山口県立大学関連)| 看護学部 | 中澤 港

2003年ベトナム

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2003. Last Update on August 17, 2003 (SUN) 00:20 .

眠い眠い旅立ちの朝

2003年8月5日ベトナムに向かう。5:20起床。昨夜も2時過ぎまで残務処理をしていたので,眠い。しかも,実はまだ荷造りが終わっていなかったので,とりあえずシャワーを浴びてから,すぐに荷造りを仕上げた(荷物は毎週末に長野往復で使っている30リットルザックとコンピュータ関連のものを収容するためのアルミ製のケースと最近愛用しているヒップバッグの3個。これなら飛行機に乗るときに全部手荷物で機内持込みできるだろうという読みである)。生ゴミが溜まっていたので,ゴミ出しもしなくてはいけなかったし,卵が2個余っていたので,昨夜ゆで卵にしておいたものと,肥後グリーンというメロン半分を切って容器に取っておいたものを朝食として食べねばならなかったので,それらすべてを終えて,家中の電気器具のコンセントを抜き,ガスの元栓を締めたときには6:15になっていた。途中で電話もかかってきて慌てたが,まあこの分なら新幹線には間に合うだろう。

とはいえ,宮野6:18の山口線にはもう間に合わないので,タクシーに乗って山口駅まで行くしかないのだが,財布に1万円札しかないし,朝飯がメロンとゆで卵だけでは足りないので,セブンイレブンまで歩いてパンとコーヒー(ポッカストレートラテという,ミルク入りだけど無糖のもの。これはヒット)を買っておつりを貰うことで千円札を作った。一挙両得だったといえよう。6:38に宮野駅前の直通電話を使って大隈タクシーを呼び,6:43に来たタクシーに乗って山口駅には6:49には着いてしまった。6:59発の小郡行きは改札口を入ってすぐの3番線からでるので,余裕をもって間に合った。高校生らしき若者が主に乗っていたけれど,山口では空席もあるほどで,混んでなくてよかった。

小郡に着いて12番線に直行し,新幹線を待った。こだま号博多行きなのだが,8両編成で8号車だけが指定席なのだ。驚いたことにひかりレールスターと同じ車両を使っていた。それならオフィスを取るんだった。歩いている途中でアルミケースの肩掛け紐が壊れた。成田空港の旅行用品店で替えベルトが売られているような気がするので,時間があったら買おう。紐といえば,洗濯紐も買わねば。IEEE1394の6ピン=4ピンケーブルも欲しいが,さすがに空港では買えないだろうなあ。

新幹線の中では博多に着くまでずっと熟睡してしまったので,仮にオフィスだったとしても無意味だった。博多駅の本屋で週刊アスキーを買った。博多から福岡空港までは地下鉄で2駅しかないので(250円だが),すぐに着いてしまい,チェックインしてからも2時間くらい暇があった。仕方がないので空港の喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲んだ。まあよくある味。ほぼ定刻に離陸したジャンボ機は各座席に液晶ディスプレイが着いていて,結構高級な感じだったが,週刊アスキーを読んでいるうちに着いてしまった。

羽田空港から成田空港への移動を何にしようか悩んでいたのだが,天気が悪そうなので渋滞したら嫌だなあと思ってリムジンを避けたのが失敗だった。京急から京成へと続く成田行きの快速に乗ったのだが,佐倉で既に14:52であった。旅行社の人が14:30から空港第二ビルで待っているはずなので気まずかったが,もはや仕方がない。佐倉から乗り換えた特急が空港第二ビルに着いたのは15:10頃であった。最初旅行社の人が見当たらなかったので,もう待ちくたびれて帰ってしまったのかと思ったが,さすがにそんなことはなくて,ほうぼう探してくださっていたらしい。カウンタの順番待ちをしながら辺りを見回していたら,「JICA専門家 中澤様」と書かれたフダを持った方が歩いているのに気が付いた。やや気まずかったが手を挙げて知らせたら,「道が混んでいたんですか?」と聞かれ,電車で来たと答えたら呆れられてしまった。電車で来るにしても,品川乗換えでNEXだったらもう少しマシだったような気がする。気を取り直した旅行社の方が,こちらでいいんです,と連れて行ってくれたビジネスクラスのカウンタではあっという間にチェックインが済んだ。売店で洗濯紐だけ買ったが,肩掛け紐はろくなものがなく,IEEE1394ケーブルも当然なく,仕方ないので出国手続きの方に行った。日本人用の出入国カードは知らぬ間に廃止になっていて,ただボーディングパスとパスポートを提示するだけで出国手続きが済んだ。実は,今回はエコノミーのチケットなのだが,正規料金で買っているので,サクララウンジも使えるのだそうだ。これまで調査に行くたびに横目で見ていた憧れのサクララウンジ(科研費の調査だと絶対にチケットはエコノミーの格安料金なのでラウンジが使えることはまずないのだ)なので,話の種に使いたかったが,もう時間がなく,山のような土産物を買ったらすぐに搭乗時刻になったので,搭乗せざるを得なかった。やや残念だが,自業自得なので仕方がない。

ベトナム航空との共同運航便らしく,アナウンスがベトナム語と英語でなされ,暫くたってから日本語で内容が繰り返される。英語の段階でだいたいわかるのだが,機長の英語がスタッカートが効いた発音なので聞き取りにくかった。キャビンクルーは日本人1人を含む9名と言っている。要するに小さい飛行機なのだ。シートもとても狭い。隣が空席で助かったが,これで満席だったら,相当,閉塞感があるだろう。キャビンアテンダントさんの服装は,赤いアオザイである。さすがにベトナム航空だ。16:34に動き出したのだが,滝のような雨のためか,離陸までは結構時間がかかった。16:51に離陸して暫くは,雨雲の中を進んだので,外は厚い灰色の雲だし,ときどき雷が光るのはぞっとする。4分ほどで高度2200メートルに達し,最下層の雨雲よりは上に出たが,まだまだ上には雲があって,結局高度7200メートルでシートベルト着用サインが消えたのは,17:03だった。最終的には高度1万メートルくらいのところを飛んでいたようだ。外気温はマイナス40度より低いらしい。安定飛行に移ってから,すぐに入国のための書類が配られた。普通の書類は旅行社が用意してくれていたが,たぶんSARS騒ぎで導入されたと思われる健康状態の問診書類を受け取って埋めるのが面倒だった。あの書類は,なにかデータベース管理とかするのだろうか。それこそ今回の出張の目的の関連でチェックしなくてはいけないのかもしれない。

機内で上映された,ジャッキー・チェンがジョン・ウェインとしてロンドン狭しと暴れまくる映画が面白かった。アーサーとか言われているから気づかなかったがコナン・ドイルは出てくるし,チャーリー・チャップリンは出てくるし,ストーリーは単純で,B級アクション映画の王道という感じ。ワイルド・ワイルド・ウェストが好きな人だったらきっと気に入るだろうと思った。

