枕草子 (My Favorite Things)補遺・その1
お茶にタンニンが入っているとか,よく言いますよね? でも,よく考えてみればtanninという化合物があるわけじゃなし(tannic acidというのはあります。世界の人々の味覚の違いを調べた論文で使っていた「タンニン」は,このtannic acidですし,下に書いた,蜂蜜の実験で使われたのもこれでした),何なのだろう? と思ったわけです。
「タンニン活性」としても,何らかの名前の素があるはずですよね。それで,いろいろ調べているうちに, 解答が書かれている本を見つけました[1]。
そもそも,tanninってのは,英語の成り立ちからすると,「tanの素」ですね。tanというのは,「革をなめす」という意味です。つまり,革をなめすために使われた植物由来の物質(初期の英国ではオークの樹皮の抽出物)がtanninだったわけですね,もともとは。オーク樹皮の抽出物でなめすには数ヶ月かかっていて(現在のドラム式でやれば同じ物でも3日でできるそうですが),高速化の要求から19世紀の英国人たちは世界中に良い「タンニン」を探しに行ったわけです。
そうして見つかったいろいろな「革をなめす作用をもつ」植物抽出物を分析して,「革をなめす作用」,つまり,「タンパクや多糖類やアルカロイドのような高分子の物質と複合体を作る性質」があるものをタンニンと総称するようになったわけです。そのため,1957年のWhiteの定義では「分子量500から3000の水溶性のフェノール化合物で,仮に通常のフェノール反応を示さなくても,アルカロイド,ゼラチン,その他のタンパクを沈澱させるような特別な性質をもっているものはタンニンと呼ぶ」とされています。
しかし,分析化学の進歩に伴って,これら「タンニン」の,「渋味」と鉄などの金属と色の付いた溶液や沈澱を作る性質にも言及されるようになり,例えば1976年のConcise Oxford Dictionaryの記載は,「(1)オークの瘤またはさまざまな樹皮から得られ,革をなめしたりインクを作ったりするのに使われる,いくつかの渋味をもった物質の総称,(2)[現代的意味]複合体で非晶質なフェノール様物質で,染色の色止めや,収斂薬として使われる」だそうです。
自然保護運動が盛んになってきて「革をなめす」ことが白眼視されるようになってきたこともあって,HASLAMは,現在ではタンニンより「ポリフェノールと呼びたいし,その方が科学的分類クラスである」と前書きで言っています。"Polyphenols (syn. vegetable tannins)"とかいう書き方をしています。緑茶のflavan-3-ols((+)-カテキンや(-)-エピカテキンなどを含む)やコーヒーのクロロゲン酸類は,ポリフェノールでなくsimple phenol derivativeであって,低分子である上にタンパク沈澱をさせないのでauthentic tanninsとはいえない,という立場なようです(前掲書)。
まあ緑茶はflavan-3-olsの没食子酸塩である(-)-エピカテキンガレートなどを含んでいて,これらは渋味もあり分子量も500近いので,これをタンニンと呼ばないわけにはいかないと思いますが。
それから,カテキン酸というものは実在するようです。アルカリ条件下で(+)-カテキンがparallel rearrangementを受けるとカテキン酸(catechinic acid)になるということで,この変化はエピマー化の速度の1/5で起こるそうです。
テアフラビン自体は(-)-エピカテキンと(-)-エピガロカテキンが酸化して縮重合した構造で,没食子酸塩ではありません(ガレートにはなっていない)[2]。
テアフラビン類には少なくとも10種類以上知られていて,テアフラビンの分子量が564で,テアフラビンガレートの分子量が716です。すべて紅茶の醗酵過程で生成しますので,緑茶にはありません[3]。
テアルビジンは,無茶苦茶複雑な話になっています。結論から言うと,テアルビジンは単一の化合物ではありません。
Thearubigins are complex structures having an average molecular weight of about 700 and are presumed to be derived from theaflavins.
