曜)

JL761便は予定通り成田を発った。荷物を預けるときにJALのあまり経験がなさそうな人が例によってスルーできないとか言って少々手間取ったが,結局例によって無事にスルーにできた。せっかくMagic Iが装備されている747-400だったので映画は見放題だったのだが,ジャッキー・チェンと真田広之と妙に老けた工藤夕貴がチャンチャンバラバラするやつを見たら,何だか疲れてしまって,後は音楽を流しながら眠っていた。もちろん食事のときだけは起きたが。朝の軽食後は,川相昌弘『勝つための言葉』(KKロングセラーズ)を読んだ。四字熟語とか故事諺を出して,ドラゴンズのコーチとして選手に伝えたいメッセージとか裏方さんへの感謝の気持ちといった内容が書かれているのだが,自分自身が努力することとコーチとして若い選手に伝えることのギャップに悩んでいる様子がわかって身につまされた。

ブリスベン到着は予定通りで,前回同様に,トランジットのデスクでソロモン航空は扱ってないから直接ゲートに行ってねと言われたので,8:30にゲート75に再集合ということにした。アップルジュースを買って喉を潤し,店を何軒かみて,まだまだ時間があまっているので,F君の情報でワイヤレスLANが無料で使えるというのを試してみた。しかし,"yes optus"というネットワークが検出されたまでは良かったが有料だったので使わなかった。以前は無料だったのが有料になったらしい。その後,この記録を打っていたらF君が呼びに来た。今日はトランジットの受付があるというアナウンスが流れたとのこと。行ってみるとK先生とJICA所長のWさんが談笑しておられた。Wさんは最近着任されたらしい。トランジットの手続きは問題なく済んだ。Wさんはビジネスクラスなので当然ラウンジで待てるわけだが,我々はこれから1時間,再び待ちである。それでも今回はゲート変更もディレイもなかったので上出来というべきだろう。

ゲート75の前で待っていたら,今日は本当に定時に出発するらしく,ボーディング10分前ですとかもうじきですとかいったアナウンスが流れている。珍しいこともあるものだ。そろそろ9:00になるのでいったんコンピュータをシャットダウンする。

予定通りに飛行機はブリスベンを発った。運航はOzJetであり,食事もまあ良かった。コンピュータを開いて,寺井尚子の新作"Amapola"を聞きながらRでレーダーチャートを描かせる関数を開発し,統計処理ソフトウェアRについてのTipsを更新した。素晴らしく有効な時間の使い方ができた。

ヘンダーソン空港に着いたのが14:10と予定通りだったし,入国審査も検疫も問題なかった。しかし,ここで落とし穴が待っているのが世の常である。預けた手荷物がないのだ。入国審査を待つ列に並んでいるとき,前にいた5人の子供を連れた女性が物凄く時間をくったので,手荷物受取場に行ったのが遅かったのだけれども,もはや数えるほどしか荷物は残っていなくて,自分のはないのだった。通関は簡単に済んで良かったが,荷物がないことには明日からの調査に支障を来たす。少なくとも明日は尿検査と血圧測定ができない。それでもWHOQOL-BREFの用紙は持っているし,マラリアと生体計測はK先生とF君の荷物の方に道具が入っているので,とりあえず始めてしまうしかないだろう。

通関ゲートを出たところで,SIMTRIの所長B氏とドライバーA氏が待っていてくれたのには感激した。調査計画を渡すと,明日からの調査は何の問題もないということで良かった。メールで何度も計画を送って,返事が来なかったので(とくに明日は日曜だし)不安だったのだが,一つ不安が解消した。それにしても,とりあえず失った荷物をなんとかピックアップしたいので空港係員に必要事項を伝え,明日の飛行機で届くことを期待するしかない。明日の飛行機にはO先生が乗っているはずなので,うまく引き取ってもらえれば,明後日の朝には荷物が届く。尿検査と血圧測定が2日分しかできなくなってしまうが仕方ないだろう。A氏は前もって送っておいた調査計画を村人に渡しておいてくれたとのことで,村でも明日からの調査に備えて準備万端整っているらしいのだが,こんなときに限って荷物が届かないとは,なんてついてないんだろう。

