枕草子 (My Favorite Things)
【第503回】 典型で代表させることの問題点(2001年4月4日)
- 目覚めると雪が降っていた。朝食をとっている間に日が射してきたが,自転車で長野駅に向かう道でも,まだちらちらと天気雪が降り続いていた。雨よりはいいが。往路あさま504号。
- オセアニア学会のシンポジウムで感じた,経験的に意味のある典型例を抽出する方法論の弱さについて補足しておく。日常生活でも典型例は目に付くから,ついつい我々はそれが印象に強く残り,それによって対象を代表させるという間違いを犯してしまう。典型例は,他の(多くの場合,それと比較されるべき)対象との違いを明確化することに意味があり,対象の本質を代表するものではない。例えば,「男らしい肉体」というと,筋骨隆々たるヘラクレスみたいのが想像されると思うけれど,性染色体としてXYをもつヒトの表現型として,例えば筋量の分布をとってみれば,あんなのは上位5パーセンタイルのもので,外れ値に近い。代表値として統計的に良く用いられるのは,平均値,中央値,最頻値だが,そのどれとも大きく異なるだろう。それなのに,ヘラクレスを想像してしまうのは,それが,性染色体XXをもつヒトの分布と比較したときの違いが大きいからだ。「典型」とはそういうものだろう。
- 我々の認知機能には共通パタンを抽出する能力もあるけれど,他と違うものを「目に留める」能力もあって,後者は自然の中で生きていく上で有利な機能だった(敵を見つけるのに役立つと思われる)が故に,大脳の機能として大きく発達してきたように思う。つまり,典型例を典型たらしめているのは,対象に備わった性質ではなくて,観察者の脳の特性だと思う。だとすれば,やはり典型で代表させることには問題がある。研究において記述したいのは対象の本質であって,観察者の脳ではないはずだ。
- さまざまな人の移動歴の中から典型的なものをいくつか選んで分析するという方法論は,他との違いが明確なパタンを抽出することになりがちで,その結果として,目立たない移動歴や,ぐちゃぐちゃな移動歴を排除してしまいかねない。ぐちゃぐちゃなことに本質的な意味があるかもしれないし,一見意味がないように思える地味な移動がその集団の本質かもしれないと考えれば,この方法論の問題点は明らかだろう。統計学の知見を援用するならば,全事例をパタン分けしてそのパタンを説明するとか,なんらかの尺度で(尺度は複数あってよい)一列に並べて中央値となったパタンを分析すべきであろう。あるいはランダムサンプリングする方が,代表性という意味では優れていると思う。
- 日常生活でも「○×は〜△□だから……」と印象判断せずに,事例の代表性を見直してみるといいと思う。情報源自体にpublication biasもかかっているし,なかなか難しいだろうけど。
- オセアニア学会のメーリングリストの更新とか,教授のコンピュータへのウイルスバスター2001のインストールとかいった雑用をこなしながら,ソロモン諸島調査報告のうち1つの村について詳しくまとめるという作業をした。来週月曜が締め切りなので慌ててやっているのだが,なかなか終わらない。雑用と言えば,結局国際保健学専攻のwebサイトというのを新しく立ち上げることになったのだが,その初期設定もやらねばならなくなった。仕事はたまるばかりだ。
- 生協から電話があって,新humeco1になるべきCompaq ARMADA M300が届いたというので,明日配達される前にOSをダウンロードしておこうと考え,NetBSD1.5とFreeBSD4.3をダウンロードした。後はこれをCD-Rに焼いておけばいいのだが,今日は18:30から飲み会に出かけるので間に合わない。
- 門前仲町での飲み会は,最初狙った店は満席で入れなかったが,まあまあ安くてそれなりの味の店だった。話題が楽しかったので,店の印象まで良くなった。門前仲町から東西線で日本橋乗り換え,銀座線で上野というルートは30分もかからないので,だいぶ余裕をもって終電に乗れた。終電にしては珍しいほど空いている。
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