山口県立大学 | 看護学部 | 中澤 港 | 公衆衛生学

公衆衛生学−6.精神保健

参照(次回へ

▼「シンプル衛生公衆衛生学」第10章,「公衆衛生学」第10章

▼関連した講義があるはずなので,そちらで補完されたい。公衆衛生学では制度を中心に説明する(「シンプル衛生公衆衛生学」では10-5と10-6)。

内容

精神と大脳の働き
(関連講義で補完してください)
●mental healthとは? 大雑把に言えば,脳の機能が健康なこと(健康自体が社会の文脈に依存することに注意)。英語でmental healthといえばspiritual healthとは違うので,「シンプル衛生公衆衛生学」に「気」もしくは「霊魂(たましい)」とあるのは厳密さを欠く。ただし,健康自体が社会の文脈に依存するので,大脳生理学的条件だけでは規定されない。精神は行動に表出するので,その理解には行動観察が手がかりとなる。
●精神状態の要素には,意識(consciousness),知能(intelligence),性格(character),思考(thinking)・感情(feeling)・行為(act),記憶(memory),自我意識(self-consciousness)がある(というモデルが「シンプル衛生公衆衛生学」には載っている)。
●文化も精神活動の産物。
●精神活動と身体の状態には関連がある。大脳から神経伝達やホルモン分泌調節を介してその他の臓器にも影響が出るから。ヒトの大脳新皮質には約140億の神経細胞があり,1個の神経細胞につくシナプスは約1万。神経系は中枢神経系(脳と脊髄)と末梢神経系(その他)に分けられる。意識や知能などの精神活動は脳の高次機能が主体で,その主役は大脳新皮質(とくに連合野)。記憶には海馬など大脳辺縁系も大事な働きをしている。脳の機能の局在性は,脳の障害をもった患者を研究することでかなり明らかになってきた。この辺りの話については,V.S. ラマチャンドラン,サンドラ・ブレイクスリー著(山下篤子訳)「脳のなかの幽霊」角川書店が面白い。
欲求と適応
●欲求には一次欲求(生きていくために必要な生理的欲求:食欲や睡眠)と二次欲求(自我欲求及び社会的欲求:名誉欲や所有欲など,社会の中での自己実現を図りたいという欲求)がある。後者の方がより大脳依存。
●欲求が満たされない場合は欲求不満(frustration)となるが,そのとき欲求を断念したり,その欲求に結びつくイメージを排除しようとする心理的な動きを防衛機制(defence mechanism)という。
●自己実現に結びつくために努力するのは目標に到達するための適応行動なので合理的機制であり,目標をあきらめて別の満足に逃げるのは代償機制である。青年期に性的欲求が高まったときに学問,芸術,スポーツなどに打ち込んで代償機制を働かせることを昇華(sublimation)といい,うまく機制がとれずに精神的に幼稚な行動をとってしまうことを退行(regression)という。
●欲求不満が解消されない場合や人間関係が思うようにいかないなどが原因で日常生活に支障をきたすとき,不適応(maladjustment)を起こしているということがある。適応困難を起こしている状態をストレス状態(stress)といい,その心理社会的原因をストレッサー(stressor),結果としての心身の不調や生活の乱れをストレス反応(stress reaction)と呼ぶ(と「シンプル衛生公衆衛生学」には書かれているが,「ストレス」は複雑な概念であり,別の捉え方もされることがあるので注意)。自分なりに適応状態を維持しようと努力することをストレス対処(stress coping)といい,周囲の支援(social support)が重要である。
精神保健の課題
●個人の努力だけで社会環境の変化に適切に対処することは難しいので,精神的健康を守るためには社会的・組織的援助が必要であり,それが精神保健の課題。ライフステージに応じた支援が必要。
●精神保健福祉法第3条に,精神保健への国民の義務として,(1)精神的健康の保持及び増強に努める,(2)精神障害者等に対する理解を深める,(3)精神障害者等の自立と社会経済活動への参加に対し協力する,ことが明記されている。
精神の測定
●質問紙による測定全般については,池田央「調査と測定」をお薦めする。
●精神的健康度の評価の目的は,正常・異常・健康・不健康という画一的評価ではない。精神的健康状態をある程度定量的に把握することによって,支援をどのようにしたらいいかという対策を立てるのに役立つことが大事。
●精神的健康度の測定方法は,大別すると,面接と心理テスト(質問紙による)がある。
●面接は面接者(interviewer)と被面接者(interviewee, client)からなる。精神状態を把握するためのもっとも基本的な方法。ラポール(円滑な心の交流)が大事。情報を得るだけでなく,語ることで心の癒しをもたらす効果もある(治療的面接)。後者はカウンセリングや精神療法の現場で行われている。
●心理テストは,大別すると,知能検査や適性検査のように最大量のパフォーマンスをみるテスト(例えば内田クレペリン精神検査,ビネー法知能検査,ウェクスラー法知能検査,コロンビア知的能力検査,長谷川式簡易知的評価スケール,労働省編一般職業適性検査(おそらく現在は厚生労働省編になっていると思われる)など)と,日常生活における典型的なパフォーマンスをみるテスト(ミネソタ多面的人格目録[MMPI],矢田部・ギルフォード性格検査[Y-G検査],東大式自記健康調査法[THI],ロールシャッハ・テストなど)がある。
精神障害の現状と動向
