「進化:ダーウィンを継ぐもの」対談:ドーキンス vs レニエ

枕草子 (My Favorite Things)補遺・その3

「進化:ダーウィンを継ぐもの」
対談:ドーキンス vs レニエ

Richard Dawkins and Jaron Lanier "Evolution: The discent of Darwin", Psychology Today

Translated by Minato NAKAZAWA, 2001. Last Update on January 12, 2001 (FRI) 09:22 .


レニエ:
私が心配なのは,進化という言葉が,それがなければほとんど共通にもつものがない人たちに,間違った使い方をされつつある,ということです。「ニューエイジ」の人たちの一つの旗印になってきているし,多くのハードサイエンスでもそうですね。このことで,私は際限無くいらいらしています。それというのも,進化は,悪と理解されるべき唯一の自然の力だからです。私たちを作り出した進化の過程は,酷いものでした。
ドーキンス:
進化を,あたかも良いもののように扱うのは,1920年代から30年代の英国の生物学者,Julian Huxleyが推し進めた視点だね。Huxleyは,進化を一種の信仰にしようとしたんだ。反対に,彼の祖父さん,Thomas Henry Huxleyは,進化は徹底的に悪いものだと考えていたし,私も彼に賛成するね。恐ろしい警告として取り上げたいくらいさ。
レニエ:
ここにジレンマがあって,簡単に言うと,私たちの多くはヒトとそれ以外の全世界の間にはっきりした境界線を引くことはできないという信念を支持しますが,もう一方では,自然は道徳とは関係のないものだと信じていますし,自然がヒトの倫理体系に関連してくることはないと信じているわけです。
ドーキンス:
その通り。
レニエ:
ですから,私たちの道徳性の根拠を描き出すのは難しいことです。私たちが,自然とはまったく異なっているという点を見つけるか,自然の一部が悪であると喜んで判断しなければならないかのどちらかですね。
私は,civilizationというものによって私たちが進化の邪魔をする手助けをしてきたと信じていますし,それは良いことだと思っています。困っている人を助けるとか,ハンディキャップのある人が生活し彼らの遺伝子を伝えていけるようにするときにはいつでも,私たちは,私たちを創った過程を拒むことに成功したことになるわけですね。
ドーキンス:
私が思うには,自然淘汰は,本当におぞましい悲惨さの積み重ねの代表だ。跳躍しているライオンとか疾走しているチーターのようなものと,それらが飛びかかろうとしてたり追っかけたりしているアンテロープを見るときには,厄介な武器競争の最終産物を見ているわけだ。その武器競争の道端に沿って,速く走る武器を手に入れられなかったアンテロープの死体や,飢えて死んだライオンやチーターの死体が横たわっているのさ。だから,私たちが今日世界で目にする,すばらしい美とかエレガンスとか多様性を生じさせたのは,おそろしい悲惨さの過程だというわけさ。
自然は美しいね。殺戮マシンとしてのチーターですら美しい。だけど,それを生じさせた過程は実に歯と爪を赤く染めるような性質のものだ。しかし,あなたは,進化を悪と呼ぶとき,もっと先までいいたいんだね。私が単純にいいたいのは,自然はヒトの関心とは情け容赦なく無関係だし,私たちが道徳とか倫理の体系を組み立てようとするときには無視されるべきものだということだ。私たちは,その代わりに,こう言えばいいのさ。我が道を行くってね。私たちは,動物界の中で唯一,利己的遺伝子の命令に従わないほど十分大きな脳をもっているんだから。それに,私たちは,自分たちが暮したいような種類の社会を一緒に組み立てるために脳みそを使える存在,という特別な位置にいるからね。だけど,私たちが絶対にしてはいけないのは,Julian Huxleyがしたように,進化をある種の他山の石のようにみようとすることだ。
レニエ:
しかし,もし私たちが自分たち自身を,私たちを創った進化の凄まじい歴史から切り離したいとすると,私たちがどのように違っているのかを正確に定義するという苦難がありますね。
ドーキンス:
ただこういえばいいのさ。ヒトには,他のどの種にもない,ある性質のゆっくりとした創発があったってね。
レニエ:
あなたは,それらの性質に名前をつけることができますか?