A氏にホテルまで送ってもらってチェックイン。荷物を失うと着替えや歯ブラシやコップや常備薬がないという点で,生活にも支障を来たすのだが仕方がない。いつものwestpacのATMで現金を引き出してから,トイレットペーパーと寝間着にできそうなバスケウェア風のやつ上下と靴下を買った。部屋に戻ってinformed consent用紙を1枚プリントし(これだけは預け荷物の方に入れていたので,コピーするしかない),ここまでメモを打ったので,これからネットにつないでアップロードして,メール送受信もしてこようと思う。

やってきた。30分で一通りのことは終わった。JOCVのKさんから電話があって,明日からの参加は難しくなり,月曜からの調査参加になったとのこと。保健省に血圧計はないか聞いてみたら,あるのだが,日曜は出せないらしい。残念。あとは,B氏が夜訪ねてくるというので,それを待って,調査の話をしながら食事でもしようかと思っている。

19:00頃ロビーに行くと,神戸大学の川端先生がいらしていて,少し話をした。ホニアラもいろいろと物騒になってきたらしい。F君も出てきて,19:30頃までロビーで待っていたがB氏が来ないのでレストランに入って食事をした。サザンチキンアンドチップスというものにしたが,鶏のから揚げにブラックペパーをまぶしたもの?とフライドポテトとサラダで,まあ悪くはないなという味だった。実はいまメンダナホテルには調理指導で凄いシェフが来ているらしいのだが,この程度の料理には自ら腕をふるうことはないのだろう。せめてステーキにすればよかったか?

結局B氏が合流しなかったなあと思いつつ部屋に戻って,時々眠りながらデータ入力などしていたが,夜行便に乗ってきた疲れが出たのか,合計8時間くらい眠ってしまった気がする。

調査地に入る(2008年2月3日日曜)

6:00に起きてシャワーを浴び,パンでも買いに行こうと思ってドアを開けたら,下にメッセージの紙が挟まれていた。実はB氏からの伝言で,遅く着いたのだがあなたたちが食事をしていたので帰ったので済まない,というものだった。レストランに入ってくれば良かったのに。遠慮深いんだなあ。後30分くらいロビーで待っていれば会えたかもしれないが,空腹感に耐えられなかったので,まあ仕方ないだろう。

6:45にロビーに出て,F君と一緒にパンを買いに行った。インスタントコーヒーを飲みながら朝食をとって,これからチェックアウトしようとしているところである。

チェックアウト後,暫く待っていたらK先生もF君も準備ができ,さらに暫く待つとSIMTRIのB氏がやってきた。ここまでは順調だったが,待てど暮らせど我々を村まで運んでくれるA氏がやってこない。まあよくあることで,何をしていたか知らないが,約束の8時からは30分以上遅れて,悪びれもせずにやってきた。これがソロモンタイムである。

いったんSIMTRIに行ってアルコール綿を準備し,殺虫剤含浸済みの蚊帳を10SBDで買ってから出発である。B氏に別れを告げ,村までランドクルーザーで直行した。途中,Nguviaクリニックの隣に新しい病院(ホニアラの総合病院と同じで,24時間開いているし無料で診察してもらえる)ができていたり,新しい橋が完成に近づいていたりといった進んだ面の一方,Mberande川の橋を渡って左折して舗装がなくなった後は道の上を小川が横切って流れているところが多々あり,12月からずっと毎日雨が降っているという雨季に典型的な景観になっていた。これはランドクルーザーでなくては行き着けないなという悪路であった(通勤客が普通に通勤しているので,バスは運行しているようだが)。蚊が物凄く多いそうだ。

村に着いたのは10:00過ぎだったが,神父C氏に話は通っていたので,すぐに調査を始めることができた。尿検査と血圧検査はできないが,それ以外の項目について73人の調査を終えた。着替えがないのが気持ち悪いが,それ以外は実に快適な滞在である。

調査2日目(2008年2月4日月曜)

