枕草子 (My Favorite Things)

【第399回】 米国の態度(2000年10月5日)

昨夜帰ってみたら,机の上に棗の実がいくつも転がっていたので食べてみた。ちょっと酸っぱくて素朴な味がした。茶色っぽく色づいたやつは,香ばしい味わいがあった。今朝は6:00に起きて,ナスと油揚げの味噌汁を作った。さすが秋茄子は美味だ。

往路はあさま2号。珍しく長野駅を発つ時点で空席が目立った。

以前,日本の捕鯨再開に反対する米国クリントン大統領の強硬な態度は,環境団体や動物愛護団体への受けを狙っての行動と思われるから,大統領選を睨んだパフォーマンスだろうという主旨のことを青空MLに投稿した([2377]と[2385])が,昨日届いた萬晩報誌上で,国際関係学者の大友さんという方が同じような議論を展開していて,意を強くした。もっとも,環境問題は日常化しているし,今回の大統領選の争点はもっと具体性があって生活に直結していることに絞られているという話が,昨日読んだNews Week日本版に載っていたから,ゴア候補への支援という意味よりも,民主党が,支持組織として環境団体や動物愛護団体に常に配慮しているということなのだと思う。大友さんの論点もその辺りにあった。

以前読んだ,川端裕人「緑のマンハッタン」(文藝春秋)には,ディープエコロジストやアニマルライツ活動家の極端な話に混じって,ニューヨークに公園を増やそうとか動物園で種の保存をするとかいう動きが一般市民の支持を受けている様子が描かれていた。あれはまさしく脳内の楽園を管理するという発想で(裏を返せば,自然を征服して管理するものとみなす,鈴木秀夫さんが言うところの「砂漠の思考」である),それがアングロサクソン文化の中心に流れているのだということが良くわかる事例だと思う。

そう考えてみると,欧米の環境保護団体の多くが,共生の思想とは相容れない本質をもっていることに納得がいく。彼らが守ろうとするのは,人間の生活でもなく,ナマの自然そのものでもなく,脳内の楽園なのではないか。そうでなければ「アニマルライツ」という思想を突き詰めると論理矛盾してしまうことに気づくはずである。

研究室に着いてから午前中はずっと,コンピュータ関連のさまざまなヘルパー作業で終わった。ま,こういう日もあるってことで。昼は持参した弁当を食べながらWEB版の実験検査法実習(水)テキストを更新し,その後はずっと書類作り(時々メールは打っていたけれど)。それにしても,手書きの仕事は本当に時間がかかる。電子メールでは,アリコートカップについて問い合わせるのも一瞬だし,即日ご返事をいただいたりして,すばらしく効率がよい。研究に関してはエネルギーで時間を買うようなことをするのも仕方ない……ってそれじゃあ,ただの自己中では? でも,人間は多面体だから仕方ない面もあるんだよな。そこでどうやって折り合いをつけるかが,鼎の軽重を問われる点なのだろう。

結局今日はヨドバシカメラから連絡がなかったので,ビデオデッキを買うのはまた一日延びた。帰りは終電の1本前か終電か(車内にて付記:帰る直前に入荷したという電話があったけれど,もはや時遅しだったので,ヨドバシカメラは明日行くことにして上野にダッシュし,終電1本前あさま535号に間に合った。座れたので,千代田圭之「ゲノムの反乱」を読みながら,電子メールやWEBの普及は,少なくとも国内外の情報格差を少なくしてくれているという意味では民主主義に貢献しているなあ,などとふと思う)。


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