ハノイのノイバイ空港に着いたのは,日本時間で言えば22:00頃だった。日本とは2時間の時差があるので,現地時刻では20:00である。公用パスポートの威力かもしれないが,入国手続きがあっという間に済んで,ほぼ一番で入国できた。さてしかし。成田で旅行社の人を待たせた罰があたったのか,JICA専門家のYさんを探すが,なかなか見つからない。ツアー客などはぞくぞくといなくなってしまい,だんだん心細くなってきた。なにせ,今回はJICA専門家としての出張ということで,全部の旅程をお任せしていて,今夜泊まる宿はホテル日航ハノイらしいということは知っているものの,そこまでどうやっていくかさえチェックしていないのだ。所在無く歩き回っていたら,現地の人がいろいろ声をかけてくる。最初に声をかけてきた人はミニバスかタクシーの客引きだったらしく,ぼくは友人を待っているんだと言ったらすぐに退散してくれたのだけれど,構内でそういうことをしてはいかん,と空港警備員らしき人から注意されていた。次に声をかけてきた人はどこまで行くんだとかどこに泊まるんだとかいろいろ聞いてきたので,若干警戒したのだが,その人の友人でかつてJICAに雇われてドライバーをしていたという男もやってきて,携帯電話でJICAに連絡してくれようとした。結局つながらなかったが,ドライバーをしていたという男が,どうせホテル日航だろう,連れて行ってやるよ,というので,もうそうするしかないか,と思いつつ,でも連絡なくいなくなってはYさんが困るだろうなあと思って,もう一回り探してくると言い置いて歩き出した。すると,ちょうど向こうからYさんがやってきて助かった。さっきの男たちのところへ戻って,良かった,友人が見つかったよ,ありがとう,といって握手をして別れたが,Yさんが乗ってきた車(たぶんJICAの運転手つきの)でホテル日航に向かったところ,30分もかかったので,仮に声を掛けてきた男たちに送ってもらっていたら,やはりタクシー代は負担しなくてはいけなかっただろうから,これはある意味は客引きだったのかもなあ,と思う。真相はわからないが。

room of Hotel Nikko Hanoi

ハノイの街中は21:30を過ぎているのに開いている店が多く,活気に満ちている。ヘルメットもつけず2人乗り,3人乗りをしているバイクの若者が多くて(別に不良というわけではなく,それが普通なのだろう)怖いのだが,町のエネルギーを感じる。深夜まで普通の経済活動が行えるくらい,安全だということもあるのだろう。21:50頃着いたホテル日航ハノイは超豪華なホテルで,部屋がやたらに広い。Yさんの話によると,一泊60ドルくらいとのこと。考えてみればソロモン諸島のキタノメンダナホテルもそれくらいだけれど,こっちの方が格が上だと思う。ともかく広くて明るくて設備も豪華だ(右写真)。当然のようにテレビのNHK国際放送は入るし,浴室も広い。明日ビュッフェ形式の朝食をとってから8:00にYさんの部屋でブリーフィングということになったので,疲れを取るためにすぐに眠った方が良かったのだが,LAN接続もできるようなことが室内に書いてあるので,ちょっと試してみようと思い,とりあえずここまで今日一日のメモをまとめた。LANを使うには,受付に電話をする必要があるらしい。1時間1.5ドルということだが,やってみようと思う。メールもみたいし。

というわけでやってみたら,小一時間悩んだものの,うまくいった。悩んだというのはこういうことだ。説明書(英語で書かれている)の通りに内線4105に電話をして,説明書に書かれているようにLANポートのあるノートパソコンはあるのかと聞かれたので,それはあるし,LANケーブルも持ってきていると答えたら,OKというので,じゃあ1時間使うよ,と言って電話を切ったまでは良かった。LANケーブルでX22と壁のソケットをつないだら,X22がすぐに反応して100Mbpsでつながったと表示された。これは凄いと思って,さてメールを見ようと思ったが,さすがにそのままではつながらない。DHCPの設定を確認したり,Gatewayを192.168.0.1にしてみたり192.168.1.1にしてみたり,やっぱり消して自動設定にしてみたり,としたが,うまくいかない。そもそも192.168.0.1にも192.168.1.1にもpingが通らない。これはまだ部屋の壁のソケットをアクティブにしていないのかなあ,とさえ思ったが,100Mbpsでつながっていると表示されているのだから,そういう問題ではないはずだ。そこで何の気なく説明書をひっくり返してみたら,接続設定が乗っていた。なるほど,時間単位でDHCP接続させる仕組みがDHCPサーバ内にwebのインターフェースで設置されていたのか。とすると,部屋ごとに(たぶんローカルだけれど)固定のIPなんだろうな。後でnetstatしてみよう。ともかく,物理的に接続した後はブラウザを開けば(説明書にはInternet Explorerと書いてあったがNetscape 7.1でも大丈夫だった),最初に現れる画面でNextのボタンをクリックすると接続設定画面が開くので,1日単位の使用(Plan A)か1時間単位の使用(Plan B)か選んで,何単位使うか入力してsubmitすれば,それだけでDHCPを通してIPが割り振られたようだ。メールクライアントも使えたし,WinSCPも使えたし,ttsshで山口県立大にある自分のサーバへのログインもできた。すばらしい。

活気にあふれた朝

車のクラクションが聞こえるので窓から外を見たら,凄い眺めだった。思わず写真(右下)を撮った。シャワーを浴びて,これから朝食をとりに行こうと思っているところである。

Hanoi

朝食はバイキング形式で,パンとサラダとトマトジュースとソーセージとコーヒーという甚だ洋風のものにしたが,なかなか美味だった。食べ終わったら7:55だった。8:00からYさんからブリーフィングを受けることになっているので,慌てて部屋に戻った。

Yさんの説明により,ベトナムの保健医療情報管理システムの現状とその問題点がだいたいわかった。いろいろ複雑な問題はあるが,適切な手を迅速に打っていくしかないだろうと思う。CITIBANKのATM(銀行内ではなくて建物のロビーに設置されていて,なんと日本語表示モードがあった)で現金450万ドン(約36,000円分)を引き出した。今回の滞在にはそれで十分らしい。足りなければ米ドルを使えばいいのだし。

昼食をBrother's Cafeでとった。観光客がよく来る店らしく,日本語をしゃべる店員もいた。バイキング形式で多種多様な料理があって,しかも美味で満足した。

BACH MAI HOSPITAL

午後はJICAの事務所を表敬訪問してから,BACH MAI病院(たぶんハノイで一番大きい。左はロビーの写真)に行って,やはりJICAが援助しているという病院情報管理システム(電子カルテみたいなものも含む)を見せてもらった。いい点もあったし,これでいいのかという点もあった。たぶん,一般論としては,やるなら徹底的にやった方がうまくいくのだと思う。