7:00頃起き,何人かの男性にF君がもってきたGPSと心拍計をつけてもらってから朝食。その後SIMTRIのチームが着くのを待っていたが,やはり到着は10時過ぎだった。嬉しかったのは,前日にO先生とともにぼくの荷物が空港に着いたらしく,着替えや尿検査道具や血圧計が届いたことである。ともかく健診を開始し,昼食を挟んで15:30頃までやった。前日よりは少なかったが,それでもポツポツといろいろなところから人が来るので,IDが130近くまで到達した。

夕方,尿検査用のカップを配って回った。この日まで,いつもマラリア患者が多い隣の村からあまり受診してこなかったので,そこの村の全員と,我々が滞在している村の全員に尿検査カップを配って,翌朝もってきて健診を受けるようお願いしてきた。晩飯を食べてから23:30頃までC神父と神学を語ったりして就寝。

調査3日目(2008年2月5日火曜)

やはり7:00起床。尿サンプルをもってくる村人がいるので,尿検査を進めた。途中朝食をはさんで,9:00頃には半分くらいの尿検査が終わって,他の項目の健診を待つ村人がたくさんいるという状態だったのだが,その後が問題だった。なかなかSIMTRIからの車が来ないのだ。途中で橋が落ちたんじゃないかとか車が横転したんじゃないかとか悪い想像が膨らむが,ともかく来ないことには仕方がない。じりじりしながら待っていたのだった。

結局SIMTRIチームが着いたのは11:00を過ぎていた。何でも,治療用の薬の準備をしている間にガソリンを入れてくるようにとB氏がドライバーに命じたら,ドライバーと車が1時間半も帰ってこなかったそうだ。まったく何を考えているんだか。もっとも,ドライバーはアルバイト感覚なので仕方ないかもしれない。初日に来てくれたドライバー兼マラリア検査技師,かつ地元出身というオールマイティのA氏は別の場所で任務があるということで来られないのが痛い。

それでも尿検査が功を奏したのか,隣村からほぼ全員が受診してくれたので,IDは172番まで到達した。後は明日の最終日に20人くらい,できれば道路側の村から受診者が来てくれればいいなあと思う。

夕方健診が終わったので水浴びに行こうかどうしようか迷ったが,明日になればホニアラでシャワーを浴びられるので止めた。晩飯を食べてから23:30頃まで笑い話も含めいろいろ語って就寝。C神父は来年から2年間の英国留学を企てているそうだ。村での受け入れ先かつ優秀な助手として得がたい人材なので痛いが,彼のためには留学できた方がいいのだろうなあ。

調査最終日(2008年2月6日水曜)

6:40起床。残り少なくなった記録用紙を印刷し,写真も印刷しようとしたところでプリンタのバッテリーが切れてしまったのは予想外だった。来る前にバッテリーはフル充電してきたのに,もうバッテリーがへたってしまっているのだろう。ニッカドだし……と思ったらリチウムだった。不思議なことだ。まあ,記録用紙を印刷できただけで良しとしよう。

追加の尿サンプルも来ないし,朝食の準備もまだできないので,ここまでの記録を打ったところである。まだ8:00前で,わりと効率がいい。今日は昼過ぎまで調査をしたら荷物を畳んでホニアラに戻る予定である。

追加の尿サンプルは10人弱だったけれども,異常値は出なかった。朝食後,9:45頃にSIMTRIチームが到着した。順調でもこのくらいの時間らしい。新しい受診希望者は20人弱だったけれども,昨日までに受診して結果を聞きにきたり,逆にマラリア陽性だったのでこちらから呼んだりして来てくれた人が10人弱いて,わりと忙しかった。それにしても今回は本当にマラリア陽性の人が少ない。とくに熱帯熱は数えるほどしかいない。それでも,これまで陽性の人がが多かった家からは今回も陽性の人がまとまって出ているので,感染パタンは変わってないということだろう。

12:00頃から昼食。その後再開したが,13:45頃に健診を止めた。200人弱という人数は予想通りだった。これで今回の調査は終わりとなる。もちろん,これからホニアラに戻って,(明日以降のマラリア投薬に必要なので)受診者リストの入力と印刷をしなくてはならないし,SIMTRIのスタッフにささやかなお疲れ様会をしなくてはならないし,できれば明日までにinterim reportを仕上げてB氏に渡していかなくてはならないから,まだ気は抜けないが。

