枕草子 (My Favorite Things)

【第76回】 売買血についての雑感(1998年10月16日)

大学生が運動部関係の紹介で何人も売血したことで話題になっているが,「竜岡門クリニック」経営者が逮捕されたのは,もちろんそのせいではなくて,「医師不在で採血したこと」と,「感染性などの検査を十分にしないまま,買った血液から抽出したリンパ球液をがん患者に投与したこと」が違法だからである。売買において社会正義の面から問題が起こるとすれば,それは必ず買う方が悪いのだ。安定した買い手がいなければ売り手は存在できない。この事情は,売買春なんかでも同じである。従って,クリニックの事情に通じていて共犯だというのでない限り,売血をした大学生の罪はなくて,不法医療行為に使ったクリニック側が悪いのである(もっとも,町のクリニックで採血されたものが試験研究用に使われるともあまり思えないが)。

売血というと暗いイメージがつきまとうが,東京大学の学生部にも病院の方で血液を買いますというアルバイトが掲示されることがあったし,生きたまま自分の身体の再生可能な一部を役立てるわけだから,少なくとも試験研究用の売血に対する偏見は除かれるべきだと思う。ぼくが学生だったときにこのアルバイトに応じようとしたら(結局その研究との日程が合わずに断念したのだが),親に白い目で見られたことを覚えている。「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」とかいう精神(「孝経」が出典らしい)が染み込んでいるものと見た。献血ならよくて売血は駄目だという人もいるが,ぼくには理解不能である。ただで提供している方が尊いということはなくて,由来と信頼性が明らかならばどちらでも良い。ただし,輸血を受ける可能性がある以上,そのプールに貢献するための無償献血というのは共産思想的に理解できる。試験研究用のものはそれにも当てはまらないから売血で当然である。

説明不足かもしれないので,もうちょっと補足しておこう。医学の分野では,新鮮な血液がないとできない研究がたくさんある。たとえば,三日熱マラリア原虫を研究するには原虫を培養しなくてはならないが,この原虫はヒトだけに感染するので,培養には新鮮な血液がどうしても必要なのだ。しかも,ある程度経ったら血液を交換してやらねばならない。安定供給が必要なわけがおわかりいただけるだろうか。マラリア原虫の培養は非常に難しく,空中の細菌が混入したらもちろん,ちょっとでも温度管理がまずかったら失敗して全滅してしまう。さらに言えば,培養がうまく行っても,原虫を使った研究が首尾良く予定の目的を達成するとは限らない。やったことの10分の1も論文になればいい方だというのは,研究の常識である。そういう,失敗の可能性がかなりあるものを,ボランティアに依存するのは難しいと思う。「無駄になるかもしれない採血だ」ということをしっかり告知した上で,ボランティアに応募してくれる人がどれくらいいるだろうか? 献血する人がたくさんいるのは,輸血によって患者の生命を救うのに役に立つ(と感じられる)からであろう(将来の自分が患者になる可能性も含めて)。無駄になるかもしれないけれど献血する,というのはどう考えても合理的でない。

何事もそうだが,現象だけを切り出して批判すべきではない。その現象がどういう文脈で起こったのかということを考慮にいれなくてはならない。大学生への批判の論調は何か変である。


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