いろいろと移動中,ともかくたくさんのバイクや自転車が路上を占拠していることに驚く。昨夜も驚いたが,別に不良というわけでもなさそうな,普通の人たちが,口をマスクや布巾で覆って,ヘルメットもなく,サンダル履きでバイクに2人乗りしている姿(右下)は,慣れるまではかなり異様だ。こういう状況で車を運転するのは大変な神経を使うだろうと思うが,VinhからYさんとともにやってきた,JICAの運転手さんは,クラクションを盛大に鳴らしながらスイスイと道を進んでいく。こういうのも慣れるのだろうか。

riders in Hanoi

その後,ホテルに戻ってワークショップの案を練る。だいたい方針が決まったので,報告書を書き始めることができる。夜にでも暇があったらやっておこうと思う。Yさんから耳寄りな話を聞いたので,ここにメモしておくと,ベトナムでは,電話番号1269にかけて,IDにvnn1269,パスワードにvnn1269と入力すると,普通の電話使用料だけでインターネットが使えるとのこと。ちゃんと独自にIDをもつような契約もできるのだが,いろいろ書類が必要で大変なので,ただつなぐだけならこの使い方の方が便利だ。DDIポケットのPHSでprinを使うときと同じやり方で,電話料金に完全従量制で課金されるようだ。このやり方で,Vinhのホテルに行ってもネットワーク接続ができるらしいので,メールは使いつづけられそうだ。よかった。しかし,病院や保健センターは私用電話を防ぐために電話機に鍵をかけたりしているし,市外局番への発信を制限している場合もあって,市外局番を制限されると1269は使えないので,各病院やコミューン保健センターのデータをオンラインでサーバにscpかなにかでアップロードしてもらうというわけには,なかなかいかないらしい。パソコンを置いている部屋に電話線がないという状態のところもあるし,雑音が多く,プロバイダの品質の問題もあって,メールに添付ファイルをつけると切れることが多いというのも問題だそうだ。今回のぼくのような用途ならそれくらいは我慢できるが,日常業務としてデータ転送するとなると,それではまずいだろう。ゲアン省でも電話線共有型のADSLは可能だけれどとても高いという話なので,JICAのプロジェクトとして省の電話局にADSL用のスイッチを無償供与するとかしたらいいのではないかと思った。病院情報のシステムなんかに比べたら安いくらいだと思うのだけれど。無理かなあ。

打ち合わせが終わったら18:00近かったので,Yさんと同期で語学研修を受けた長期専門家の方たちと一緒に近くの日本料理屋で晩飯を食べた。Tigerビールを2杯ジョッキで飲んだら,すっかり酔ってしまったので,今日報告書(注:最初にアップロードしたときは奉公所などという意味不明のtypoをしていた。酔っていたためだろう)を書き始めることは断念して,とりあえず眠った。3時間くらい眠ったら酔いはさめたので,LANを2時間使ってメールのやりとりをしたりしている。明日は8:00にはチェックアウトして保健省の偉い人と会議をしなくてはならないので,また忙しい一日になりそうだ。

土砂降りのハノイ

起きてみると土砂降りだった。ホテル日航ハノイの窓から下をみると,泳げるんじゃないかと思われる(ちょっと大げさだが)水溜りの水を盛大に跳ね上げながら車やバイクが走っている。こんなときにも走るなんて,バイクに乗る人たちの根性に感心した。これから朝食をとって,チェックアウトの準備をしなくては。

ここの朝食はバイキング形式なので,昨日は洋食にしたのだが,今日は和食にしてみた。ご飯と味噌汁と卵焼きという,日本の温泉旅館なんかの朝食によくあるメニューになるわけだが,なかなか美味だ。もっとも,飲み物だけは和でなくて,トマトジュースとコーヒーを飲んだので,統一感は今一つだったが。

7:50頃チェックアウトしようとエレベータホールに向かったら,プロジェクトをコーディネートしているKさんに会った。昨夜ゲアンからハノイに来て,今朝の会議に一緒に行くことになっている。チェックアウトは一瞬で済んだ。4時間分のLAN接続を含んで2泊で約138ドルというのは,朝食付きだったことも考えれば格安といっていいだろう。すべての荷物を車に積みこんで出発である。

flooded floor

出発時刻はほぼ予定通りだったが,大雨のために洪水のようになっている場所があるらしく,道が異様に混んでいて,8:30には保健省につかなかった。Kさんが保健省で待ち合わせている通訳の人に携帯で電話して遅れることを伝えたら,保健省も洪水だという。5分遅れくらいで着いてみると,たしかに洪水というか,会議をすることになっている部屋がある建物の周りが水浸しで,通れない(左写真)。こちらの人もみんな靴を脱いで歩いているし,しかたないので,サンダルに履き替えてそこを渡った。足が濡れて気持ち悪かったが,逆にいえばサンダルを持ってきた甲斐があったというものだ。しかし,渡ったのは良かったが,会議の相手だった局長代理は大臣に急に呼び出されて不在だった。結果的に技術レベルの話が主な内容になったので,ぼくにとっては悪くなかったが。

ベトナム語はさっぱりわからないのだが,英語に通訳してくれると固有名詞以外はわかる。問題は,略称がわからないことだ。とりあえずそのままメモをとっているのだが,MOHみたいにMinistry of Healthの略だとすぐわかるものはいいけれど,それをベトナム語でボイテと言われたり,省の保健局はベトナム語でソイテというらしいが,そういうのが出てくると一瞬理解が止まってしまう。徐々に慣れて,途中からはわかった。システムの説明は良くわかった。たぶんイベントドリブンなクライアントサーバシステムで,サーバにはLinux(RH7か8だという)でPostgreSQLをバックボーンにしてC/C++でプログラムを書き,クライアントはWin2K以上でC#でGUIなプログラムを書いてリアルタイム処理ができるようになっていた。かなり実用性が高いし,センスがいい高度なシステムだと思う。もっとも,ここまでやるならクライアントもX Windowにすればいいのにと思わないでもなかったが。ちなみにRH7はkernel2.2系だと思ったが,8は2.2系だっけ? それとも2.4系だっけ? 2.4系だとSCOのライセンス問題があるので,ベトナム政府として進めていくなら2.2系の方が無難かもしれないのだが,そのあたり,どうするのだろうと,ちょっと気になった。また,プログラムのソフトウェア工学的なセンスがいいことは,必ずしもシステムがうまくいくことを保証しない。将来を見据えて先進的なシステムを作っても,現場の教育が追いつかないと,システムはうまく動かない。また,取れないか信頼性に乏しいデータを入力する仕様になっていたりするとか,他の郡や省の端末からもアクセスできるようにすると,そのために侵入されやすくなったり,オペレータのセキュリティ教育はどうするのか,といった辺りの認識が十分かどうかに疑問が残った(質問して答えては貰ったが,そう数日で十分なセキュリティ教育ができるとは思えないし,いくらコンピュータ科学の教育を受けた人でも,30日の研修でネットワーク管理ができるようになるとは思えない)。これからゲアン省に行って現場をみてから判断するしかないが,Yさんの話を聞いた限りでは,やはりこのシステムはゲアン省の現在のインフラや人的資源からみて,オーバースペックだと思う。調査に使うなら有用だと思うが,ルーティンの集計を全国展開するには,作業量が質も量も過剰な気がする。技術者が陥りがちな罠か。それともそれも一つのゴールにしているのか。いまから始めると10月までは十分なサポートができるという申し出はありがたいわけだが,判断は難しかろう。15日にもう一度ハノイに来て返事をするということになった。