14:00頃,村人と別れを済ませ,例によってC神父とJ氏に宿泊と食事のお礼を渡してからランドクルーザーに乗った。SIMTRIによってスタッフへの支払いをしてからホテルに戻り,チェックイン後は速攻でソロモン航空のオフィスに行ってリコンファームを済ませ,スーパーと薬局で少し買い物をしてホテルに戻り,プリンタの充電設定をしてからここまでの記録を打ったところである。これからデータ入力に取り掛かる。それにしても薬局で市販の抗マラリア薬はいくらなのか買ってみたが(自分が感染したときのために,というのもないではないが),プリマキンが28錠で33SBD,アーテスネートが12錠で55SBD,アーテミシニンが12錠で60SBDだった。これらは1回の治療量(プリマキンは三日熱などの根治用だが)なので,だいたい50SBD出せばマラリア治療ができることになる。今回マラリア検査を手伝ってもらったSIMTRI職員やドライバーの日当が50SBDなので,日本の感覚でいうと5000円くらいか。実際のレートでは1000円もしないわけで,日本で買うより遥かに安いが,ソロモン諸島の一般市民にしてみれば,やはりかなり高いものといえる。今回,利用量の見積りミスがあったとかいう理由でSIMTRIにプリマキンがなく,三日熱陽性だった人にもクロロキンしかあげられなかったのだが,彼らが自分で買って根治するということはまずありそうにない。

19:00から会食ということでロビーに出たところ,K先生はJICAの所長から別に招かれたとのことでそちらに行かれてしまい,O先生とF君とでGarden Seafoodレストランに行った。ほどなくJOCVのKさんもあらわれたが,SIMTRI側の人たちがなかなか来なくて20分ほど待った。それだけに空腹になって,総勢8人でかなりいろいろ食べまくった。べちゃっとしたチャーハンと焼きそばだけはちょっと不味かったが,他は美味で,とくに大きなカニを揚げたものが絶品だった。ぼくとB氏が,これまでの調査協力への御礼を互いに言って,これからのソロモン諸島の人々の健康と研究の成功を祈って,という挨拶を最初と最後にした他は,他愛ない雑談をしながら,1時間半にわたってひたすら食べていたわけだが,それでも全部ひっくるめて800SBD未満だったので,安かったといえよう。ホテルに戻ってきて,これからデータ入力の続きをする予定。

ホニアラを発つ(2008年2月7日木曜)

23:30過ぎまでは入力作業をしていた記憶があるのだが,一休みと思ってベッドに横になり,ふと気がついたら5:30だった。慌ててデータ入力を再開し,7:50に仕上がった。プリントしようとしたら充電は完了しているのにエラーがでた。ということは村でもバッテリー切れではなくてフォトカートリッジに異常があったのだろう。

ブラックカートリッジに交換し,印刷を始めたら5分ほどかかったが無事に印刷が完了したので,それをもってロビーに下りた。O先生とK先生が話をされていたが,B氏はまだ到着していなかった。8:00を5分ほど過ぎてしまったが,まあ間に合ったといっていいのではなかろうか。データシートをO先生に渡してマラリア原虫陽性だった人の治療をお願いし,また暫く喋っていたら,B氏の娘さんが車を運転してO先生を迎えに来た。B氏は研究所にいるらしい。お別れを言えないのは残念だが仕方がない。O先生とB氏のトリートメント中心のタシンボコ訪問がうまくいくようにお祈りしつつ見送った。

いったん部屋に戻ってからコンピュータをもってレストランに来て,F君が契約した無線LANのIDを使ってネット接続し,メールをダウンロードしながら朝食を食べようという計画だったのだが,無線LANのログインまでできるのに,どうしてもそこから外につながらない。Y5の無線LANは何か特殊なのか,それともBumblebeeという無線LANサービスを使うのに何か特別な設定が必要なのかわからないが,ともかく諦めて,食後にビジネスセンターから有線でLANにつなぐことにした。食事はいわゆるバイキング形式で,とくに可もなく不可もない味だった。

