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書評:神田憲行『「謎」の進学校麻布の教え』(集英社新書)

最終更新:2014年10月20日

書誌情報

書評(というよりは,それに託けたエッセイ)

ぼくの母校である開成を含めて,麻布,武蔵の3校が以前から御三家と呼ばれていて親近感と幾許かのライバル意識はあったし,卒業生にも知り合いはたくさんいるのだが,麻布でどういう教育が行われているのか,学校生活がどうなのかといったことは,これまで知らなかった。開成や灘の本はたくさん出ているので,世間一般の人にもある程度知られていると思うが,麻布のルポは初めてではなかろうか。

読んでみたところ,意外にも想像以上に開成と似ていると感じた。文化祭と運動会は(時期は逆だが)生徒が運営していて(開成では文準,運準と呼ぶ),高2までは受験対策より知的好奇心をつつくような授業をしている等々,共通点は多かった。最近の生徒気質の変容についてはわからないが,かつての開成の先生方は小手先の受験ではなく,教養を深めるような授業をしてくださっていた。

ぼくが中1の時に受けた国語の授業は,1年間かけて本多勝一『極限の民族』と藤木高嶺『極限の山幻の民』を読むというもので,世界にはいろいろな環境でいろいろな人が固有の歴史を踏まえて生きていて,一面的な理想の押しつけは当事者にとっては害になるかもしれないという視点を学んだだけではなく,ルポにおいては書き手のフィルタがかかっていることを意識させてくれたのは大きかった。自分の考えも含め,複線的なソースの対比による相対化の必要性を意識せざるを得なかった。

同じく中1で受けた幾何の授業は,ユークリッド幾何学の公理から出発し,図形に補助線を引いたり定理を組み合わせたりして次の定理を証明するという内容の連続によって,論理体系としての数学が算数とはまったく違うことを教えていただいた。

同じく中1の生物の授業では,天気がいいから庭に出ようということで,互生とか輪生とか対生といった葉っぱの付き方の説明とともに,屋外で実物を見て触りながらハナゾノツクバネウツギとかサンゴジュとかいう非日常的な和名を教えてもらったことも忘れられない。本書によれば,麻布の理科も実験実習重視ということだから,その辺りも開成と似ていると思った。

もっと似ていると思ったのは,誰もが何かのナンバーワンであろうとするという点,いわばオタク気質であった。重要なのは,どんな分野についてであっても,何かを極めた人に対しては素直に凄いと認めるという気風だったと思う。入学から卒業まで学年トップの成績を取り続けた鄭君は別格として,声優オタクで当時放映されていたアニメをβマックスで撮りまくり,手作業でCFカットして莫大なライブラリを構築していたやつとか,プログラム言語でなくて直接16進数で機械語プログラムを組んでいたやつとか,変だけど凄いと思われていた。たぶん,本書で言われていた「どんな子にも居場所がある」のと同じだと思う。でも,逆に言えば,中学受験でそれなりの試練を突破したやつばかりなので,バイタリティや何らかの能力はあるからこそ,こんなことを言っていられるのかもしれないのだが。

【2014年10月20日,同日付鵯記より採録】


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