rice noodle with beef

既に昼を回っていたので,ホテル日航ハノイ近くの店に入って,牛肉スープ付きのベトナム風米うどん(右写真)を食べた。一人分で40円くらいなのだが,実に美味だ。翌日も会議があるためホテルに戻るKさんとホテルのところで別れて,Yさんとともに,いよいよゲアン省に向かう。車の旅は,バイクや自転車に警告するためのクラクションの音さえ気にしなければ快適なのだが,ともかく長い。2時間半が過ぎ,ほぼ中間点ということで休憩したときに飲んだココナツジュースは懐かしくて美味だった。一人分は20円もしないらしい。その後,前が霞むほどの土砂降りに見舞われたが,周りの自転車やバイクがそれをものともせず普通に進んでいくのが凄いと思う。ぼくは車の中でウトウトしながら過ごしているうち,18:30頃にVinhに着いた。フンギホテルにはJICAの専門家が大勢泊まっていて,ホテルマンも日本人馴れしているようだ。チェックアウトまで,パスポートはカウンタに預けてしまうというシステムにちょっと驚いた。明日7:30にロビーでの再会を約して,Yさんは自宅に帰っていった(Yさんは,他の多くの専門家と異なり,一人で一軒家を借りて住んでいるのだそうだ)。代わって別のYさん(Y’さんと呼ぼう)と,Mさんと一緒に19:00からホテルのレストランで夕食を食べた。今日は酔いたくなかったので飲み物はお茶にした。食事はいろいろ出てきたが(Y’さんとMさんが注文してくれた。実は英語も通じるらしいが,すべてベトナム語でなされた),どれも美味で,しかも腹にもたれない。これで一人あたり約120円しかかからないのだから驚く。よほど食材と人件費が安いのだろう。ベトナムの貨幣価値が不当に低いだけかもしれないが。

部屋に戻って壁にある電話のソケットにX22をつなごうとしたら,最初は空きソケットのそばに電源がないので困ったが,電話のケーブルをソケットから抜いて壁の空きソケットに入れなおし,電話ケーブルを抜いた後のソケットにX22からケーブルをつないで事なきを得た。あとは,X22のダイアルアップ設定で新規で01269(0は外線を指定する番号)を設定し,IDとパスワードも昨日聞いたとおりvnn1269としたら,簡単にネットワーク接続は成功した(トーン発信)。16.8 kbpsしか出なかったが,メールだけなので,速くなくてもいい。ベトナムは便利だなあ,と思う。もちろん,PNGやソロモン諸島に比べると,だけれど。

paddy field

書き忘れたが,ハノイからVinhへの道中(国道1号線なのだそうだ)の風景は30年くらい前の,日本の大きな街道沿いに似ていた。暫く水田が続くところもあるが(上写真),頻繁に町が現れ,街道の両側に店が建ち並ぶ。日本ではバイクや自転車はこんなに多くなかっただろうけれど,店の感じなんかは昔はこんな感じだったよなあ,と思った。初めて来たのに,何となく懐かしい。

よく考えてみると,Vinh Cityは人口20万を超えているので,山口市よりも人口は多いのだ。活気にあふれているのは当然かもしれない。

モデル郡保健センターの昼食はビール付き

6:00起床。まず電話回線を使ってメールをチェックする。JECHの査読依頼が来ていて,webからの登録を試してみるが,どうもうまく行かない。Netscape 7.1ではダメなのか,それとも電話回線での接続がダメなのか。72時間以内に応答するというのも,なかなか難しい。

食事をしなくてはならんので階下へ。鶏肉入りのコメのうどんはフォー・ガァだったかなぁと思いつつも自信がなかったのでrice noodle with chickenと言って注文。ここの宿泊料金には朝食も含まれているので,食べ終わったらそのまま部屋に戻っていい。7:30にロビーで待ち合わせだったので多少時間があり,シャワーを浴びて,下着を手洗いして洗濯紐に干してから外に出た。

ロビーに出ると,ちょうどYさんが着いたところだった。週刊アスキーのリーダーズボード担当の仲ムさんにちょっと似た感じの通訳の女性と一緒にミニバンに乗ってYen Than郡に向かって出発した。1時間もかからないという話だったのだが,郡の保健センターに着いたのは9:00近かった。どうもドライバーが道を知らずに遠回りしたらしい。

保健センターの周りは露天商が並んでいる。ランプータンやカスタードアップルみたいな果物(やや違うものだと思うが)があって食欲をそそる。が,車はそこを素通りして保健センターに入ってしまう。すぐにラフな格好をした所長とネットワーク管理者候補の人に会う。Pu-Erみたいな茶を出され,暫く会談。Yさんが保健情報システムの見通しを前向きに説明する。通訳の女性は,こちらの英語をベトナム語に訳すのはだいたいやってくれるのだが,ベトナム語で相手の人が話したときにベトナム語で返してしまうことが多々あるのがちょっと困る。Vinhでは仕方ないか。

herbal garden in CHC

暫く会談した後,とりあえず病院情報管理システムの導入をした場合に,どこにコンピュータを置くかということを主眼にして,病院内を歩いた。120床あるらしいし,建物もいくつもあるので,ケーブルが相当長く必要だろうし,ことによったら伝送ロスまで気にしなくてはいけないかもしれない。サーバを置こうというのにエアコン付きの部屋がない(1つはある?)というのも問題だ。それも含めて,システム導入のためにはもっと基本的なインフラ整備が必要だと思う。会談後,コミューン保健センターに行ってその構内を見回り(前庭に薬草を植えているのが面白かった:左写真参照),さらに記録をいろいろ見せてもらった。分野ごとに別々の記録ノートになっていて,郡レベルへの報告書式を作るのにそれらから手作業で抜き出している,という現状はいただけない。それでは電子化が役に立つどころか,余計な報告書が増えるだけになってしまうかもしれない。やはりインフラが先だということだろう。

郡保健センターに戻ったら,すぐ外の店で昼食が用意されていた。ベトナム料理の数々にビール付きだった。漬物のようなものが2種類あって美味だった。昼からビールを飲んでしまったので,Vinhへ帰る車の中では,ほとんどぼーっと眠ってしまった。午後も遠回りだったので14:00のアポには間に合わず。でも結局午後に会う予定だったMCH/FPセンター所長には会えなかった。後はいったん計画局に行って会談し,再びMCH/FPセンターに行ったが,所長には会えず。仕方がないので仕事をして,他の専門家と一緒にホテルに帰った。部屋に戻ってみたら干しておいた下着がちゃんとハンガーにかかって,室内に移されていたので驚いた。サービスがいいホテルだ。しかも部屋にはさきほど食欲をそそられたカスタードアップル風の果物が2個置かれていて,1つ食べてみたらとても甘くておいしかった。ソロモン諸島で食べたこれに似た果物はもう少し酸味があったが,PNGで食べたものはもう少しねっとりしていたような気がするので,少しずつ品種が違うのかもしれない。どれも美味であることには違いないが。

