枕草子 (My Favorite Things)

【第555回】 エコフィエスタ2001(2001年6月10日)

長野県自然保護研究所でエコフィエスタという催し物があって,田中知事の車座集会もあるというお知らせをいただいたので,行って来た。

件の研究所は飯綱高原にあって,公共交通機関で行こうと思うと,1時間に1本もないバスに乗って飯綱高原のバス停で降りて40分歩くか,あるいは1日に1往復だけの霊仙寺湖行きのバスを使うしかないという,非常に不便な場所にあるので,多くの人は自家用車で行くのである。自然保護を研究する場所に行くのに自家用車を使わざるを得ないという矛盾に苦しんでいる人も多いと思うし,どうせ研究のフィールドは別の場所にあるんだから,もっと市街地に研究所を移設したらどうかと思っていたのだが,この日初めて知った話では,ここは自然観察教育の拠点としても機能しているそうで,だとすると市街地に移設するのは難しいから,それならせめてマイクロバスで浅川東条との往復で良いから,毎時1便くらいの公共交通機関を整備して欲しいと思う。

ともかく公共交通機関は非常に不便なので,ぼくにお知らせをくださった須賀さんのお言葉に甘えて車に同乗させて貰おうかとも思ったが,なるべく早く帰って子どもたちと遊んでやらねばならないと考えると,帰りを早くできる交通手段を考えるべきかとも思われた。残る選択肢は,タクシーを使うか,自転車である。

研究所の所在地は行政区分としては長野市内であり,距離的にはせいぜい10 kmちょっとなので,往路の山登りは大変だろうけれど,復路はダウンヒル気分が味わえて爽快かもしれない。そう考えたら,足が勝手に自転車の方に向かっていた。

8:00ちょうどに出発し,途中の北郷というバス停までは45分ほどで着いたので,まあ大丈夫かなと思ったが,そこからが結構大変だった。北郷からは浅川スパイラル沿いにずっと上がっていく道と,北郷の集落内に入っていく道があり,前者の方がわかりやすかったのだが,距離的には後者の方がずっと近いと思われたので,後者の道をとった。山道を上がっていくと,約10分で,左手に地滑りを起こして山肌がむき出しになった崖上に半壊で建っている何軒かの家が見え(そちらに行く道は通行止めになっていた),それを越えると北郷の集落だった。出発からちょうど1時間だった。まるで隠れ里のような棚田が並んだ景色はため息が出るほど美しくて,デジカメをもってこなかったのが悔やまれたが,悔やんでもデジカメが出てくるわけはないので,諦めて先を急いだ。

ところが,ここの道が入り組んでいて,迷いに迷ってしまい,15分を無駄に失った。暫く迷った後で,やっと立ち話をしている人を見つけ,神社の方へ行く道を聞いてみたら,もっと上に上がって行くべきだったことがわかった。神社からはまあわかりやすい道だったのだが,大池の東北岸を抜ける道が未舗装だったせいで,自転車の後輪の空気が抜け始めた。やはりママチャリにはきつかったかと思いながらも,愚図愚図しているとオリンピックの影響評価についてのプロジェクト発表が始まってしまうので,自転車を押して坂を上がっていった。大池から先は,どういうわけか両側通行の実に立派な舗装道路があるのだったが,地図の等高線を見間違えていたらしく,ずっと上りが続くのはきつかった。

研究所に着いたのは10:05だった。自転車で来ている人は他にいないようで,駐輪場などというものももちろんないので,適当に自転車を停めて研究所に入り,トイレで汗だくになった服を上下とも着替えて,研究報告を聞いた。報告内容については時間があれば別にレポートすることにするが,総じて言えば,限られた資源の中で十分な努力はなされた研究だったとは認めるけれど,この研究所ができた5年前には長野オリンピックの土木工事は随分進行した後だった,というのが最大の弱点で,直接影響評価をできなかったために,なんだかすっきりしない話になっていたのが残念だった。

昼飯は自分で作ったのり弁と玉子焼きで,持参したお茶を飲んだが,まだ小腹が空いているなあと思ってNGO, NPOの展示を見て回っていたら,研究所で用意されたエゴマ入りのおはぎが配られていた。早速いただいて,これも研究所で用意されたそば茶と一緒に食べたら,実に美味だった。持参したお茶を飲み干してしまったので,代わりにそば茶を水筒に詰めて持ち帰ったら,妻にも好評だったので,このそば茶は掛け値なしに美味かったのだと思う。

展示も一通り見てしまった後,暇だったので木工細工というのに挑戦してみた。薄く切った木を紙やすりで磨いてから水溶性ニスを塗り,絵を描いてから油溶性のニスでコーティングし,穴を開けて紐を通すか裏側にクリップを接着するかを選べるというものである。何の絵を描いたらいいのか迷ったが,展示されていた小鳥の写真が図案的に気に入ったので真似をして描いてみたら,なかなかうまくできた。ポスカの色の種類が少なく,絵の具用の筆が太いものしかなかったので,彩色は今ひとつになってしまったが,2つ作れたので,子どもたちへのお土産にすることにした。

さて後は,所長の講演と,メインイベントの車座集会を残すだけとなった。所長の講演は,その種の講演に良くあるように,昔の自慢話が散見されたものの,全体としては面白かったし,共感する点が多々あった。ビスマルク政権が政治力で森を回復したという話は,ぼくにとっては目新しかった。「毒と火をもって自然を制することはできない」とか,一点合理主義では駄目だとかいう話は,ぼくにとっては当たり前だったが,この辺りが本当に伝われば,聴衆の多くを占めたNGO, NPOの方々の活動も実り多いものになっていくのではないかと思った。

車座集会は,といっても車座ではなくて,壇上の知事と所長に会場の聴衆が向かい合うという形だったが,なかなか面白かった。14:04に知事が登場してから,16:10頃に散会となるまで,約2時間の半分くらいを知事が喋っていたように思うが,いろいろな雑談も含めて楽しめた。これも時間があれば別にレポートすることにしたいが,知事の話にでてきた学校林構想は良いと思うので推進して欲しい(欲をいえば学校付設農場も作って給食自給までやって欲しいが)。それと,知事がかなりNGOやNPOに期待しているとも感じた。

帰りは狙い通り爽快な風を受け,下り坂を滑るように進めたので,40分ほどで帰り着けた。多少疲れたが,楽しい一日であった。ありがとう>須賀さんをはじめとする研究所の方々

夜,息子がどこかにぶつけたといって背中に大きな擦り傷(しかも赤くなって腫れている)をつくって帰ってきたのにもかかわらずキャッチボールをしたがるので,痛いうちは安静にしてなくちゃ駄目だと答えていたのだが,21:30頃,もう全然痛くないからキャッチボールをしようと懇願するのに負けて10分ほど相手をした。実は息子以上にぼくの方が足と腕がだるかったのだが,10分くらいならなんとか相手ができた。


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