ところが,フロントで有線のLANを申し込もうとしたら,ホテル全体が外とつながっていないとのことだった。無線LANのAPもホテル内で運営しているなら,さっきつながらなかったのもそのせいかもしれないが,でもきっと違う理由だろう。ともかくどうしようもないので部屋に戻ってきたところである。昼前にチェックアウトすればいいので暫く休んでおこうかと思う。

チェックアウトしてから昼食。ホテルの肉うどんは70SBDだった。相変わらず無線LANは不安定で使えなかった。タクシーで空港まで50SBDは変わらず。チェックインも出国審査も順調に済んだ。ボーディング待ちをしているとき,duty free shopに入ってみたら,土産物は大したものがなかったけれど,Journal of Pacific Historyの最新号があったので買ってしまった。ソロモン諸島の民族紛争の特集号であり,引用できそうな論文がいくつもあったので,収穫であった。ボーディングも順調に進み,OzJetの機体は定刻にヘンダーソン空港を発った。機内で,赤池学『昆虫がヒトを救う』宝島社新書,ISBN 978-4-7966-6130-0(Amazon | bk1)を読了した。ちょっと眉唾な感じがするところもあるけれども,面白い本だった。大雑把に言えば,昆虫に備わった機能に人類のテクノロジーはまだ追いついていない面がたくさんあるので昆虫に学ぼうという話がいくつかと,タンパク質生産工場として遺伝子組換えカイコを利用する話と,PTSDの治療にスズムシの鳴き声を利用する話と,コオロギの脳内のシグナル伝達の研究の話からなっていたが,知られざる昆虫の機能の話が面白かった。ワイルドシルクの服を着てみたいとかV.A.A.M.を飲んでみたいという気持ちに駆られた。まあ,何にでも効くような表現は行き過ぎではないかと思ったが。

ブリスベン到着は定刻より少し早いくらいだった。素晴らしい。入国審査も簡単に済み,荷物も無事に出てきて通関も簡単に済んで,タクシーでSOHO MOTELという日本から予約したホテルにチェックインした時点で,まだ空が明るかった。ホテルはとても部屋が狭いが,まあ清潔でいい感じだ。20:00から翌朝7:00までフロントを閉めるので,外に出るときは鍵が必携だし,翌朝も部屋の机の上に鍵を残していかねばならないということだったが,それでとくに不便はない。

ホテルはWickham Terraceにあるので,3人で歩いてCity Centreに向かい,モールにあるオープンカフェ風のレストランに入った。Cooper Pale Aleと春巻とステーキを食べたが,実に美味だった。食後はモールにあるディスカウント土産物屋に入って土産を買い,歩いてホテルに帰った。

ブリスベンを発つ(2008年2月8日金曜)

5:30のモーニングコールで目覚め,荷造りをして出発。タクシー代は往路より若干安く,32.1AUDだった。出発まで2時間半以上あるというのにチェックインカウンターは既に長蛇の列でげんなりした。通路側の席を狙ってK先生と2手に分かれてチェックインしたところ,これが見事に当たって,3人とも通路に面した席で,かつ隣が空席という素晴らしい状態になった。チェックインカウンターの人が気が利いていて,まず内側の席を発券してそれをキャンセルしてから通路側の席を確保という手順にしてくれたおかげで,隣が空席として残ったのだと思われる。もっとも満席だったらどうせダメなので,金曜日に帰国という日程のおかげでJL762が空いていたことも勝因だろう。

帰りの便はMagicIIだったので,映画はエリザベスの先行上映と天才ピアニスト少年のとサウスバウンドを見たが,サウスバウンドの途中で成田に着いてしまった。たしか文庫化されていたはずなので,原作を読めばいいのか。それにしてもJALの機内誌に載っていた山口智子のルポは痺れた。ロダンの遺言とやらを読んでみたくなった。成田着もほぼ予定通りで,荷物も無事に出てきた。日本人も含めて全員が税関申告書を書かねばならなくなっていたのが一手順増えて面倒だが,まあ仕方なかろう。10分ほど待ってスカイライナーに乗り,京成上野から上野まで歩いて,新幹線で高崎に出て,前橋からタクシーで無事に研究室に着いた。

それにしても記録的な短期間の調査だった。忙しかった。


Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.

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