晩飯は昨日と同様。Y’さんとMさんとKさんと一緒に美味な食事をしようという企画。注文をしているときにYさんが来て一緒にテーブルを囲むことに。明日7:30から計画局へ行って仕事をするという約束をして別れた。23:00就寝。

土曜も仕事

6:00起床。今日も午前中はYさんのオフィスに行って仕事をする予定で,7:30にロビーで待ち合わせをしている。もう6:50なので朝食を食べておかねば。今日は洋食にしようと思う。

バター付のパンとブラックコーヒー(といっても甘いのだが,カフェインに飢えていたのだろうか,とても美味に感じた)を食べて部屋に戻ってきたらbed making中だった。なるほど,この時間にやるのか。食堂ではもう食べ終わるという感じの人が多かったことから考えても,ベトナム人は朝が早いのだろう。もっとも,日本時間で考えると既に9:00だから早くも何ともないのだが。

7:30にYさんがタクシーで迎えに来てくれたので,保健局へ向かった。フンギホテルから保健局まではタクシーで2万ドンくらいだが,外国人観光客は1つ桁を間違えて払ってしまう人もいるらしい。2万ドンというと160円くらいだから,確かに日本に比べるとずっと安いが,あの距離で1600円ではさすがに高すぎると思うから,1つ桁を間違えて払ってしまう人がいたら,それは余程金銭感覚が狂っているか,観光地料金と思っているのかどちらかであろう。

午前中は保健局のYさんのオフィスで仕事。コーヒーを淹れてもらう。ベトナムのコーヒーはエスプレッソみたいな濃さだが,別に圧をかけているわけではなく,金属製で下に小さい穴がいくつも開いた容器に,細かく挽いた豆をきっちり押し付けた上にお湯をのせるので水出しみたいにゆっくり落ちて濃くなるようだ。カフェインに飢えた身体には非常に美味に感じる。仕事は来週のワークショップの計画など何点かあったのだが,概ね予定通りできたと思う。11:30過ぎに昼食のためホテルに戻り,RTI調査のために来ている短期専門家のGさんたちと一緒にスパゲティとキャベツ炒めを食べ,ホテルの喫茶店でコーヒーを飲んでからRTI調査の報告会が行われるCua Loという場所に向かった。

RTI発表会

Cua Loは白砂が広がるビーチリゾートで,ちょうど今が観光シーズンなのでハノイからも客がたくさんくるのだそうだ。が,ぼくらはホテルに直行し,大盛況(上写真)の発表会を聞いた。同時通訳があったのだが,受信機の数が足りず,ぼくが持ち歩いているヘッドホン分配器(もともとは娘と新幹線に乗るとき,動画を見せて暇つぶしをするのに,同じ音を2人で聞けたら便利だという理由で買ったのだが,買ってから山口に単身赴任になったため,娘と新幹線に乗る機会は激減し,実はまだ本来の目的では使っていないシロモノ)が役に立った。発表内容はベトナム語が速すぎて英語への通訳が追いつかず,若干フォローしきれないところがあったが,RTIの状況も南太平洋とは違っていて面白かった。ただ,これは1郡10コミューンでの調査結果なので,その代表性がどこまでいえるかは謎だが。Gさんが論文にするだろうから,どこまで書くかはお手並み拝見するとしよう。

発表会終了後,懇親会まで2時間近く間があったので,Vinh CityのHuu Nghiホテルまで戻ってまた来るグループとCua Loに残ってビーチで暇つぶしをするグループに分かれたのだが,ぼくは前者にした。別にどっちでも良かったのだが,懇親会の後X22を置き忘れたらどうしようというのと,ホテルに戻ればメールをみる時間があるという判断で,戻ることにしたのだ(観光客で溢れているようなビーチではあんまり魅力を感じないし)。残った人たちもそれなりに楽しかったらしいので,たぶんそっちでも良かったのかもしれないが。

ホテルに戻ったとき,ちょうど掃除をする人が来ていて,こんどはナイフ付きでマンゴーをくれた。とてもサービスがいい。まだ食べていないのだが,PNGのマンゴーに比べると大きい気がする。さらに,今日ハノイから戻ってきたばかりのKさんが,バェンガイというお菓子をくれた。もち米とごまを練ったもので豆をつぶしたものを包んで,その全体をバナナの葉で何重にも包んで蒸した(たぶん)ものらしいが,甘くておいしい。17:30にホテルを出て再びCua Loに向かい,懇親会となったが,これがまた海の幸がふんだんに出てきて,とても美味だった。蟹とか烏賊とか海老とか白身の大きな魚とか漬物とか。MCH/FPセンターの所長(?)からビールの一気のみを挑まれたのには驚いたが,一杯だけで済んだので良かった。もう一杯というのがあったら危ないところだった。懇親会は皆が猛烈な勢いで飲んで食べて喋ってというもので,何も形式はなく,1時間強でお開きとなった。まだ空が仄明るいので,帰ってから仕事をしようと思っていたが,酔ってしまったのでまず1時間くらい眠った。

目が覚めてメールを見てみる。メールができるのも良し悪しで,日本オセアニア学会からの仕事が来ていたりすると(来たのは昨日だが),土曜の夜だしやっておくかなあ,という気になる。で,仕上げて学会通信を更新した。それにしても,電話線接続をしていると,山のようなアタックがくる。Zone Alarmを入れているから弾いてくれるが,こんなに常に侵入を試みている人がいるのか,という感じである。日本でPHS接続するときも同様なので,インターネットサービスプロバイダは一般にアタックのターゲットになっているのだろうなあ。力尽きてそのまま眠ったので,何時に眠ったのかは覚えていない。

爽やかな日曜には報告書準備を

目覚まし時計をこちらの時刻の5:55にセットしているのだが,その2分前くらいに自然に目が覚めた。爽やかな日曜の朝である。暫くメールをしてから食堂へ。時刻は同じくらいなのだが,他の日本人とは誰とも会わなかった昨日までの朝食時とは違って,大勢,他の専門家に会った。座る場所が違うからだろうか。今日は目玉焼き付きのパンとコーヒーにした。やはりコーヒーはいい。あのコーヒーを淹れる容器は,お土産にいいかもしれない。ハノイで買えるだろう。Gさんたちは今日の8:00にハノイに発つそうだ。7月から来ていて,明日ハノイのJICA事務所で報告をしてから日本に帰国するのだろう。ぼくは来たときにJICA事務所に行ったので,帰りのハノイは1泊だけで,JICA事務所には寄らずに帰国するのだが,11日間という超短期の派遣だからそうなのだろう。普通は帰りに報告をするらしいし,その方が合理的だ。今日はとくに予定をいれていないし,既に半分過ぎたので,報告書作成をするつもり。

