枕草子 (My Favorite Things)

【第36回】 精子数減少? (1998年6月17日)

近頃,外因性内分泌撹乱物質(環境ホルモン)の影響として取り沙汰されることの一つに,「男性の精子数が世界中で減少している」という命題がある。環境ホルモンの名付け親である(と少なくとも御本人は仰っている)井口泰泉さんが監修した,PHPから最近でた「環境ホルモンの恐怖」や,随分以前から公害問題に取り組んでこられた綿貫礼子さんが武田玲子さん,松崎早苗さんと共著で藤原書店から出した「環境ホルモンとは何か 1 リプロダクティブ・ヘルスの視点から」などでは,既に確定した事実であるかのような書き方がされている。

論拠はこうだ。デンマークのコペンハーゲン大学病院発達生殖学部に,ニルス・スキャケベクという教授がいる。彼は,子どものホルモン障害や男性不妊の研究に長年取り組んできた。あるとき一人の健康な男性の精液検査を行った結果,それまでの1億個/mLという常識からすると少なすぎる値で,異常精子も多かったことから,「常識」の方を疑ったのであろう,普通の男性の精子数にかんする文献収集をはじめた。先行研究で報告されている値を一定の基準でまとめて分析すれば(注:こういう研究方法をメタアナリシス[meta-analysis]という),もしかしたら精子数にかんする常識が覆るかもしれないという発想である。

メタアナリシスでは,先行研究を系統的に集めることが肝要である。彼らの文献の集め方は次の通りである。[1]Silver Platter社のMEDLINEを使って1966年から1991年8月までに出版された論文から,sperm count, sperm density, sperm concentration, male fertility, semen analysisをキーワードにして検索し,1930年から1965年についてはCumulated Index Medicus,1957年から1959年についてはCurrent Listで,それぞれspermatozoa, semen, fertilityをキーワードにして検索し,これらの引用文献にあるものからいくつかを追加し,まず網羅的なリストを作る。[2]このリストからヒトを対象とした研究だけを選択し,かつ次のどれかに当てはまったら除外した:乏精子症あるいは他の生殖機能異常とされる男性あるいは不妊のカップルの男性を含む/精子数が高いか低いものとして選択された男性を含む/精子数の測定法がコンピュータ支援システムまたはフローサイトメトリーによるもの。こうして集められた文献は,61篇であった。少ないような気もするが,この程度の数で分析されることはよくある。総サンプル数は約15000であり,文献毎に精子濃度の平均値をサンプル数で重み付けして分析している。

これらの論文から抜き出した精子濃度(1 mLあたりの精子数)を,論文発表年次を横軸にしてプロットしたところ,減少傾向があって,単回帰分析をしたところ精子濃度は年次によって有意に説明され,1940年から1990年までの50年間でほぼ半減していることがわかった,というのが,彼らの研究の眼目である(Carlsen et al., 1992)。この結果で最も恐ろしいのは,「世界中で」「直線的に」減少している,という点である。スキャケベックたちは,同じ手口で精巣ガンの発生率が上昇傾向にあることを見出し,これらが互いに関連していて,どちらも環境内分泌撹乱物質の影響であるという可能性を示唆している(Skakkebaek et al., 1998)。

1992年の論文結果については,当然のことながら各方面から批判が続出した。彼らの解析自体についても,単回帰では分散をたかだか40%くらいしか説明しない点と,回帰を有意にすることに大きく寄与している前半30年間のデータが少ない点を中心に多くの批判があったし(例えば,Olsen et al., 1995),一つの地域で長期間とられたデータの経時的な比較では変化していないという反証も多く発表された(例えば,Fisch et al., 1996)。論戦が続いているところで出てきたのが,Shanna H. Swanらによるメタアナリシスのやり直しである(Swan et al., 1997)。彼女たちは61篇中56篇の元論文を読みなおして(除外した5つのうち3つは英語でないという理由である),研究が行われた場所(合州国かヨーロッパ・オーストラリアか非欧米か),サンプル前禁欲期間,対象者の年齢,授精能力があるとわかった男性の割合,サンプル採集法を追加抽出して,これらを共変量としてコントロールした重回帰分析を行った。さらに,回帰モデルとして,直線のほかに,階段型(1970年まで一定値,1970年に減少してそれ以降はまた一定値),スプライン(1970年前後で2本の回帰直線),2次式(年次の2乗の項も含める)についても検討している。情報の不足から残るであろう撹乱とバイアスについても検討しており,メタアナリシスのお手本のような論文になっている(まあ,その撹乱とバイアスがメタアナリシスの限界なのだが)。

冒頭に書いた,日本語の啓蒙書で,確定した事実であるかのような書き方をしている(綿貫さんらの本では「決着した」と書かれている)のは,このSwanらの研究を引用してのことである。しかし,ぼくにいわせると,読みが甘いというか,引用の仕方がまずい。Swanは合州国のNIEHSの研究者なので,彼女たち自身が論文以外の場所(例えばここ)で「地域を独立変数として加えた重回帰の再分析によって,線型モデルで分散の80%が説明され,合州国では毎年1.5%,ヨーロッパ・オーストラリアでは毎年3.1%の減少」というプロパガンダに加担していることにも責任の一端はあると思うが,論文を読めば,「直線的な減少」と結論付けることには無理があるのはあきらかである。スプラインモデルでも分散は79%説明されているし,その場合1970年以降は横ばいであることとか,彼女たちの分析でもいくつかの撹乱とバイアスの可能性は残ることとかを無視するのは,科学者として正しい態度ではない。Swanらは,非欧米で有意な傾向が見られなかった原因を,いろいろな地域のデータが混ざっていることと,観察期間が短いことに帰しているが(裏の含意として地域別に長期間のデータをとれば非欧米でも低下しているだろうといいたげである),前半30年間のデータが合州国のみで,しかも数が少ないことを併せて考えれば,「この50年間にわたって世界中で減少し続け」というプロパガンダは明かにやりすぎである。もっとも,やりすぎくらいにしないと政治的に効果がないという読みがあって,科学者としては不誠実な態度であることを自覚しつつ環境内分泌撹乱物質に対して警鐘を鳴らしている確信犯なのかもしれないが。

FischとかPaulsenの論文をみると,合州国でも減っていないデータがあるし,最近でも1 mLあたり1億個を超える場所もある。地域差が大きいことは本質的に重要である。パリの精子銀行のデータで,1962年生まれの男性の精子濃度は1945年生まれの男性の精子濃度に比べてほぼ半減(30歳時点での比較)とか,押尾茂さんのデータでの日本の20代男性は精子数が少ないこととかを考えると,原因はさておき,「精子数が少ない集団がある」とはいってもいいと思う。しかし,現在のデータからは,「全世界の」「直線的な」減少とまではいえないので,そんなショッキングなプロパガンダをかますよりも,ハイリスクグループを特定してリスクファクターを探るという地道な方法を取った方が効果的ではないかと思うのである。いかがなものだろうか。

引用文献リスト


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