枕草子 (My Favorite Things)

【第276回】 ニューマシン設定その1(2000年4月11日)

今朝は晴天なのだが,昨夜自転車を長野駅に置いてきてしまったので,長野電鉄に乗って6:43発あさま502号に乗りついだ。空の明るさというか,窓から日除けのメッシュ越しに射し込んでくる陽の強さは,春の訪れを感じさせる。今日の往路はタイプするのに疲れたのでDIME 4月20日号をパラパラと眺めていたら,陰陽道の大家,安倍晴明が若い女性に大人気という記事があって,あれ,陰陽道ってどこかで最近聞いたなと思い出してみると,山形県の下水道工事が進まない原因が大将軍の方角を掘るのを嫌う人が多いことにあるという話だった。DIMEの記事は,荒俣宏「帝都物語」がブームの発端で,岡野玲子「陰陽師」(漫画らしい)でブレイクしたという主旨だったが,1000年以上前の人にとっては,今頃人気が出ようがでまいが関係なかろう。今号のDIMEでもう一つ目を惹かれた記事は,p.50-51の新日本酒紀行で取り上げられている亀岡酒造の話。読んでいるだけで涎が出そうな「14年熟成生酒 銀河の紙ふうせん」とまではいわないが,「7年熟成生酒 秘蔵しずく酒」くらいは一度で良いから飲んでみたいものだ。

さて,本題。先日組み立てたニューマシン群3台だが,OSを入れないまま放っておく訳にもいかないので(実は,試運転として死亡モデルのシミュレーションをやらせてみようかなどという野望もあったりするのだが),まず1台目の事務用マシンにWindows98SEをインストールするところから,昨夜着手したのだった。

いきなりのつまづきがあった。起動フロッピーを読んでくれないのだ。フロッピー自体は他のマシンで起動可能なことがわかったので,BIOS設定でフロッピードライブコントローラをチェックしたが,有効だった。残る可能性はフロッピードライブか接続ケーブルなので,筐体を開けて接続ケーブルを確認すると,果たしてドライブ側が上下どちらでも物理的にはささるようになっていたので,ケーブルを抜いてひっくり返して差し直してみたら,めでたく起動フロッピーにアクセスするようになった。余談だが,星野金属工業のJazz LVという筐体は,側面を開けるだけなら工具はいらないし,フロッピードライブにアクセスするために上面を開けるにもプラスねじ2つを外すだけで良いという優れものだ。ケーブルの差し直しなんてことがあると,このメンテナンスのしやすさは絶賛に値すると思う。値段がだてに高いわけではないということか。

実はCドライブのフォーマット開始を見届けて昨夜は帰ったのだ。いくらCPUがPentium IIIの600 MHz,メモリ256 MBで,ギガバイト社GA-BX2000+のUltraATA66ポートにつないだハードディスクとはいえ,22 GBのフォーマットは短時間では終わらない。あまりにトロトロと1%ずつ増えていくので待ちきれなかったというわけである。

研究室に来て,メールを見てから,午前中はソロモン諸島調査関係の会議で終わる。

研究室内の席決めなど雑事を処理しながら,Windows98のインストールを続ける。といっても,Windows98のインストーラが要求してくるオプショナルなデバイスドライバはネットワークカード(Linksysの10/100 Base-TのPCIバスに挿す安いカード)のもの,グラフィックカード(Canopus Spectra5400R2)のものと,PCI Mass Strageとかいうものだけである。ネットワークカードは簡単に入ったが,グラフィックカードはデバイスマネージャの要求によってやるのではなく,CD-ROMのWin9xディレクトリ内にあるsetup.exeを実行しないとユーティリティ類が入らないので注意が必要である。PCI Mass Storageが最後に残った謎で,とりあえずスキップしてインストール完了後,I.O.DATAのATAPI接続のMOドライブのユーティリティと,リコーのCD-ROM/R/RW/DVD-ROMマルチドライブ付属の各種ソフトをインストールしたが,変わらない。しばらく考えて,マザーボードのUltraATA66サポートドライバがあるのではないかと思いつき,入れてみたら解決した。これで,基本設定は何とかできたことになる。

なんてことをやっているうちに19:00になってしまった。同時進行で教室同窓会案内のページを更新。こうして今日も雑用で暮れてしまうのだった。帰りは終電の予定。

火曜日だというのに終電は結構混んでいて,上野から大宮までは席がなかった。いつものことながら,大宮で降りる人が1つの車両に10人以上いるので,空いた席に座りながら考えた。東京から大宮なんて京浜東北線でもせいぜい45分くらいのものと思うが,15分短縮できることと,座って仕事ができることのメリットがそれだけ大きいということなのだろうな,と。長野は寒かったので自転車を漕ぐ脚が坂の途中で止まってしまい,後は押していったため,家に着いたら0:25,食事などして就寝は1:30。やはり終電の1本前には乗るべきと反省した。


前【275】(上野の桜(2000年4月10日) ) ▲次【277】(ニューマシン設定その2(2000年4月12日) ) ●枕草子トップへ