だそうです[3]。さらに,最近(1990年の論文),紅茶抽出物をHPLCで分析した結果では,44個検出された分画のうち4つか5つを除いてすべてがテアルビジンと分類される物質で,そのうち少なくとも26個は6種類のカテキン類をポリフェノールオキシダーゼで酸化した物をmixして合成されうるそうです。さらに,古典的な2次元薄層クロマトグラフィーでは,テアルビジンSIIという動かない画分があり,ここを分析すると多糖類,タンパク,核酸が含まれていたそうです[2]。相当高分子のものまで含むcomplexなのでしょう。
Roberts and Smith (1963)の分光光度法による測定で,ティークリームはカフェイン17%,テアフラビン類17%,テアルビジン類66%からなるという結果がでたとのことです(これに微量の他の成分が混じったもの)[3]。よく言われる1:1:4は,おそらくこの比を整数化したのでしょう。Wickremasinghe and Perera (1966)の分析ではティークリームの主成分のうちテアフラビン類はテアフラビンガレートであるとなっています[3]。ティークリームの形成は抽出前にも抽出中にも起こるけれども,湯温が60℃未満に下がるまでは見えないそうです[2]。
「コーヒーは,高濃度のchlorogenic acidsを含んでいる。この語は,quinic acid(キナ酸?)の,さまざまな種類のcaffeic acid(コーヒー酸?)やferulic acid(フェルラ酸?)とのエステルを指すものである」[3]から,chlorogenic acidsといった場合は,たんに総称なのではないかと思います。
コーヒー生豆に含まれる量からすると,アラビカでもロブスタでも3-CQAより5-CQAの方が1桁多いです(だいたい,3-CQAが乾燥重量ベースでクロロゲン酸類の0.5%くらいなのに対して,5-CQAは5%くらい)[3]。1987年のJ. Food Sci.のNagelらの論文では5-CQAの官能検査(かどうかは今一つ定かでないですが)をしてIs chlorogenic acid bitter? というタイトルをつけています。ナンバーの振り方は,いわずもがなですけどIUPACで決まっているはずなので,複数の文献で5-CQAと呼んでいるところを見ると5-CQAがメインという言い方でいいのでは?
蜂蜜は花蜜由来の筈だから,たぶんクエン酸鉄あたりだろうと思って,調べてみたのですが…。いやー,奥が深いです。養蜂の専門誌に論文が載っていました[4]。これによると,蜂蜜にも微量ながらタンニンが含まれていて,蜂蜜自体の色の違いが,タンニンと鉄の複合体の量によるそうです。ただし,どんなタンニンなのかは調べていないらしく,でていませんでした。紅茶やコーヒーに比べると,蜂蜜の化学は文献が少ないですね(養蜂とか蜂とか花の分類とかに関しては山のように文献があるんですけど)。テアフラビン類は金属イオンとくっついて(これが水素結合なのか配位結合なのかキレートを作っているのかは不明です)発色するので,まあdarkeningが起こるのはタンニン=鉄のせいとは言っていいと思います。
さて,この論文では,5つの実験をしています。最初の実験が,鉄濃度の高い蜂蜜(42 ppm。主としてmilk vetchの花から集まった蜜[注:どんな花かわからないのですが,vetchはカラスノエンドウですからその仲間でしょう])と鉄濃度の低い蜂蜜(野生の花のmixから集まった蜜で,鉄濃度は10.4 ppm)をそれぞれ11.9グラムずつ紅茶に加えて,鉄が高濃度の方は色が暗くなったけれど鉄が低濃度の方は見た目の変化はなかったというものです。鉄が高濃度の方を加えた時の550 nmでの吸光度変化を経時観察して,発色の90%は30秒以内に起こるので,非有機的(inorganic)反応であることを示唆するといっています。
第二の実験は,鉄濃度の高い蜂蜜を水で薄めて陽イオン樹脂をつけて一晩かき混ぜて鉄を水素で置換した後,この蜂蜜を紅茶に入れても発色しなかったというものです。
第三の実験は,tannic acid(digallic acid=没食子酸の二量体?)の0.1%溶液を作り,これは化学的に紅茶のポリフェノールと似たような物が似たような濃度で存在していることになるので,ここに上記の2種類の蜂蜜をいれてみて変化を見たところ,鉄が高濃度の蜂蜜の方が液色が黒くなったというものです。