ドーキンス:
その1つは言語だね。もう1つは意識して想像力ある予測をして,今後の計画を立てる能力だ。進化で重要と思われた唯一のことは,いつも短期的な利益だったんだ。長期的な利益が重要視されたことはないのさ。何かが,直接の短期的な個体の利益にとって悪くなるにもかかわらず進化するなんてことは決してありえなかった。これまで初めてそれが可能になったのは,少なくとも誰かがこういったときだ。「この森を切り払うことであなたが短期的な利益を得ることができるという事実は忘れなさい。長期的利益についてはどうですか?」ってね。いま,私は,これが本当に新しくてヒトだけのものだと思ってるんだ。
レニエ:
生存可能性は,私たちの属性を作り出した唯一の原則ですか? 睾丸みたいに奇妙な現象にはどんな利益があります? あれは,まるで,屋根の上の気球で,重装甲戦車を運転しているようなものじゃないですか。
ドーキンス:
なぜ私たちが,あれを安全でクッションのある体の中に入れないで体の外でぶらぶらさせてるか,ってことだね?
レニエ:
伝統的な説明は良く知っています。熱の管理をしなくてはならなかったからという。(精子は体温では長く生きられない)
ドーキンス:
それであなたは,その説明がありそうもないってことがわかっていると?
レニエ:
進化の過程が,熱にうまく対処するより遥かに難しそうに思われる,問題を管理するためのあんなに見世物みたいなメカニズムを作り出してきた,ということです。それに,私たちは,熱に対する驚異の調節メカニズムを私たちのからだの中に既にもっています。私がいいたいのは,私たちは,微生物の侵入や極端な熱や寒さから私たち自身を防御しているということです。もし,ある特定の体温でだけ遺伝子を受け渡すのが不可能だったのだとわかったとすると,私たちはその過程に適した別の体温を進化させることもできたはずですね。だから,ぜんぶひっくるめて考えると,睾丸は,私にはとても奇妙に思えるのです。
ドーキンス:
それは,私の発言だったとしてもおかしくないね。ところで,あなたはZahaviのハンディキャップの原理はご存知かな? まったく的外れのように聞こえるかもしれないが,私が思うには,「無防備な玉」の問題は,この特別な説明がぴったりだ。Zahaviはイスラエルの生物学者で,彼のアイディアは1975年にそれが初めて発表されたときには嘲笑われたんだが,彼は,最近,Oxford大学のAlan Grafenによるある種の賢い数理モデルによって自分の理論の正当さを立証したんだ。ZahaviとGrafenが言っているのは,動物の出会いにおいて,宣伝が重要なときには,--それはとてもとても頻繁に起こるんだが--,その宣伝は,それが代償が大きいことによって証明されるときにだけ信用される,ということだ。英語に訳してみると,男は,「俺がどんなにパワフルな男かみてくれ。俺は,体の外というもっとも弱い場所に玉を身に着けておけるんだぞ。俺は自分の強さと戦士としての能力を証明しているんだから,喧嘩しないほうが身のためだぞ」っていってるってわけさ(訳注:ハンディキャップ理論のことか?)。
レニエ:
それは,悲しい考えですね。宣伝が常識を圧倒してしまうかもしれないというのは。普遍的な数学原理のために。
ドーキンス:
それが機能する理由は,すべての男が,強くない奴さえも,強いというバッジを着けていなくちゃいけなくて,強いというバッジは,それが本当に代償が大きいときにのみ信用されるからだ。
レニエ:
しかし,リチャード,もしこの説明が正しいとすると,なぜ私たちは偽睾丸とか,あるいはたぶん4つの睾丸,うち2つはバックアップとして体内に,みたいなやりかたをしてこなかったんでしょうか? それに,どうして,心臓や肺は装甲なしに袋に入って(体外に)ぶらさがっていないんでしょう? どうして,進化は偶には体のどこか別の部分を選ぼうとかしなかったんでしょう?
ドーキンス:
なぜ頭蓋骨はこんなに分厚いんでしょうって? 明らかに脳を守るためさ。Zahaviの説明の弱点は必然性がないってことだね。あなたが睾丸についてしたような質問を受けるときに,最高の戦略は,答えるのを拒否することかもしれない。なぜって,ある特定の問題を解くときにあなたがその発明の才を働かせることを許したら,人々はあなたがそれに対して答えを思い付けないような別のものを思い付くからね。私たちはここでヒトの心の発明の才を検証しているのではないだろう?
レニエ:
わかりました。しかし,多くの人々が感じているのは,もし進化が何かを説明できないなら,なぜ彼らはそれを完全に受け入れるべきなのかということなんですよ。まだその全理論が疑いを投げかけられてはならないけれど,もしそれが毎度毎度個々の--私たちの恐るべきぶらぶらの起源のような--ことを説明できないならね。科学者は何でも知っているわけではないんです。彼らは,せいぜいある時点であるアイディアを検証する忍耐をもってやっているだけですね。
Psychology Today 編集部:
ちょっと,予測の問題に戻れますか? もし自然淘汰が予測を選択しなかったけれども私たちがその(遺伝子の)命令を逃れることを許すなら,予測(能力)はどのように生き延びてきたんですか?