●受療率はガンや心疾患より高く,高血圧性疾患に次ぐ。年々緩やかに増加。年齢別では85歳以上が多い。入院患者では精神分裂病(統合失調症)が65%を占め,次いで血管性及び詳細不明の痴呆,気分障害(躁鬱病など)である。外来でも統合失調症が最多だが約4分の1にとどまり,神経症が多い。全国の精神病床数は約36万で,うち約9割が私立病院。平均在院日数が390日であり,他科より極端に長い。退院患者への社会支援システム(リハビリテーションシステム)が不備なために,社会的入院が多くなっている。
●分類の仕方には,原因による分類(内因性,外因性,心因性)と症状による分類(DSM-IVとICD-10)があるが,今後はより客観的で国際標準である後者が中心になるはず。他の病気と違って,精神科ではICDよりもDSM-IVが中心的に用いられている。DSMは多軸診断なのが特徴。
●個々の病気について詳しくはここでは述べない。主な精神科疾患には精神分裂病(統合失調症)(schizophrenia),躁鬱病(manic-depressive syndrome),癲癇(epilepsy),精神遅滞(mental retardation),痴呆(dementia),アルコール依存(alcohol dependence),神経症(neurosis)がある。統合失調症については,天才数学者ナッシュの半生を描いた「ビューティフル・マインド」を読むことをお薦めする。痴呆については脳血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆(アルツハイマー病ということの方が普通)が多い。
精神保健福祉活動
●対象は精神障害者を含む国民全員。一次予防(狭義の予防),二次予防(早期発見と治療),三次予防(社会復帰)を図ることを目的とする点は,精神保健福祉活動も他の保健福祉活動と同様。活動を担うのは保健所と精神保健福祉センター(保健所を指導・技術援助する目的で整備されたもので,各都道府県1つ以上。http://www.pref.nagano.jp/xeisei/withyou/list/list-mhwc_jp.htmにリンク集がある)。ただし,病識の欠如により二次予防が困難な場合があり,2名以上の精神保健指定医の判定により入院しなければ自傷他害の恐れがある場合は強制的に入院させること(措置入院)が可能。指定医1人の判断でも緊急の場合には知事の職権で72時間以内なら強制的に入院させること(緊急措置入院)が可能。精神保健指定医の診察により入院が必要と判定された場合,保護者の同意があれば,本人が同意しなくても医療保護入院という形で入院させられる。他にも,応急入院,仮入院など,本人の意思に反して入院させる場合が多々あるのが精神科の特徴。患者自身の意思により入院する(任意入院)は1999年度の場合,全体の約7割。
●法律としては,1950年に制定され,その後何度も改正を経て,1995年から「精神保健および精神障害者福祉に関する法律」(通称「精神保健福祉法」)となった法律に基づいて行われている(国立療養所賀茂病院のサイト内,http://www.hosp.go.jp/‾kamo/seido/seihohou.htmに詳しい。1995年改正までの法律はhttp://www.hosp.go.jp/‾kamo/seido/seihoh11.htm,1999年改正により,2000年施行分がhttp://www.hosp.go.jp/‾kamo/seido/seihoh12.htm,2002年施行分がhttp://www.hosp.go.jp/‾kamo/seido/seihoh14.htm)。最初の法律は1900年制定の「精神病者監護法」で,私宅監置を公認したもの。1950年「精神衛生法」でやっと私宅監置が禁止された。1965年の精神衛生法改正で通院医療の充実が図られるようになった。1984年に宇都宮病院事件が発生し,1988年に患者の人権に配慮した「精神保健法」となった。1995年改訂で福祉の視点が強くなり,「自立と社会参加の促進のための援助」が目的として謳われるようになった。
今後の対策課題(コメント求む→学生諸氏からのコメント
●早期発見と受診経路の確立。
●精神保健福祉法32条による医療費負担の問題。大枠としての医療費削減という視点から見れば,厚生科学研究費補助金(厚生科学特別研究事業)総括研究の「精神保健福祉法第32条による通院医療費公費負担の増加要因に関する研究」(主任研究者:竹島正)などで指摘されているように,「公費通院制度の適用対象,適用範囲が不明確なことが,公費通院医療費の過剰な増加要因となっている懸念は否定できない」のだが,ある精神科医がウェブ日記で指摘しているように(http://member.nifty.ne.jp/windyfield/diary0211a.html#09),この適用対象や適用範囲を狭めることが,2002年10月1日から運用の変更ということで「通知」されたのは,なし崩し的に弱者切り捨てを生む危険を孕んでおり,精神保健福祉法第3条の考え方に反しているのではないか?
●公衆衛生的によく問題になるのは,精神障害者の自己実現や人権と,公共の福祉との相克である。もちろん両立が理想なのだが,対立しがちなので,2002年秋現在審議中の「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(案)」のような問題が出てくる。この法案の第4章は「地域社会における処遇」にあてられており,入院によらない治療を行わない場合の地域での精神保護観察などが定められている。ただ,これは実施計画に基づいて行われねばならないという点が「地域での」活動に馴染まないような気がするし,人の目が行き届いた伝統的地域社会ではうまく機能したであろう精神障害者に対する緩やかな監視や保護が,現在の地域社会においてうまく機能するかという点については未知数である。

Correspondence to: minato@ypu.jp.

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