枕草子 (My Favorite Things)

【第639回】 ヴェテラン(2001年9月3日)

今にも降り出しそうな空だが,帰宅するころには止むだろうと期待して自転車で長野駅まで行った。往路あさま506号は佐久平から大宮まで停まらないのだが,ちょうどその間眠っていた。ふと振り返ってみれば,もう2年半近く新幹線通勤を続けているのだから,あさま号に乗るのも1000回を軽く超えていることになる。もう,あさま号に乗ることのヴェテランと言っていいだろう。

乗車のヴェテランなんて,なんの意味もないが。

ヴェテラン(veteran)には退役軍人とか在郷軍人とかいう意味もある。レジオネラ感染症である在郷軍人病を知らない人は世の中には多いかもしれないが,ぼくがいる学科では稀だと思う。ぼくがこの学科に入ったのを学部2年の秋からと考えれば,もう15年になろうとしているから,それこそヴェテランである。しかし,学科のヴェテランというものに意味があるかどうかは,また別の話である。

今日の午後は薬理・毒性学の試験監督をしてきた。90分間は退屈だったが,問題が難しかったのか量が多かったのか,ともかく退出する学生が少なくて,最後まで大部分の学生がいたので救われた。それにしても,試験監督だけは何回やっても慣れることがないのだが,試験監督のヴェテランにだけはなりたくないと思う。

明日は息子の授業参観のために休みをとっているので,今日は終電まで仕事をする予定である。長時間やったからといって,それに比例して量がこなせるわけではないのだが,やらないよりましだろう。

月曜の終電は空いていることが多く,今日も4号車には空席があって上野から座れた。4年前に出た本だが,飯田経夫「経済学の終わり」(PHP新書)を読了した。経済学者が書いたものにしては珍しく我が意を得たりという内容であった。著者が近代経済学のヴェテランであることは驚きである。もっとも,著者自身が認める通り,非主流派なのだろう。「規制緩和」とか「財政構造改革」とかいう「主流派」は,二百数十年前に戻ろうという単純素朴な論を唱えているだけだということが,本書にはくどいほど丁寧に書かれているので,高校生以上くらいでまともな読解力がある人なら誰でも理解できると思う。政治経済リテラシーとして多くの人に読まれるべきと思う。とくに,忙しく働いている普通のサラリーマンに,真剣に読んで欲しい。小泉政権が進める「財政構造改革」と重点投資は,金がなくなったことによる必然としてのアダムスミス回帰と大衆民主主義(=大衆迎合)政治の奇怪なキメラ的産物なのだ,と理解できると思う。

現状(1997年)の日本が豊かだという認識は正しいと思うし,2001年現在の日本だって富の分布の偏りが大きくなりつつあるだけで豊かなのだと思う。それなのに,経済成長が止まることを恐れている気配があるし,政府の懐の深さとしての国の経済力が維持できないと生活が貧しくなると考えている風なのが,著者が経済学者であるがゆえの限界だと思う。著者がもしマルキシズムの影響を受けた人類学の展開を知っていたら,労働の本質にまで考えが広がって,本書の趣旨は変わっていたに違いない。せっかくあれだけ拝金主義を批判しているのだから,真の生活の豊かさをもたらす解の可能性を示すことは不可能ではなかったはずだ。このページで何度か書いてきたように,時短+減給とか,職業政治家廃止とか,農業を義務教育に組み込んで社会制度化するとかいったレベルの具体案が,この著者なら示せたのではないかと思う。こんなweb日記でぼくのような無名の自然科学者が書くよりも,社会に対してずっと大きな影響を及ぼせると思うので,その点が惜しい。


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