枕草子 (My Favorite Things)

【第467回】 「どんどやき」翌日の講義とオンライン書店自動リンク(2001年1月14日〜15日;16日改題)

8:37発の筈のあさま506号が,大雪で遅れた篠ノ井線の接続を待って8:45に発車した。こんなことなら長野電鉄の8分遅れで来た特急に(遅れたのはやはり大雪のため)100円払って乗るなんてことはしないで,もう1本待って100円節約しても余裕で間に合ったと思われるのが悔しい。長野電鉄の特急料金は乗車区間に関係なく100円なので,近距離で特急に乗るメリットは何もないのだが,時間帯によっては特急に乗らないと1時間近くも待つようなことがあって,それなら歩いた方がずっと早いのが馬鹿馬鹿しくて,今朝の長野市みたいな大雪でもなければ,まず乗らない。

馬鹿馬鹿しいといえば,ハッピーマンデー法がそうなのは論を待たないが,成人の日を第二月曜と決めた点こそが阿呆の極致といえよう。本来の15日が月曜日の場合に第三月曜になるのは小学生だってわかることなので,せめて第三月曜にすべきだった。だいたい,建国記念日みたいな根拠薄弱なもの(神武天皇という伝説上の人物の即位した日として明治時代に勝手に決めたらしい)を残して,根拠がはっきりしている成人の日(小正月でもともとハレの日だった)や体育の日(東京オリンピック開催日)を流動化するという精神が気にくわない。そもそもぼくは三連休に意味を認めないのだが,三連休で旅行を増やせば経済活性化につながるとかいった人がいたと記憶しているけれど,成人の日には成人式があって旅行なんかしにくい筈である(三連休程度でUターン旅行する学生の個人消費などたかがしれている)。建国記念日には国民一般が関係する式典は何もないし,スキーシーズンだし,ちょうどいいのではないだろうか。

昨日は近所で「どんどやき」という行事が行われたので子どもたちと行って来た。正月の門松や注連縄を燃やして,その煙にあたると一年健康で過ごせるという,季語にもなっている伝統行事である。古くは村境の道祖神を祀った場所で小正月に行われたそうだが,日曜日に行われたのは,門松や注連縄を集めて回るのが地域の小学校5,6年生の仕事であって,かつ小学校の授業としては認められていないからだろうし,公園で行われたのは,多くの道祖神が路傍にひっそりと残っている状態でまわりに火を燃やすような空間がなくなってしまったからだろう。まあ,おかげで遠方へ通勤している人も参加できるわけだから,ぼくにとっては悪くない(ハッピーマンデー法に反対した舌の根も乾かないうちにこれでは,筋が通ってなくて格好悪いのだが)。

14:00にどんど場に着いてみると,積み上げられた門松や注連縄,注連飾りを囲むように10メートルほどの高さに組まれた竹竿の先に,なぜか一抱えもある達磨がつけられていて,辺りを睥睨しているようであった。微かに灯油らしい臭いが漂っているのは,あれだけのものを一気に燃やしてしまうには補助燃料が必要だということなのだろう。周りを囲んでひしめく大勢の大人や子どものさらにその周りでは,どんどよりも「雪の積もった公園」という事実が大事らしい小さな子どもたちが遊んでいた。我が家の子どもたちはといえば,早速小学校の友達を見つけた息子はそちらに合流してしまったし,水痘が治って久々に外出できた娘は「雪の積もった公園」シチュエーションにすっかり興奮してしまって雪つぶてを作ったり木登りに熱中してしまったので,ぼくはわりと楽だった。町会長らしい人を含めて数人の挨拶があった後,いよいよどんどに点火された。補助燃料のおかげか,一気に強烈な炎が立ち上り,風下に黒い煙が吹き寄せてきた。風上に回っても,どんどから3メートルくらいのところでは熱気で顔が痛いほどである。配られたミカンを手に持って,御神酒をいただいていると,だんだん身体が暖まってくるのがわかる。なるほど,昔暖房などなかった頃は,こうして身体を暖めると,健康になるような気がしたのだろう。

やがて燃えるものも減ってきて火勢が弱まってくると,皆が長い棒の先に針金でくくりつけたアルミ箔で巻いた餅やスルメなんかをかざし始めた。ぼくらは初めて参加したので知らなかったのだが,こうやって焼いた餅を食べるのも,縁起がいいことらしい。来年は餅を用意しようと思っていたら,息子が友達から分けて貰った餅をくれたので,ぼくも娘も餅を食べることができた。来年は我が家もちゃんと準備しなくてはと思った。

電車が大宮に近づいた。例によって長野の雪が嘘のような青空が広がっている。今日の最大の仕事は人口学の講義である。できあがったPower Pointのプレゼンテーションを液晶プロジェクタにつなぐノートパソコンに移さねばならないし,出生間隔分析のSASのプログラムやCのプログラムや結果の出力,とくにCのプログラムについてはコンパイルするところも見せたいので,エディタとgccもインストールしておく必要がある。たぶん昼過ぎくらいには終わるだろう。珍しく泥縄でない講義準備ができたかもしれない。

