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書評:赤川学「子どもが減って何が悪いか!」(ちくま新書)

最終更新: August 18, 2005 (THU) 18:35 (bk1のリンク先修正)
前回更新:December 31, 2004 (FRI) 14:25,オンライン書店へのリンクを追記

書誌情報

書評

本書は,信州大学人文学部の赤川学助教授による,政府の少子化対策などのトンデモ分析の批判本である。とくに最初になされている,OECDデータで女子就業率とTFRに正の相関があるという(いろいろなところで喧伝されているらしい)話を再検討して,部分的なデータ選択を行わずに全部使うと無相関になる(トルコのデータまで使うと負の相関だけれども,これは著者も言っている通り外れ値とみなすべきだろう)という批判は切れ味がよい。他の検証も,社会学者の統計解析にしてはかなりきちんとされているという印象を受けたし,批判だけに終わらず,データから分析する限りでは少子化は不可避なので,ライフスタイルの真の意味での多様性を許す「選択の自由」と「負担の分配」の公平性が確保されるような社会を構築するのがよいという提言はもっともである。男女共同参画と少子化の問題は切り分けて別に考えるべきだという指摘には同感である(ぼくは,生殖補助医療が少子化対策の文脈でなされているのと同様,少子化対策というと世間のコンセンサスが得やすく,予算が取り易いからだろうと推察しているが,長い目でみれば,そういうやり方は破綻するに決まっている)。また,ご自分の検証結果について,その限界を意識されているようなのも好印象を受けた。文章も(「ぶっちゃけ」とか,やや口語的過ぎるきらいはあるものの)平易で読みやすいと感じた。

しかし,統計的に吟味すると,ちょっと粗いと思う点もいくつかあった。とくに前半がトンデモ分析の批判となっているので,そこから,以下目に付いた点を列挙してみる。

  1. p.40で重回帰分析を批判しているところ,せっかくならば多重共線性に触れてVIFを出すとか,データ数が少なすぎて過剰に説明してしまう場合があるとか,残差分析をしなければいけないといった辺りまで指摘して欲しかった。まあ,読者が引かないように,わかりやすい批判だけに抑えたのかもしれないが。
  2. p.55で著者のいわんとするところはわかるのだが,専門用語としてみると,「有意水準」は分析前に決めておくべき「有意確率がこれより低かったら統計的に意味があるくらい,偶然ではありえないことと見做しましょう」という基準なのであって,重回帰分析の分析結果の中に複数の有意水準が含まれていてはおかしい。たしかに有意確率が低いほど星を多くして有意性を示す目安にしている論文は多いのだが,現在のほとんどの統計ソフトは有意確率を計算してくれるので,その数字をそのまま表記すればいいのであって,星に変える必要はないというのが,現在の統計学の主流である。少なくとも,55ページの説明は誤っていて,「……確率(有意確率)の低さを示す目安である」と書くべきだった。
  3. p.58の重回帰分析結果の解釈で,再生産途中の人たちが対象なので,年齢は調整すべき共変量として入っているのだと思う(それ以上解釈すべきではないと思う)。その後,津谷さんの論文への批判内容は正しいのだけれど,津谷さんの論文は偏回帰係数の解釈がゆらいでいるのではなくて,分析結果からいえる「女性が就業すると子ども数が減る」ということから,一歩飛躍して,リービッヒの最小律みたいな考え方で,弱点を補強すればレベルが上がるだろう,という単純な推論を展開しているだけ(推論なのに「示唆される」という書きかたはフェアじゃないが)だと思う。考察で書かれているなら多少のスペキュレーションはあってもいいので,批判するならば,そのスペキュレーションには根拠がありませんよ(測定していない変数への操作の効果の話だから,本当はどうなるかわからない。せめて共分散構造分析で潜在変数として女性の働きやすさみたいなものを仮定して説明力が高ければいいのかもしれないが……),と指摘してあげたらいいのであって,ちょっと批判の仕方が粗いように思ったがどうか。
  4. p.70の表で相関係数を出すのは意味がないと思うがどうか。βと有意確率を出せばいいのでは? 独立変数のすべてが従属変数のばらつきに影響しているメカニズムが先験的に仮定できるわけではないのだから,変数選択してもいいのではないかと思うがどうか? 何よりも,自由度調整済み重相関係数の二乗が0.16しかないのだから,p.72の「子ども数を規定しているのは,どういう都市に住んでいるかという生態学的な要因であり,学歴,本人年収,従業形態といった社会経済的要因である」と結論するのは早計である。つまり,裏を返せば,この調査に入っていない変数によって8割以上規定されているということなので,それは個人ごとのライフヒストリーかもしれないし,確率的なばらつきであるかもしれないし,遺伝的・生物学的な要因かもしれないし,心理的な要因かもしれないし,マスメディアの影響など文化的な要因かもしれないのだけれども,そういう調査フレームを立ち上げるべき,と訴えるほうが建設的なのではないだろうか。p.73の「要するにこの調査結果からは,有効な政策的介入をどうあがいても導出しえない」のは,たぶん当たっているにしても,元々がNFR98の目的が少子化対策ではないのだから,それはそれで仕方ないのではなかろうか。たぶん,少子化対策のための調査を組むなら,第1子と第2子の出産間隔を従属変数にしてコックス回帰をするとか,もっと切れ味のよい分析をするためのフレームがあるし,そういうデータを取ればいいのではなかろうか。
  5. p.79〜81の議論は,結論部分にある,「要するに,男性家事分担度を引き上げる要因(夫が専門管理職,妻が常勤かつ高学歴)は,子ども数を高める要因にはなっていないのである」のうち,最初の部分が文献資料である点が弱い。カッコ内は分析結果から言えているのだが,それが家事分担度を上げるという根拠が文献資料では,その文献が実証的な結果に基づいているかどうかもわからないし,仮に実証的な結果だとしても,対象集団も違うだろうから普遍的に成り立つくらい強い関連がなくてはいけないけれども,そうではない。専門管理職は忙しい人が多くて,却って家事分担度は低いんじゃないだろうか(年齢も高齢の人が多いから,とも思ったが,さすがに年齢は調整しているんだな)。ちょっと書きすぎでは?

