は,橋本治がルーブル美術館を取材したときに,何も考えずぷらぷら歩いてあるがままに情報をインプットしておいて,あるとき不意に「こう見たらいいんじゃないか」という筋道を思いついた後になって初めて,何を見ていたのかがわかると書いていたのと通底する。観察という方法すべてに通じる至言だと思う。逆にいえば,仮説というフィルタを通してしか,ヒトはものを観察できないということでもあるのだが。小学校から大学まで「観察」の授業を受けてきたけれど,結局,その意味や目的が理解できずじまいだった。同じような疑問を抱いているヒトも少なくないのではあるまいか。観察とは何だろう? 何を見ることなのだろう? ぼくは無意識に,観察する意味を探していた。
しかし,解明は突然にやってくるものだ。どこに書かれていたか忘れてしまったが,
「観察するには,仮説が必要である。仮説がなければ,何も観察できない」と記している本があった(これはダーウィンの言葉だったと思う)。(p.32)