枕草子 (My Favorite Things)

【第194回】 タバコの煙とクルマの排気ガスが嫌い(1999年12月2日)

最終電車に乗るために上野公園の中を走っているとき,行く手にくわえタバコで歩いている人がいると腹が立つ。本人は気づかないかもしれないが,あの臭いは,少なくとも半径10メートルの範囲には影響する。風下だったりすると30メートルくらいは臭う。走っているときは思いっきり空気を吸い込んでいるので,いきおい,タバコの臭いも目一杯嗅がされてしまう。下手をすると咳き込んでしまうくらい,気持ちが悪い。

長野駅の改札を出たとき,ちょうど行く手にくわえタバコを始める人がいたときなども最低である。同じ方向に,10メートルくらい前方を歩かれると,避けようがない。なるべく息を吸わないようにして素早く自転車に乗って距離を稼ぐのだが,なんでこっちが逃げねばならないのか,とちょっと腹が立つ。自分の肺ガンリスクをあげるのは吸っている本人の勝手だが,周囲に変な臭いをばらまかないで欲しいと思うのである。公共空間を全部禁煙にしろとまではいわないが,通路でくわえタバコをするのだけは止めて欲しい(通路でのくわえタバコは実刑に処するという刑法改訂をしてくれれば,多少減るだろう)。最近,切実にそう思う。

タバコは影響する範囲が小さいからまだしも,もっと救いがないのは,自動車の排気ガスである。家から長野駅まで毎日20分ほど自転車に乗るのだが,朝6時半より前だと自動車がほとんど通っていないから,なるべくその時間に通勤するようにしている。7時半を過ぎるとはっきりと空気が臭い出す。自動車がやっとすれ違えるくらいの狭い道なのに,歩道が分離している部分はごくわずかで,あとは白線が申し訳程度に引かれているだけという状況がそもそも良くないが,またそこを結構なスピードを出して多くのクルマが通るのである。こうなると道路全体に臭いが充満してくるので逃げようがない。

東京に住んでいた頃は,この程度の臭いには気づかなかった。白山通りや春日通りや本郷通りの昼間の排気ガス臭ときたら,こんなものではない。数十メートル歩くと,顔がべたつくほどである。長野の6時半より前の清澄な空気を知ってしまったために,臭いが気になるわけだ。気になる/ならないという視点に立てば,生活環境の改善によって大気汚染への耐性が低下したということになるが,心理的耐性がいくら高くたって,気づかないうちに肺が蝕まれていくとしたら恐ろしいことではあるまいか。排気ガスの少ない大気の下で感じる草や花や木の実の微妙な香りがわからないのだから,少なくとも嗅覚へのダメージがあったわけで,知覚世界の豊穣さという点で損をさせられていたのは確かである。

一方,子どもを連れて出歩くときに,クルマがあったら便利だろうな,ともまた思うのである。例えば,市立図書館まで自転車に子ども2人を座らせて1時間押して行かなくても,クルマに乗せてすいっと10分で行ければ楽だろう。しかし,なぜ自転車に子ども2人を座らせて押していくのかといえば,安心して歩けないからなのである。子どもが歩くのときたら,あっちへふらふら,こっちへふらふらと好奇心の赴くままなので,いつクルマに轢かれるかと気が気でないのだ。前述のごとく申し訳ばかりにしか歩道が示されていないところを,クルマがびゅんびゅんと通っていくのだから,尚更である。では,どうしたらいいのだろうか?

青空MLにも以前投稿したことがあるが,クルマは速度制限を厳しくし,かつ幹線道路しか走れなくした上で,「新型リキシャ」とぼくが構想しているモノ(簡単に言えば,太陽電池を備えた屋根付き蓄電モータ補助型人力三輪車)を作るのが,1つの解であろうと思う。最近気づいたが,この解は一石二鳥である。つまり,大部分の道路でクルマが通れないなら,安心して子どもを歩かせたり,子ども自身に自転車を運転させたりできるので,逆に安全な移動手段という意味でのクルマは要らなくなるのである。歩いたり自転車に乗ったりして行動できる範囲が半径20キロメートルとしても,相当な面積である。日常生活の行動半径としては十分すぎるくらいではなかろうか。


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