報告書をLaTeXで作り始めたが,午前中はあっという間に過ぎてしまった。貰ってあったマンゴーを食べたが,空腹がおさまらなかったので,12:15頃ホテルのレストランに行って昼食にした。メニューから海鮮炒飯と野菜スープを選び,コーヒーも頼んだら33000ドンだったが,量もかなりあって美味で満足した。これからまた報告書の続きをやる予定。

ずっと作業をして,19:00過ぎにまたレストランに行って,今度は冷茶と海老入り焼きソバを頼んで食べた。これも美味で,22000ドンだった。部屋に戻ってテレビをつけてみたらMTVでMTV Video Music Awards Japan 2003という企画をやっていて,つい見てしまった。クリスタルケイのライブとか。受賞したビデオが流れるならなお良かったのだが。残念だったのは,ここのテレビはNHK国際放送の映りは物凄く良いのだが,MTVが今一つ(画質もややセピアがかっているのだが,音も雑音が多い)なこと。まあ,気にしなければいいのだけれど。さて,ではまた報告書をやろう。

その後もMTVをつけっぱなしにしていたら,マライア・キャリーに続いてゴスペラーズが出てきた。MTVアジアでは日本語の曲には漢字で字幕が出るようで,ゴスペラーズは聖堂教父と訳されていた。なるほど。

月曜は遠出

5:45起床。腹具合があまり良くないので,朝食は軽めにする。フォー・ガァとオレンジジュースだけ。それでもかなり満腹した。6:30にロビーで待ち合わせてYさんとTankyへ出発。途中,朝市の真っ只中を通る羽目になり,10分ほど大騒ぎしながらカタツムリのようにノロノロと進んだが,それ以外は順調に進んだ。Tankyはmountaneous areaということになっているらしいが,山岳部というよりは丘陵部であった。電気は来ているし,店もあるし,それほど田舎という気はしなかった。ただ,目に付いたのは,溜池がやたらにたくさんあったことで,ここでマラリア罹患率やコレラの罹患率が高いのはそのためだろうと思われた。郡保健センターは水道会社から水を買っているし,一般家庭も泉の水を水源にしているのだが,あれだけ溜池があれば上水も下水も混ざってしまっても不思議はない。溜池は何のためにあるのかと聞いてみたら,ナマズを養殖するためだそうだ。ここの食事も美味だったが,腹具合のことを考えて控えめにしておいた。

車の冷房が効きすぎているから体調が悪くなっているのかもしれないが,14:00過ぎに保健局に戻ってきて,明日のワークショップの準備に取り掛かった。とはいえ,主な仕事は,研修で使うコンピュータを3階に運ぶことであった。久々に肉体労働をして,いい汗をかいた。

その後,17:00過ぎまで報告書作成を進め,ホテルに帰った。18:30から食事をしたが,パイナップルとトマトのスープが実に美味だった。23:50頃就寝。

ワークショップ1日目

今日も5:45に自然に目が覚めた。どうも夜中に窓際のコンセントとクーラーのブレーカーが落ちてしまったらしく,X22がバッテリー動作してスリープモードになっていたし,クーラーは電源が入らない。まあ,まだそれほど暑くないからいいけれど。

Park at Vinh city

6:30に朝食のためレストランに行き,今日もフォー・ガァを食べる。レモンジュースも頼んでみた。たぶん砂糖が入っているのだが,ほの甘くておいしい。今日はワークショップなので,7:30に他の専門家と一緒にホテルを出ることになっている。JICA事務所からソイテには一人で向かう。行き着けるだろうか? というのは杞憂で,ソイテまで送って貰えて良かった。ちなみに,ソイテの前にある公園のホーチミンの像は右写真の通り。今は観光シーズンなので,4月にオープンしたばかりのこの公園目当てで泊まりに来る人が多く,ソイテの周囲のホテルはどこも満室なのだそうだ。

ワークショップはほぼ予定通り,8:00過ぎに始まった。最初は保健統計データのレポートのためにソフトを使いはじめて,どんな問題点に気づいたか,といったことを郡ごとに発表してもらった。さくっと終わるつもりだったのだが,演説したがる人が多くて午前中一杯かかった。いったん食事のためJICAの車でホテルに戻り,再びソイテに戻って14:00過ぎから午後の部に。紙の上でデータチェックをするのだが,なかなか一筋縄ではいかない。Yさんが説明するのだが,聞いていないのか理解できないのか忘れてしまうのか,データチェックとは関係ないことを始める人が何人かいて困る。ぼくも会場を回って見るのだが,おかしなところを見つけて英語で言ってもまったく通じないので結局ベトナム語通訳の人を呼ぶことになってしまい,甚だ効率が良くない。通訳がもう1人いれば効率が上がったのだがなあ,と今更思っても後の祭りである。17:00ちょっと前に一応今日は終わりということにして,会食を今日にするか明日にするかという相談をすると,データチェックの間は元気がなかったのに突然元気になって自己主張を始める人とかがいて可笑しい。こういう人はデータ管理には向いていないと思うが,きっと人材難なのだろう。結局会食は明日の晩(i.e. ワークショップの打ち上げ)ということになったので,今日は他のJICA専門家と一緒にホテルに戻った。

18:30から夕食。Y’さんが最近こだわっているパイナップル入りのスープは美味だと思う。その後,報告書書きでもしようかと思ったが,今日撮ったデジカメ写真の整理をしている途中でいきなり停電した。3分くらいで自家発電に切り替わったが,その後も数分に一度の割合で停電が起こるので,落ち着いて仕事ができない(自家発電中は騒音も結構凄いのだが)。困ったものだ。

ワークショップ2日目

5:50起床。寝汗をかいていたので,シャワーを浴びてから朝食。今日もフォー・ガァ。これは毎日食べても飽きない。今日は7:30からワークショップ開始なので,7:15にホテルを出た。ソイテに着くと,既にほぼ全員集まっていた。すばらしい。

データチェックへの集中力は長くは続かないのだが,グラフでチェックしてもらうという戦略は当たり,おかしなデータを何とかしなくてはいけないという動機付けはかなりできたように思う。もっとも,勝手に何とかしてもらっては(捏造されては)困るので,元のデータに戻って確認し,それでもダメならコミューンに照会するといった作業を面倒でもやってもらわねば,いつまでもデータの品質管理などということはできないので,その辺りを徹底することが必要だと思う。

ワークショップの打ち上げは,夜やるのだと思っていたが,昼を会食することになった。こちらの習慣なのかビールの一気飲みを煽る人がいて唖然とした。ぼくは予防線を張って一滴も飲めないことにしておいたので助かったが,あれは止めた方がいいと思う。食後,時間があったのでソイテ近くに住んでいるJOCVのTさん宅にお邪魔してコーヒーをご馳走になった。Tさんはホームステイしているのだが,大家さんの大きな写真がそこら中に飾られている家で驚いた。まあ,たぶん気にしなければいいんだろうし,住んでみれば慣れるのだろうけれど。