レニエ:
私の答えは,私たちの予測過剰は,睾丸のようなものだろうということです。完全には説明できない特徴があります。たぶん幸運だったのでしょう。
ドーキンス:
私はむしろ,予測を,何か自然淘汰が私たちに与えてくれたものと考えたいね。というのは,かつて野牛を狩るのに役に立ったからね。私たちは大きな脳みそを与えられ,それはかつてアフリカの平原での生活では融通無碍に役立ったんだろう。しかし,今日,アフリカの平原から外に出てきて,それら同じ脳みそが,たぶんそれまで想像もされなかったような方向に飛び立ったというわけだ。
レニエ:
あなた自身の論理によると,予測は当初は何か直接生存可能性に結びつくことの幸せな副産物だったに違いないということですね?
ドーキンス:
予測は,あなた自身や,あなたの子どもたちの生存を助けるために使うこともできるよ。こういうことができる。「もし私がいま喉が渇いているからといって,この泉の水を全部飲んでしまったら,私の子どもたちは渇きで死んでしまうだろう。だから私は将来に備えてこの水をとっておこう」とね。これは,普通のDarwin流の生存だが,予測が絡んでくるんだ。
レニエ:
しかし,ヒトは野牛(を狩るの)に役に立つなんてものを遥かに超える予測容量をもっているように思います。
Psychology Today 編集部:
過去5年間,あなた,リチャード・ドーキンスはDarwin理論に顔があるとしたら,ますますその顔になってきています。このことは,あなたにとって心地よいですか?
ドーキンス:
そんなようなことが英国で起こったかもしれないというのは知っているが,合州国についてそんなことを言われるとは,本当に驚きだ。もし,それが本当なら,気にしないわけにはいかないね。私は,どのようにして私たちが存在するに至ったかを人々に教えるための本を書いている。Hilaire Bellocというライターが言っているように,「私が死んだら,彼の罪は深いけれども彼の本は良く読まれたと言われたい。」
Psychology Today 編集部:
ダーウィニズムを巡る戦いは最近とくに熱気を帯びてきていると思いませんか?
ドーキンス:
アメリカでは創造論者の口数が多くなってきていると思うね。それに対して何かする必要は感じるし,言葉を控える気はないから,私はたぶんその熱気に貢献しているかもしれないね。
レニエ:
それは,たんに創造論者とダーウィニストの論争というのではないですよ。自分たちが道徳の真空地帯と感じるところにつながって,そこでは自分たちの最高の心の刺激が自然に基礎をもたないから,という理由だけで,進化を受け入れることに不快感を感じる人々の大集団があるのです。
ドーキンス:
私がいえることは,それがとっても大変なことだってことだけだね。私たちは真実と向き合わねばならない。
レニエ:
その答えは十分じゃないですね。人々は,科学に反対しようとしているのです。科学が,自分たち人間は特別なものではなくて彼らがかつて信じていたより尊敬を受けるに値しないと言っているのだ,と感じているのです。多くの進化的な考え方に伴う問題は,私たちがいま何者であるか,そしてなぜ私たちはいまのようなものであるのか,ということに関して何かの主張をすることは,歴史を超えていくのだということです。人間は遺伝子を配達するでくのぼうロボットである,と言ってみたところで,エントロピーサービスとして動いている熱の鰭であるという以上の情報を含んでいませんし,真実でもありません。人類は,いろいろな複数のやり方で理解することができます。遺伝的視野だけが,人を空虚で恣意的に感じさせることがありうるのです。おそらく,もし科学がもっと憐れみ深くて奥床しいやり方で現れたなら,私たちの多くが自分たちの内側に感じている虚しさを何かで満たす助けになったかもしれませんが。
Psychology Today 編集部:
科学が提供できる,他の視点は何ですか?
レニエ:
ふーむ。私は生存競争が多くの自己増殖過程の一つに過ぎないと考えています。音楽を見てください。それはあらゆるところにあります。すべての人間社会にあります。そして,それは明らかに,生存にとって本質的ではありません。生存機構の一部として存在し始めたかもしれませんが--動物界では歌が配偶者を惹き寄せます--,そのもともとの性質から離れて長い時間が経っています。愛についても同じことが言えます。愛はさらなる信頼を育てる信頼です。それはそれ自身を増殖させます。生存可能性は,必ずしも遺伝子の唯一の決定因子ではありません。
Psychology Today 編集部:
Michael Beheの最近の本,「ダーウィンのブラックボックス」については,あなたはどう反応しますか? 彼は,分子生物学者で,ダーウィン流の淘汰は分子レベルで起こっている信じがたいほどの複雑性を説明できないと論じていますが。彼は,彼のいうところの,「知的デザイン」,科学者が神についてそう呼ぶように思われますが,を説明として出していますが。
ドーキンス:
還元不可能な複雑性に関する議論はきわめて古いもので,それはダーウィン自身が目のようなものについて語るときに直面した問題だ。どんなバックアップも無しに,この議論は何か,あるXが還元不可能な複雑性をもっていて,だからそれはゆっくりと進化し得なくて,神がそれを創ったに違いないというようなことを語っているわけだ。Beheは,分子レベルで同じ議論をしてるんだね。私は分子生物学者じゃない。Beheはそうだ。なんで,彼はそんなに無精になるのを止めないのかね? 「私は説明を考えることができない。だから神がそれをしたに違いない」なんていわずにさ。それは,究極の言い逃れだよ。なんで彼は実際図書館に行って中間段階を組み立てないのかなぁ。ところで,彼は,創造論者になるなといっているね。もちろん,それが滑稽だから。(でも)彼がそうだよね。
Psychology Today 編集部:
ちょうど今という時代に,こうした本が存在することをあなたはどう思いますか?