第四の実験は,塩化鉄(III)(つまりFeCl3)溶液を作り,紅茶に徐々に加えていって550 nmでの吸光度の変化を見ると(もとの紅茶の吸光度を対照として),鉄を加えるごとに紅茶の色が暗くなったというもの(図がでているのですが,ほぼリニアに見えるくらい)です。
第五の実験は,2種類の蜂蜜を紅茶に加える量を徐々に増やしていって550 nmの吸光度がどう変わるかを曲線で示しています。鉄が低濃度の方の蜂蜜を加えた時は9 g以上加えても0.3くらいの吸光度の変化で,それ以上蜂蜜添加量を増やしても吸光度は変わりません。鉄が高濃度の蜂蜜では2 g強で0.3の変化,9 gでは0.7くらい変化し,それ以上蜂蜜添加量は増やしていないのでわかりませんが,0.2以上の吸光度の変化があれば目に見えてわかるそうなので,鉄低濃度蜂蜜でも若干は暗くなることがわかったとしています。
蜂蜜の鉄が高濃度になる原因として,もとの花の違いに加えて,この著者は,輸入される蜂蜜は,鉄のドラムに入れて長い間貯蔵されることがあるので,その間に蜂蜜のpH 3.9と有機酸によって鉄が溶け出したのだろうと推論しています。だから,必ずしもmilk vetch honeyなら紅茶の色を暗くするとは限らないそうです。
[1] HASLAM, Edwin (1989) Plant polyphenols: Vegetable tannins revisited. Cambridge University Press, Cambridge. ISBN: 0 521 32189 1.
◆Cambridge University Pressの天然物化学・薬理学のシリーズにあるので,信頼性は十分と思います。著者HASLAMが1966年に出したChemistry of vegetable tanninsという本は皮革産業や革貿易業者との関連から世界中に悪い意味での波紋を呼んだそうですが,今度のは革命的に変わって完全に科学的になったので汚名を雪ぐものであろう,と前書きで著者自身いっているのが面白いです。
[2] WILSON, K.C. and M.N. Clifford [Ed.] (1992) Tea: Cultivation to consumption. Chapman & Hall, London. ISBN: 0 412 33850 5 (0 442 231419 1 in USA).
◆Chapman & Hallのテーマ別決定版みたいな本の一つなので,700ページを超える厚さですが,これはすごいです。UkersのAll about teaが入手困難な現在,これ以上のteaの本はないかも。上の引用は,ほぼ17章からのものです(っていうか,17章しか読んでません)。緑茶と半醗酵茶についても13章に書かれています。13章の著者は1986年に伊藤園のSenior ChemistだったT. TAKEOという方です。
[3] Russell L. Rouseff [Ed.] (1990) Bitterness in Foods and Beverages. Developments in Food Science 25. Elsevier, Amsterdam-Oxford-NY-Tokyo ISBN: 0-444-88175-1.
◆9章がteaの苦み,10章がcoffeeの苦みについて簡単にまとまっていました。9章の著者は,Tei Yamanishiさんというお茶大のLab. Food Chem.にいた方です。しかし驚いたのは,10章(こっちの著者は日本人ではない)の引用文献に出てくる日本人研究者の多さです。日本の食品工学・農業化学って盛んなんですね。
[4] Landis W. Doner and Stephanie J. Jackson (1980) Darkening effect of high iron honey on tea. American Bee Journal, 120(7): 516-517.
◆この雑誌,驚いたことに100年以上の伝統があります。養蜂情報が豊富ですが,ときどきこの論文みたいに実験報告も出てきます。