午後のセッションの開始時刻には一応全員揃っていたが,疲れた感じになった人が多かったような気がする。いろいろあったが17:00過ぎにワークショップが終わって,とりあえずほっとした。迎えの車に乗ってホテルに戻ったのは,昨日と同じ17:45頃だった。18:45から夕食。普通にスープとかいろいろ注文した他に,発酵ソーセージみたいなもの(実はぼくもハノイから来るときにYさんが買って分けてくれたので冷蔵庫に持っている)をKさんが持ち込んで(フンギホテルのレストランは持ち込み可である),チリソースをつけて食べたが,今日もどれも美味だった。部屋に戻って今日の資料整理中。

Vinh最終日には

5:30に目が覚めた。メールを見てから食事。今日もフォー・ガァ。いや,本当に飽きないんだなこれが。7:30に迎えの車に乗って保健局へ。7:40頃着いて,運営委員会で話す提言内容を英語で印刷しておこうと思ったが,英文にするのが途中だったことに気づいて直していたら,8:30開始のはずだった運営委員会が8:00開始だとかいう話になって慌てた。結局8:30になったので間に合ったが,一瞬,どうなることかと思った。

運営委員会での提言は,まず3つのソフトがどういうものでどういう関係にあるのかも知らない状態でやってきて,説明を受けてその内容がわかり,2つの郡を訪問して現場の状況がわかったと前置きしてから,個人ベースのデータベースを作るシステムはそれを受け入れる素地として必要な情報収集システムを機能させるのが難しいだろうから導入は時期尚早であろうということと,これまで紙で手作業でやっていた保健統計情報の集計・報告をコンピュータ作業に置き換えるのは効率が上がるし間違いも減ると思われるから推進したらよいということと,それでもなお,もっとも大事な元々のコミューンの記録の取り方に妥当性がなければ何にもならないので教育が大事だという内容にした。例示もしたので,やや時間がかかったけれど,言いたいことは伝わったと思う。

その後は報告書作りを進め,昼はホテルに戻ってY’さんと食べ,午後再びソイテに行ってYさんのオフィスで報告書の英文の主要部分ができあがったら17:00になっていた。タクシーでホテルへ。20000ドンちょうどだった。今夜は草の根無償援助の契約締結の記念式典があって,そのNGOの人と,大使館の人が来ているので,JICAの日本人専門家と一緒に夕食をとろうという話だったので,軽い気持ちで食堂に行ったら,いつの間に話が変わったのか知らないが,保健局や母子保健/家族計画センターの主要スタッフも来ていて,日本人に感謝するパーティということになっていた。ちょっと飲まされてしまった。一気飲みだけは固辞したが,かなり酔った。明日の朝は7:00にチェックアウトせねばならないので,今日は早めに眠ろうと思う。

それにしても,今回初めて,調査でなく,JICAの専門家という立場で海外に来ているわけだが,やはり学術調査とはいろいろ勝手が違う。いろいろ考えてしまう。国際援助としての技術移転ということを考えるとき,その技術が適正技術であるべきだというのは,最近は国際的に合意が得られていることだと思う。つまり,現地の人が自ら維持できるような技術でなければならない。そうでないと,かつてどこかの国であったように,高価なX線撮影装置を何台も寄付したけれど,メンテナンス技術をもった人もいなければ,壊れたときに修理できる人もいないために,あまり時間が経たないうちに巨大なスクラップの山になってしまったという悲劇が起こりうる。コンピュータの場合はビジネスベースの方が先に進出しているので,スクラップの山になることはない。しかし,技術者層が薄いことは確かなので,あるシステムを持続的に使っていけるようにするために,指導者を育成するだけでは,せっかく育てた人が他のセクションから引き抜かれて,システム全体が崩壊に陥ることは容易に想像できる。だから,むしろ必要なのはユーザ全体の底上げである。時間がかかるし面倒なことには違いないが,それをやっていこうというYさんの決意にはいたく感動した。応援したいと思う。

ハノイの夜に蛇の頭を食べようとしたら

15日金曜。日本では終戦記念日である。5:30に目が覚めたが,メールを見たら,今日までに大学に提出しなければならない書類が提出されていないことを指摘するメールが入っていた。すっかり忘れていた。幸い,X22にフォームが入っていたので慌てて埋めたが,枠が狭くて,コピーアンドペーストするのに難儀した。送信し終わったら既に7:00とチェックアウトしなくてはいけない時間である。慌ててロビーへ向かい,チェックアウトしたのだが,8泊かと確認されて咄嗟にはわからず慌てて数えたり,ドルで176と言われてドンで払いたいから換算してくれと頼んだり,で余計に時間がかかった。ともかく275万ドンくらいの額を払って何とかチェックアウトを終え,パスポートを受け取ってハノイに向かう車に乗ったときには7:20になっていた。予定より10分ほど遅い。一緒にハノイに行くYさんにもだが,見送りにロビーまで降りてきてくださった他の専門家の方々には申し訳なかった。しかも,車が出て10分くらいしてから気づいたが,浴室に洗濯紐を張ったままで出てきてしまった。勿体無いことだ。

Drive in

約5時間の旅は往路と同じく途中で休憩してココナツジュースを飲んだが,お菓子を1つ貰えた。朝飯を食べる暇がなかったので大変空腹だったためか,とても美味しかった。けれど,ここで2つ以上いってしまうと,ハノイに着いてから食べる昼飯が入らないかもしれないと判断し,1つで止めておいた。それにしても,この休憩所は,要するに国道1号線沿いでハノイとヴィンのちょうど真中辺りにあるので恰好のドライブインなのだが,同じような店が何軒も並んでいて,よく淘汰されないものだと思う。あまり客引き合戦をしているような雰囲気もないし。ちなみに,右の写真はその入り口である。Bia Hoiと書いてあるのは,工場でできたビールを缶や瓶に詰めた後に残る二級品を樽に入れたものを買ってきて小売りしているものをいう。つまりは店先で飲ませるのだから,Bia Hoiと掲示されている店はビアホールのようなものだ。ドライブインがビアホールでいいのかというと大いに疑問なのだが,ベトナムでは飲酒運転は大目に見られているような気がする。同じ業種の店が固まって何軒も並んでいるというのはドライブインに限らず,そのつもりで見てみると,ハノイの町でも普通の営業形態のように思われる。秋葉原電気街とか合羽橋道具街のように,見る人が見れば同業種でも店の間で微妙に専門が違うのだろうか。それとも,まったく同じなのだろうか。

予定通りにハノイに着いて,地元の人らしい客で一杯の定食屋風の店に入った。ご飯が広い皿によそわれて出てきて,何種類もの具が並んでいるのを指差してトッピングしてもらうという形式なのだが,どれもとても美味しい。これで一人分が100円もしないのだから安いと思う。もっとも,これを安いと思うのは為替相場のせいで,給料もこちらの人は安いから,決して安い店ではないのかもしれない。

