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書評:井上栄「感染症の時代」,講談社現代新書

最終更新: August 24, 2005 (WED) 12:53 (書評掲示板より採録)

書誌情報

書評

すぐれた感染症の解説書であるばかりでなく,随所に現れる豆知識的な記述(例えば,p.44で書かれている,祇園祭がもともと疫病を鎮めるためのものだったこととか)に,著者の深い教養が読みとれて楽しい。名著である。

1章から2章にかけての展開は,たぶんダイアモンド「銃・病原菌・鉄」がテーマとしているようなことで,とくにどうということはないのだが,3章4章でEwaldの仮説を紹介しているところは(エイズの感染に適用しようというのは,感染力のある未発症期間を考慮していない議論だからダメだが),人口学講義「病気と人口」の参考文献として推薦してもいいと思ったし,後半サーベイランスについて説明し,その重要性を訴えるくだりは,本書のオリジナリティとして高く評価すべきである。

以下,書評でなくなってしまうが,個別のコメント。

p.42に書かれている飛沫と飛沫核の違いは,感染力という意味で大事なことだが,おそらく大方の人は知らないことだと思う。直径5ミクロン以上の粒子が飛沫で,1メートル以内に落ちてしまうので,あまり遠くまでは感染しないが,5ミクロン以下の飛沫核は空気に乗って遠くまで届くこと,ウイルスの種類によって飛沫に含まれるか飛沫核に含まれるかが違っていて,天然痘,風疹,おたふく風邪などのウイルスは飛沫にしか含まれないから感染力が弱いが,麻疹と水痘(水ぼうそう)のウイルスは飛沫核に含まれるので感染力が強いというのは面白い。ウイルスの感染力や病原性や免疫原性は,相互に関連しながら宿主寄生体共進化によって進化してきたので,もし麻疹のウイルスが飛沫核になくて,かつあれだけ強力な免疫原性があったなら,早晩麻疹ウイルスはこの世から消滅していただろうなあ,などと想像が広がった。

p.62で括弧内に,ハマダラカは主に動物を夜吸血すると書かれているが,ハマダラカの中にもAn. farauti No.1みたいにヒト吸血嗜好性が高いstrainがあるから,この書き方では誤解を生むかもしれない。

p.82で,インフルエンザによる学級閉鎖の主目的は授業の進度を平等にすることだというのも目からウロコだった。感染を抑える効果と患者が動ける弱毒株しか広まらないようにする効果が大きいと考えられ,その意味での評価が必要だと書かれていたのには感染症モデル屋としては意を強くした。

p.84でバキュームカーが戦後川崎市で開発されたもので,海外の災害対策にも貸し出すべきであるというのは,面白い発想だと思う。

p.87「伝染症」は「伝染病」の誤植であろう。ヒトからヒトへのみうつり重篤になるものを伝染病という,という定義の仕方は,曖昧だが合理的な区分かもしれない。

p.96前後に書かれているO157事件の後日談から,散在性集団発生という現象の発見,そしてサーベイランスシステムの必要性へと話が展開していくのは見事だ。

p.127-130あたりの,DPT三種混合ワクチンでの脱ゼラチンの動きも面白い。

p.132の暴露量は曝露量の誤植。

p.176からのエイズの話は,エイズ伝播モデルを作る上で参考になりそうだ。

【2001年1月17日記】


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