ふと思いついたので,ISBNからオンライン書店リンクを出力するスクリプト(bslinks.tgz=1215 bytes/tar+gzip archiveで,利用はGNU GPLに準ずる)を書評掲示板から独立させてみた(CGI開発室にも書いたが,ISBNで直接リンクする方法がわからないのでbk1を入れられなかったのが残念だ)。下の空欄にハイフンを含んだ形で,例えば池内了「私のエネルギー論」(文春新書)だったら,4-16-660141-5などと入力して右のボタンを押せばリンクが出力される筈だ。

ISBN:

上記の話とはなんの脈絡もないが,思い出したので書いておく。Mac OS Xのユーザインタフェースが偉いとかいう人が多いようだけれど,聞いた限りでは,NCWがずーっと前に実現していたことと大差ないんじゃないかと思う。和歌さんは天才だ。

講義で1人目の最初と2人目の最後しか聞けなかったミーティングのネタは,1人目がWHO CARDIAC Studyとして中国と日本の何箇所かでやった血圧と食生活の関係の比較の話らしく,2人目がネパールでの荷物運び作業における荷物の重さと身体の大きさの関係らしかったが,詳細はわからないので,誰かJINSEI-MLに流してくれるとありがたい。

講義では,初めて液晶プロジェクタを使ってみたが,マウスカーソルの出し方がわからなくて困った(仕方なく手でスクリーンを指した)のを除けば,まあまあうまく使えたと思う。出席した学生は8人いたから,昨年度よりは張り合いもあった。学生から貰ったコメントを読むと,資料の字が小さかったことに対する不満が多かったのは尤もなことなのだが,普通に読みやすい字の大きさにすると,配布資料がA3で10ページくらいになりそうな気がするので,出席人数を読めない現状ではコピーにかかる経費と紙が勿体無くて,なかなかそうする気にならない。いっそ必修にできれば,全員分印刷すればよいからいいのだが。その他のコメントへの返事は,終電に間に合わなくなるのでまた明日書くつもり。帰りがこうも遅くなったのは,ソロモン諸島にFAXを打ったり(FAX番号と電話番号を見間違えていたことに気づかず,なぜ送れないのかわからないままに19:30までかかった),ネットワークトポロジーを少し変更したり,という雑用をこなした他に,今日締め切りの人口学会演題申し込みを思い出して,メールで言い訳を打ったりしていたという理由が大きい。


走って終電に間に合い,4号車に乗った。大宮まで隣に座ったのが長野高校出身の方で,多少酔っていたようだが名刺交換をして長野の話をした。毎日新幹線通勤をしていると言ったら大層驚かれた。お世辞でなく長野の生活は気に入っているので,そう言ったら,嬉しそうな表情をされた。東京出身者であるぼくは,誇りの持てる郷土が羨ましいと思うことがよくある。もちろん,加賀公園の桜の木にとまっていた宝石のようなタマムシの輝きとか,その裏手の方にあった浄水場の鉄梯子にぶらさがってザリガニ釣りをしたことであるとか,野口研究所とかいう名前の廃墟じみた怪しげな(と子ども心には感じた)場所に塀をよじ登って忍び込んで捕まえたオオカマキリであるとか,家のそばのロータリーに祭りのたびに仮設されていたテントで真っ赤な顔をして酒を飲んでいた近所の大人たちであるとか,近所の公園で暗くなるまで競ビーとか四つ穴とか鉄の輪がはまった独楽での戦争とかで遊んだこと等々,板橋区にだって原風景と呼べそうなものはなくはなかったのだが,そこを構成する人々がいろいろな地方からの寄り集まり状態であったためか,固有文化といえそうなものは思いつかないのである。それゆえ,東京は誇れる郷土か? と問われると,どうもそういう意識は稀薄であると答えざるを得ないのだ。

大宮から論文の原稿をチェックしようと思ったが,長野駅から家まで歩かねばならないことを考えると,眠っておくべきだろうか? と思いながらも,結局眠らないままに出生間隔分析プログラムのreviseをしたりパラメータ探索をしているうちに長野に着いてしまった。どうやらデータによっては尤度曲面が相当ぶちぶち切れた形になるようで,対数尤度の符号を逆転させた値を示す関数を最小化するパラメータを探索させると,至る所で局所最小に陥って計算が終わってしまうのだ。初期値をコマンドラインから与えられるように改造したが,それでもなかなか大変だ。


前【466】(人口学会東日本部会の日(2001年1月13日) ) ▲次【468】(論文を書く筈だったのに(2001年1月16日) ) ●枕草子トップへ