枕草子 (My Favorite Things)

【第210回】 本の買いすぎを自嘲しつつ,国立大授業料値上げに疑問を感じた夜(1999年12月21日)

昨日の講義の受講者は7人だった。条件の悪さのわりにはまあまあの人数といえよう。しかし,内容が詰め込みすぎだったためか,あるいは去年と同じく,二つの世界に跨る話だったためという理由か,前の方の3人くらいはちゃんと聴いてくれたようだが,後ろの方の学生を眠らせてしまったのは,まだまだぼくの工夫が足りないのだろう。面白い話をしたつもりなんだけれど,基本的に話がうまい方ではないからな。やはり本を書くべきかもしれぬ。

本と言えば,最近は本の買いすぎである。こんなに読み切れる筈がないのだが,面白そうな本があると,つい買ってしまうのだ。昨日も,開高健の「夏の闇」「輝ける闇」(どちらも新潮文庫)を予定通り買ったのはいいのだが,ついでに見つけた「マラリアvs人間」を書いたデソウィッツの新刊「コロンブスが持ち帰った病気」を衝動買いしてしまったし,平凡社新書からJapan Skeptics会員の菊池さんという方が出された「超常現象の心理学」(もちろん疑似科学批判書である)も買ってしまった(ソーカルの本も出たんだよな,買ってないけど)。深町眞理子さんの初エッセイだって,あの訳文のファンとしては買わずにいられるはずもなく,これらに加えて面白そうなエッセイやミステリやSFが出れば3割くらいは買って読んでしまうのであるから,どんどん本が山積みになってゆくのである。もちろん,専門に深く関係した本は,何が何でも買わねばならないのだから,研究室のスペースがなくなるのも当然である。ぼくの机を一度お目にかけたいが,本や論文のプリントアウト(以前はコピーだったが,最近はpdfのプリントアウトなので若干薄くなっている)が数十センチメートルの高さにそこかしこに積み上げられ,地震でも起ころうものならイチコロなのである。ああ,恐ろしい。

自業自得ともいうらしいが。

今朝は昨日の緊張感が切れたためか,寝坊してしまって,8:05発のあさま504号に乗っている。眠る前に読んだ夕刊に出ていた,相変わらずのばらまき予算案に腹が立ったのがいけなかったのかもしれない。常々思うのだが,景気などという実体のないものを指標にするのがまずいけない。失業率をゼロにするとか,具体的な問題の建て方はあるはずだ。それをしないのは,責任回避か利権の温床のどちらかであるに違いない。とくに,その恩恵にあずかっている立場でいうのも何だが,整備新幹線関連予算とか。素朴な疑問としては,インターネット関連として郵政省が計上している予算,高齢者対策って有効なのか? というのがある。今インターネットを使っている層の人たちが高齢化したときに便利なように,というところを目指すのと,現在の高齢者がインターネット環境に入りやすいようにすることを目指すのとでは,金の使い方が全然違ってくるはずで,もし後者を目指すとすると,回線インフラだけ整備したって何にもならないし,そもそも郵政省の事業ではなくなってくる筈だから,きっと前者を目指すのだろうが,それなら何も高齢者対策などと打ち出さなくても,若成年層を対象としてもやることは変わらないわけだから,とどのつまりは単なる金集めの名目に過ぎない,などということはちょっと見れば自明だから,それでも予算がついたということは,すべて承知の上で進められている茶番に過ぎないということなのだろう。

もっとも,農業農村整備が公共事業費の1割を占めていることについては,日経などはシェアの固定化という見方をして批判しているようだが,先日の食料・農業・農村基本法改正で自給率向上という目標が明文化されており,それに貢献する形での予算確保であるならば,必ずしも批判ばかりするべきものではなかろう。

しかし総体としてのばらまきの中で,ぼくにとって最も解せないのは,国立大授業料である(大蔵省のサイトにあったPDFファイルには書かれていなかったが,信濃毎日新聞には載っていた)。財政制度審議会の報告の(1)の3項にあるように,「私立大との格差を減らすために」という名目で,年々授業料が上がり続けているのだが,この理由には以前から納得がいかないのだ。今度の変更ではついに年額50万円を超えるそうで,ぼくが学生だった当時の25万2千円に比べると2倍である。この15年で物価が2倍になったとは思えない(それどころか,コンピュータなど10分の1の値段になっている)から,国立大授業料の値上がりは異常といえまいか。高校では公立と私立の授業料格差なんて問題になったことはないと思う。だいたい,運営形態も違えば,目指すところも違うのだから,国立大と私立大の授業料を横並びにする必然性はないと思われる。受益者負担の原則というのは,いいかえると,国民が大学というシステムを公共財として維持する意思がないということである。科学技術立国とかいう名目と見事に矛盾するではないか? 金がない人は学問をするなとでもいうのだろうか? そのために奨学金制度があるという反論は,現状の学部学生への奨学金の低さからすると論をなしていない。国立大の授業料が安いと,優秀な学生が私立に来なくなって困る,と私学の経営者がいうのならまだわからなくもないが,授業料を横並びにするようにするのは筋が違って,授業料が高くても魅力を感じるような大学づくりをするというのが,本来の私学のあり方ではなかろうか? このあたり,私学関係者に意見を聞いてみたいところではある。

エージェンシー化が起こると,国立大学の授業料も,各大学で決めるようになるのだろうか? それとも教官の身分保障とかなんとかいっているから,やっぱり授業料も決められてしまうのだろうか? 不勉強でよくわからないのが歯がゆいが,情報公開も不十分であるように思う。

以下はメモ


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