枕草子 (My Favorite Things)

【第4回】 鰐の味(1998年3月16日)

先週月曜日,パプアニューギニアに生きる人々についての文章を2,3日中に書くようにと突然依頼され,当初,この話を書こうと思ったわけである。ところが,長さが400字詰め9枚とのことだったので,急遽この短い話をとりやめ,コーヒーと紅茶の話を書くことにした。それについては,「オセアニア」という雑誌に掲載されるらしいので,そちらをご覧いただきたいが,パプアニューギニアのコーヒー輸出額など,各種WEBページのお世話にならずには書けないところであった。使い方によっては,実にインターネットは便利である。3日で書けたのは,すべてインターネットのおかげである。ただ,内容に深みがないので,喫茶MLの方々に見られるのは恥ずかしいから紹介はしないでおこう。

まあ,折角掘り起こした鰐の記憶を埋もれさせるのは惜しいので,ここに紹介することにしたわけである。以下,お楽しみいただきたい。

The crocodile hunt at the secret pond on August 30th, 1997

1997年8月30日。例年なら9月に行われる魚取りなのだが,今年は大旱魃のせいで秘密の池の水が早く干上がってしまい,今日行くことになったようだ。朝から村人は老いも若きも舞い上がっている。10時頃村を出て,歩くこと40分くらいで,秘密の池に到着する。池の近くに植えられているココヤシから実を採ってココナツジュースを飲み,一休みする。11時頃から魚取りが始まった。毒のある植物の根を焼いて叩いた物を水にいれて良く揉み,中毒した魚が水面に浮かんできたところをヤスで突くわけであるが,これがなかなか難しく,ぼくなどはへっぴり腰で恐る恐る突くので,魚に当たっても刺さらないのである。それを見て笑いながらシュッと突いてくれる村人の手捌きの鮮やかなこと。まあ,見よう見まねで昼までにぼくが突けたのは20匹くらいだっただろうか。早速,その魚を焼いて,芋やサゴ(サゴヤシというヤシの木から抽出する澱粉を固めて焼いたもの)と共に食べる。この日は良く晴れていて,気持ちの良い,ハイキングのような気分だった。食後も魚取りは続いたが,ぼくは疲れてしまって見物に回ることにした。

魚取りも一段落し,ぼつぼつと大きな魚が取れる他には獲物がなくなってきた午後3時頃,それは起こった。ウェリという男が弓に矢をつがえたかと思うと鋭く引き絞り,まばたきするくらいの間に岸辺近くの水面に打ち込んだのだ。直後,大きな水飛沫とともにブクブクとあぶくが水中へ消える。同時に,「クロコダイル!」と喚声が上がり,一瞬のためらいも見せず,鰐を追ってウェリは水中に飛び込んだ。ウェリと鰐の格闘。追いつきはするものの,鰐の力が強くてなかなか捕まえられないでいるウェリをみて,ダリマという大男が加勢に飛び込んだ。こういうときの彼らの瞬発力は物凄いものがある。ほんの30秒くらいの格闘だったと思うが,ダリマが尾を,ウェリが口を掴んで陸に引き上げ,斧を振り下ろして(ただし刃でない方で)頭を何度も叩いて殺してしまうまで,ぼくにはとてつもなく長い時間に感じた。殺した後気がついてみると,ウォーターリリーの花が鰐の周りに散っている。偶然なのだろうが風流である。子ども達が水をかけて鰐を洗う。触ってみるとまさしく鰐皮である。2メートル近いのだが,これで皮は100キナ(日本円にして当時のレートで9000円くらい。今はキナ安なので7000円くらいか)ちょっとでしか売れないそうだ。天然もので,頭以外には傷もないのに。村に運ぶのも傷をつけてはいけないので一騒動だったが(右写真),解体も大騒ぎだった。皮をはぐところまでは公開だったが,肉のばらし方は既婚男性しか見てはいけないのである。ぼくは見せてもらったけれど,写真は撮らせてもらえなかった。肉の味は,というと,鶏肉のようなものだが,それよりジューシーでうまいと思った。彼らにとって,これは大変なご馳走なのである。肝臓を焼いた物も食べさせてもらったが,鶏のレバーより淡白で癖がなく,美味だった。こういうハプニングに出会えることも,フィールドワークの醍醐味である。



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