ドーキンス:
何も特別に深い意味はないね。私に言えるのは,Michael Beheがそれを書こうと決めたということだ。
レニエ:
私の意見は違います。前にもいいましたが,私は,私たちが道徳の危機を経験していると思います。非常にたくさんの人々が,彼らのもっとも根本的な道徳,倫理,精神的感受性への脅威を感じているのです。それというのも,彼らは,自分たちが自然の一部だと感じているからです。しかし,自然が道徳とは関係がない,ということになったら,どうやって彼らは道徳ある存在になれるでしょう?
ドーキンス:
だけど,あなたが感じられるのは,熱意ゆえに現実に科学をないがしろにしている誰かさんへの軽蔑だけでしょ。
レニエ:
しばしば隠喩が科学的事実として提示されるのです。それが事実でないときにです。例えば,私は,あなたの「ミーム」(意味,あるいはアイディアの単位)という概念が遺伝子に似てきていることについて議論したいと思います。アイディアは遺伝子のできないことでも何でもできます。私たちは,その長期的価値に基づいて,その直接の生存可能性に基づいてではなく,アイディアを保持しておく能力をもっています。アイディアは,絶滅すること無く,互いに影響しあうことがありえます。
ドーキンス:
あなたの言うことの大部分には賛成するよ。しかし,もし私のもともとのミームについての提案を見れば,それが完全にレトリック上の手段だったことがわかるはずさ。人々に,彼らが今読んできた利己的遺伝子についてのことはあるけれど,DNAがすべてじゃないってことを分からせるためのね。ミームは表現手段を提供したんだ。遺伝子だけが自己複製する存在ではないというための。たぶん,アイディアも同じ役割を演じているんだとね。私は,ミームがヒトの文化を説明するものだなんて言ってないよ。
レニエ:
最近私がスリルを感じたことが一つあります。それは,私をちょうどこのところ高めてくれているある種の畏怖を与えてくれたんですが,火星の生命の証拠です。私は,この生命のように見えるものの化学が,如何に私たち自身のと似ているかに衝撃を受けました。それに,私は,多くの科学コミュニティの飽きて関心の無い態度にも衝撃を受けました。これは,とてつもなく大きなことのように思えるんですけれど。
ドーキンス:
もし本当なら,恐ろしいほど大きなことだよね。それは,一つの惑星で生命が誕生する確率についての私たちの推定を完全に変えてしまうからね。これまで生命の起源は普通にはありそうもないことで,この種のことは銀河にたった一度しか起こっていないだろうと私たちは思ってきたから。もし突然,私たちの太陽系で生命の2つの別々の進化があるってことになったら,生命は全宇宙に単純に満ち溢れていることがわかるわけだ。これが,それが大きなことだっていう理由のひとつ。もう一つの理由は,全然別のことで,進化の一般的な現象について考えるときに,私たちはサンプルを一つしかもっていないよね。たった一つのサンプルから,全部の生命と進化の理論を位置づけているわけだ。もしこのサンプルが二つに増えたら,たとえ二つ目が2,3の微小な化石だとしても,一般現象としての(たんなる地方教区の,地球上の現象としてではない)生命について,新しい情報とアイディアの莫大な注入を手にすることになるだろう。
レニエ:
そうすると,私たちを理解してくれる他の生命とのコンタクトについて考えるのは合理的でなくもないということになりますね。
ドーキンス:
だが,問題は,その証拠によって興奮しすぎてしまうことだ。多くの人はまだ懐疑的だよ。本当であって欲しいとは思うけれど,納得はしていないと言わざるを得ないね。
レニエ:
私もですよ。ですが,私はいまなおうっとりしています。畏怖と驚きという感覚は同じように(心の)栄養として大事だと思うからです。
ドーキンス:
それには完全に同感さ。(終了)