すっかり寒くなった。手袋をしていても自転車のハンドルを握っていると容赦なく染み通ってくる寒さで凍えた手は,電車にのって10分くらいは自由に動かない。ペンシルヴェニア州立大学にいた頃みたいに手袋の2枚重ねをしなくては12月,1月はつらいかもしれない,と思う。
先週,常用しているバッグが壊れた。荷物を入れすぎて,過負荷になったのかもしれない。VAIO 505RX,電源,フロッピードライブに加え,本を数冊と論文を何本か,それに500ミリリットルの魔法瓶くらいしか入れていないのだが,リュックとして使用する場合の左側の肩掛け部分が取れてしまったのである(5ミリくらいの幅で接続部分は残っているので,正確を期すなら「取れかかってしまった」というべきだが)。まあ,リュックとして使えなくても,自転車に乗るときはカゴに入れることができるので,実用上たいした問題はない。カゴが重くなるとハンドルを握る手に力が掛かり,風の冷たさが余計に手に染みる,というささやかな欠点を除いては。
ところで,過負荷になると壊れる,という意味では,道具もヒトも同じである。ヒトが過負荷によって壊れるのは,いわゆる「生活習慣病」という病態と一致している場合が多い。今朝の信濃毎日新聞に,厚生省が1996年から成人病を生活習慣病と呼び名を変えることにしたのは,本来行政がなすべき環境安全整備から個々人の努力に下駄を預けるという意味で責任回避だ(生活習慣病の原因は,遺伝,加齢,外的要因,生活習慣の4つだから)という論考が載っていたが,成人病という呼称も加齢だけに焦点をあてたものだから,やっぱり正しくない。ダイオキシン汚染とか社会的ストレスといった外的要因を減らすよう厚生行政努力がなされるべきで,個々人の生活習慣改善努力の必要性は大事だけれど2番目以降のはずだ,という主旨には賛同するにしても,では何と呼べばよいのか,著者は明確な答えは与えてくれていない(たぶん,主旨に添うなら環境・社会ストレス病と呼ぶのが良いのだろうけれど)。
意味するところは同じなのだから,これはエイリアスの問題である。辞書でaliasを引くと「別名 (also known as = a.k.a.)」などと出てくるが,ヒトの脳を外部化したものであるところのコンピュータの操作では,わかりやすく覚えやすい別名を与えることがよく行われ,エイリアスと呼ばれる。unix系のOSではその定義が自由にできるところが利点である。シェルが解釈するホームディレクトリのドットファイル内にエイリアスの設定をして,llをls -laと解釈させるようにすることは良くやられているし,前にも書いたように/etc/aliasesというファイルに設定すれば,メールアドレスにもエイリアスが使える。メールアドレスのエイリアスとしてコマンドを発行することもでき,この仕組みを使ってメーリングリストが便利に運営できるわけだ。ここのコマンドの中でパイプが使えることはman aliasesかman forwardすれば書かれているが,パイプだと前後のコマンドが同時に実行されるので都合が悪い場合があり,そんなときはセミコロンで区切ったマルチステートメントが使える(ぼくの経験によれば,セミコロンの後のコマンドはセミコロンの前のコマンドの実行後に解釈されるらしい)ということは,manには書かれていないTIPSである。
もちろん,たくさん設定しすぎてもいけないのだが,正確な名前はオプションをごたごたつけて「紛れのない」ものであることを第一義にし,それとは別に,わかりやすく覚えやすい別名を付ける,というのがエイリアスというアイディアの骨子である。この考え方を応用すれば,いわゆる「生活習慣病」を何と呼べばよいのかの答えも見えてくるのではないか? 正式名称を,「遺伝・加齢・環境ストレス・社会ストレス・生活習慣等の複合作用による慢性疾患」として,適切なエイリアスを付けてやれば良いのだ。エイリアスは複数あっても良いのだから,場合によって生活習慣病と呼んでもいいし,環境社会ストレス病と呼んでも良いというわけだ。如何なものだろうか?