本書後半は,統計の再吟味ではなく,言説や学説の批判的レビューと意見表明からなっている。概ねうなずけるし(とくにp.200あたりの年金財政システム再構築の必要性については同感である),専門家でない方が廣嶋さんの論文をちゃんと読まれているのには感動したが,ここもちょっと引っかかりを感じた部分もあった。以下,主なものを列挙する。

  1. p.94の「専門家」には人口学の専門家が含まれていないことに注意されたい。たぶんジェンダー論の人たちばかりだから,人口分析には素人であって,阿藤さんが出したグラフだけみて,それを勝手に解釈したということなんではなかろうか。
  2. p.109の小見出し「ワークシェアリングにも疑問符」にはびっくりしたが,これは共稼ぎ夫婦間でのワークシェアというごくごく限定された意味で使われている。ワークシェアリング自体はもっと広い概念だし,フランスみたいに時短政策と組み合わせたワークシェアリングならば,失業対策として役に立つと思うし,社会に余裕が生まれると思うのだが,その辺りをターゲットにした批判ではなかったので安心した。まあ,そもそも文脈上,ここでその話が出てくるわけはなかったのだが。
  3. p.114で,「もっとも社会学者としての眼でみると,少子化の背景には,これまでの説明では十分配慮されてこなかったような認知的なメカニズム−ひとことでいえば,生活水準に関する期待の不可逆的上昇−が存在するように思われるのだ」と書かれているが,著者自身が後の方で書いている通り,これはイースタリンの相対所得仮説の流れにある仮説であり,オリジナルとまではいえないだろう。p.154-155の実証分析は大変エキサイティングで面白いのだが,既婚群の方が15歳時に低所得だった人が多いという可能性を考えたら,認知の問題とも限らないのでは?
  4. p.165あたりから指摘されている「理想子ども数」という概念の危うさは人口学者もずっと前からわかっていて,Westoffらも駄目出ししているだけではなく,代替的な方法を提案している。Bongarrts, J. (1990) The measurement of wanted fertility. Population and Development Review, 16(3): 487-506.にも紹介されているが,deletion methodというのは,かなりバイアスが低いと思われるがどうか
  5. p.171-172の耐久消費財か公共財かという議論はわかるんだが,Leibensteinが提案した拘束財という考え方にも触れて欲しかった(このサイト内の人口転換理論にちょっと紹介した)。

本書の着地点としてp.208から引用すると,

本書の文脈で最終的に問題になるのは,子育て支援や両立支援が格差原理にかなうかどうかであろう。子育て支援や両立支援が正当化されるかどうかは,そこで支援の対象として規定されている「男も,女も,仕事も子育ても」という男女共同参画型の夫婦が「社会的に最も不遇な人」と呼べるかどうかにかかっている。

本格的なデータ分析を行うには,紙幅が足りない。だがデータ分析に依拠するまでもなく,答えは明らかだ。自らのDNAを残すためであれ,愛玩するためであれ,自らの私的効用のために子どもを産んだ人たちが,それをもたない人たちよりも恵まれていないはずはない,とあえて断言しておく。

とあり,そこから,少子化対策としての子育て支援や育児支援は正当化されず,むしろ,制度設計は,特定のライフスタイルや家族像を前提にせずに,低出生率を前提とした上で,少子化がもたらす負担は,特定のライフスタイルや特定の世代に集中しない形で分配すべきだ,という結論が引き出されるわけだが,これにも論理的には納得する。評者自身のことに触れるならば,たぶん典型的な男女共同参画型のライフスタイルをとっていると思うけれども,自分が物凄く恵まれていると感じこそすれ,不遇などと感じたことは一度もない。個人的な感想としては,育児とか家事とかは,やってみればどちらも物凄く面白いものであって,やらないのは損だと思うけれども,社会的・経済的・生物学的な条件によってできない人がいるのもまた事実であって,そういう人が政治的プレッシャーを受けるような性質のものではないし,やっている人が妙に優遇される必要もないだろう。男女共同参画型夫婦が不遇だから少子化が進むなんていう馬鹿馬鹿しい雰囲気を醸し出しているのは,一部マスコミとか政府関係者とか酒井順子「少子」みたいな(本書で批判されているような多くの)言説のせいであって,いくらその層を支援しても,晩婚・非婚の解消にはつながらないだろうし,夫婦出生力の低下への歯止めとしても限定的な効果しかなさそうに思う。もっとも,利己的に考えて見ると,新新エンゼルプランは,少子化対策としての有効性は(本書が指摘する通り)ほとんどないだろうから積極的支持はしないけれども,まあ,男女共同参画型ライフスタイルをとっている者にとっては暮らしやすくなるだろうから別に反対はしないし(ずるいか?),政府の厚生官僚も多くはそういうライフスタイルをとっているに違いないとにらんでいるのだが。

無批判に受け入れてはまずいのだけれども(著者自身がリサーチ・リテラシーの必要性に触れているから,批判的に読むのは歓迎されるはずだと判断して,ここでいろいろ書いてみたという気持ちもある),かなり多くの点について,一読に値する内容を備えた本だと思う。


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