ホテル日航ハノイにチェックインして1時間ほど時間があったのでメールを見たら,朝送ったメールが届いていないような雰囲気の催促メールが入っていたので,宛先を変えて再送信した。保健省に行こうとして部屋を出るとき,扉の下に何かメッセージがあることに気づいた。ロビーの受け付けに行ってみると,ヴィンからのFAXだった。何でも,フンギホテルが電話代を請求し忘れたとのこと。仕方ないので約12万ドンをYさんに持っていってもらうことにした。慌てるといろいろ失敗があるものだ。

保健局での仕事がほぼ予定通り終わったので,本屋と土産物屋に行くことにした。本屋では英語とベトナム語の辞書と地図とベトナムの食材と料理が載っている本を買うのが目的だったが,どれもだいたい予算内で買えた。土産物屋では頼まれていたバッグの他,コーヒーや茶を買った。本当はコーヒーは豆で欲しかったし,茶器も欲しかったのだが,土産物屋では豆売りはしていなかったし,茶器は運んでいる途中で壊れそうだったので諦めた。これで日本に帰る準備も整ったといえよう。

ホテルに帰ってからは報告書作り(合間にJECHの査読をするための手続きをしたりOOo1.1RC3をダウンロードしたりしたが)を継続。終わらず。18:30頃Yさんが来て,BACH MAI病院でJICA専門家として仕事をしている阪神タイガースの熱狂的なファンの方(お名前は失念したのだが,仮にTさんとしよう)と一緒に18:45から夕食に出ることになった。わりとJICA専門家には有名な店らしいHue料理を出す店に行った。豆腐とトマトの卵のスープとかドラゴンフルーツのジュース(YさんとTさんはHueのビールを頼んでいたが,ぼくはまだホテルに帰って報告書作りをしなくてはいけないのでジュースにした)とか,揚げ春巻きとか生春巻きとか,普通に美味しそうなものを頼んだ後,Steamed Snake Headというメニューが目に入った。かなり高いので,これは大きな蛇の頭なんだろうということになり,話の種に注文してみようということになった。他の料理が全部でて,美味しいなあと言いながら食べ終えそうな頃になって,厳かにフォークとナイフが3人分出てきたので,いよいよかと思って期待して待っていると,なぜか大皿に載った魚が出てきた。なんで魚なんだ,蛇の頭じゃないのかと思って,これは注文したのと違うからメニューを持ってくるように言ったが,給仕の人がメニューを指して,確かにこれで間違いないという。不思議だなあ,と3人で顔を見合わせたとき,やっと我々は間違いに気づいた。そうか,これはSnake Headという名前の魚だったんだ,と。よく見るとライギョみたいな魚で,確かに頭の形は蛇に似ているし,メニューのフランス語の方をよく見たら,ちゃんとpoissonと書いてあった。給仕の人に謝って,気を取り直して食べてみたら,なかなか美味しい魚だったので,まあ無駄にはならなかったが,蛇の頭でなかったのは,やはりちょっと残念だ。

すぐそばの喫茶店でコーヒーを飲んでからホテルに戻って予定通り報告書作りの続き。でも終わりそうにない。どうせ明日はほとんど一日中飛行機の中なのだから,半徹夜でやるつもりだが,それでも怪しい。できるところまでやるしかないが,既に日付が変わりそうな時間だ。

睡眠時間が1時間も取れなかったが

まあ,そういうわけで結局ほとんど眠る時間なく報告書を作りつづけ,何とか細かい部分2箇所を除いて報告書ができあがった(もっとも英文はいい加減でスペルチェックすらしていないが)。Kさんにメールの添付ファイルで和文フォントを含まないpdfファイル(dvipdfmでできる)を送信し,Yさんから預かったUSBメモリに和文フォントを含むpdfファイル(dvipdfmxでできる。英語OSでも和文表示が可能)をコピーしたら,ちょうどチェックアウトすべき時刻になっていた。

さすがにホテル日航ハノイはスムーズにチェックアウトでき,雨の中をJICAの車で空港まで送ってもらって,Yさんにお礼を言って別れた。来年もフォローアップを期待されているようなので,できればまた来たいと思う。JALのカウンターでのチェックインはすぐに終わり,isle側の席がとれたし,その後出国税を払うところで14ドル払うのも,前もってYさんから聞いていたおかげでスムーズにできたし,出国手続きも手荷物検査も何の問題もなく通った。Departureのラウンジの1階上に軽食を出すカフェみたいなのがあって,サンドイッチ(というかチーズトーストなんだけど,サンドイッチという名称で売られている)とコーヒーを3ドルで食べて朝食にした。他には多少土産を買ったのだが,石でできたチェス盤と駒がとても安かったので,つい買ってしまったのは,荷物をとても重くした。これを全部機内に持ち込むのは,多少顰蹙者かもしれないとは思ったが,まあそんなに混んでいるわけではなかったので許されよう。

飛行機に乗ってから暫くは半徹夜の疲れで眠っていたのだが,ブランチが出た後,多少目が覚めたので,報告書を仕上げた。ちょうど機内上映の映画が始まったので,これから見ようと思う。

たぶんCHICAGOという映画だったらしい。ミュージカルだな。演出は非常に悪趣味だったが,聞かせるのは確かだ。最後の曲など感動ものだ。ただ,これだったら映画を見に行くよりもサントラを買う方がいいかも。

そうこうしているうちに飛行機は成田に着いた。気温は高くないがじめじめしているので暑く感じる。手荷物をすべて機内持込みにしたおかげもあって,かなり素早く入国手続きを終えることができた。羽田への移動はNexにしようかと思っていたが,大雨の影響で京成もJRも大幅に遅れているというので,リムジンにした。3000円は京成よりはだいぶ高いが,ほとんど歩かなくていいし,1時間半で成田空港から羽田空港まで行けたので,この選択は正解だったと言えよう。カウンターに行くと,予定の福岡行きの到着が遅れていて,早い便に変えてもいいというのでそうして貰った。20:00に福岡空港に着いた。ただ,今回はさすがに全部機内持込みというわけにいかず(実は大丈夫だったかもしれないが気が咎めたので)土産物を預けたので,それが出てくるまで待つ必要があり,地下鉄に乗れたのは20:30頃だった。予約しておいたロイネット博多駅前にチェックインできたのは20:50頃だった。ここはすぐ隣にロイヤルホストがあるのだが,そのまた隣にヨドバシカメラのビルがあって,4階がレストラン街になっていたので,そこの蕎麦屋で蕎麦とかやくご飯のセットを食べた。やはり機内食の蕎麦とは違う(もっとも,戸隠の蕎麦に比べると今一つだが)。ここのヨドバシカメラは夏の間は23:00まで営業しているので,コンピュータ部品売り場を見たら,このところコンピュータの店に入る度に探していたI.O.DATAの1394-iCN2があったので,衝動的に買ってしまった。うーん,さすが博多である。ロイネット博多駅前は全室インターネット接続されているので,飛行機の中で完成させた報告書をメールで送り,これからこのページをアップロードしようと思う。

疲れたけれど,いろいろこれまでできない体験をした出張であった。


Correspondence to: minato@ypu.jp.

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