最終更新: August 24, 2005 (WED) 13:22 (書評掲示板より採録)
著者の蒲原さんはぼくと同じ1964年生まれなのだが,既にレプチン関係でNatureとかLancetといった超一流誌に筆頭著者としての論文を何本も載せていて,現在はレプチン遺伝子のクローニングに成功したFriedmanの研究室で客員研究員をしている,凄い人である。この本は,肥満研究についての実にすぐれたレビューであると同時に,ドキドキするような科学の謎解きを描いた名著である。目次を紹介しよう。
- はじめに
- 第1章 肥満は遺伝である
- 1.1 遺伝か環境か/1.2 急がれる肥満対策/1.3 肥満に関係する体のメカニズム
- 第2章 肥満遺伝子の発見
- 2.1 セットポイント説/2.2 レプチンの発見/2.3 レプチンの生理作用/2.4 ヒトの肥満とレプチン
- 第3章 中枢性食欲調節機構の働き
- 3.1 視床下部と食欲中枢/3.2 レプチンレセプター/3.3 ニューロペプチドY (NPY)/3.4 インスリン/3.5 コルチコトロピン放出ホルモン (CRH)/3.6 食欲中枢とHPA軸のフィードバック機構/3.7 さまざまな臨床病態とレプチン
- 第4章 肥満に関係する遺伝子
- 4.1 肥満の原因遺伝子の候補/4.2 熱産生が減少すると肥満になる/4.3 単一遺伝子変異による肥満マウス/4.4 黄色のテンジクネズミ/4.5 その他の遺伝性肥満モデル動物/4.6 高脂肪食が肥満を引き起こす理由
- 第5章 肥満の臨床
- 5.1 良い脂肪と悪い脂肪/5.2 脂肪の分布と肥満の診断/5.3 肥満の合併症/5.4 糖尿病/5.5 高血圧/5.6 高脂血症/5.7 痛風/5.8 胆石症/5.9 肥満になると免疫力も低下する/5.10 その他の肥満の合併症
- 第6章 ダイエット法について考える
- 6.1 まず栄養素を正しく理解する/6.2 さまざまなダイエット法/6.3 ベジタリアン・ダイエットのすすめ/6.4 ヨーヨー・ダイエットが危険という証拠はない/6.5 病院でのダイエット法
- 第7章 肥満の治療法
- 7.1 肥満の治療薬/7.2 アメリカで使用されている抗肥満薬/7.3 開発中の抗肥満薬/7.4 抗肥満薬を服用する前にするべきこと
- おわりに
- 参考文献
- 索引
白眉はレプチンが働くメカニズムを描き出した第2章と第3章である。でもところどころわかりにくい。ポジショナルクローニングの説明がこれだけでわかる読者がいるとはとても思えない。また,ロックフェラー大のグループの研究結果から,なぜ吸収効率の個人差が否定されるのかわからない。この文章を素直に読むと,吸収効率は個人内変動しないことが示されたのであって,個人差については無情報だと思うが。原論文(おそらく文献28のLeibel et al., 1995と思う)にもそうは書かれていない。まあ細かいことではあるが。
☆以下,気が付いたところについていちいちコメントを書いたので異様に長く,「書評」という枠を外れてしまうが,まあそれだけ興味を引かれたということでご容赦願いたい。☆
ヒトの場合,肥満の95%は高レプチン血症つまりBBBでの輸送異常かレセプター以降の異常だろうというのはわかった。しかし,71ページでの「そのような場合でも外部からのレプチン投与が有効」という記述はわからない。レセプターが異常だったらいくらレプチンを投与してもだめではないか。
第3章,神経性食欲伝達機構の話はよく知られている。化学感受性ニューロンの方はぼくにとっては新しい話であった。HPA-A AXISの提唱には納得した(しかし複雑なメカニズムだなぁ)。
123ページ,「ダイエットによる減量後のリバウンド,つまり減量が維持できずに元の体重に戻ってしまうことの原因の一つに,以上のような遺伝情報として規定された高レプチン値が関係しているとすれば,肥満の人にレプチンを投与することも,治療法の一つとして考えられます」という記載,ロジックがわからない。ここまでの文脈にすなおに読めばセットポイントの話であって,「遺伝情報として高レプチン値が規定されて」いるのは視床下部のレセプターの方なので,「肥満の人に」ではなくて,「ダイエットで減量後の人に」レプチンを与えてレセプターをごまかす治療法を示唆するということの筈。
129-130ページの,レプチンと性腺成熟の話は興味深いものだ。実は生殖内分泌学の方でも,レプチンへの注目は高いのである。なぜなら,Judy Cameronが報告している,サルが絶食している間LHサージが起こらないという話から,何かshort termで鋭敏に絶食に反応するGnRHとかLHへのシグナルがあるに違いないと考えられ,レプチンがその候補(間接的かもしれないが)だからだ。GnRHを産生する神経細胞の働きを制御する因子として,レプチン,インスリン,血糖値が作動していると考えるのは無理だろうか? 蒲原さん,調べてくれないかなぁ。
第4章の前半は,ぼくが下のURLに書いた内容とかなり重なる。まあ趣旨が違うので力点が違うが,ぼくの結論と同じだったので嬉しかった。専門家がそういうならやはり倹約遺伝子はβ3アドレナリンレセプターなのだろう。なお,137ページ,「ヒトでは,レプチンとレプチンレセプターの遺伝子に関して,ポリモルフィズム(遺伝多型性)が報告されていますが,いずれも生理的な作用に影響を及ぼすものではありません」の論拠を知りたいと思った。しかし,ヒトではβ3アドレナリンレセプターの変異で脂肪をためやすくなる=内臓肥満になるリスクが高くなる,とすると,ぼくの文(上のURL)で書いた第二の可能性の部分もこの遺伝子によって起こる可能性があるのだなぁ。
AKRやNZOなど多因子遺伝による肥満マウスの原因がレプチン輸送障害であることの記載を読んで,「輸送異常」の実例がわかった。第三脳室に直接レプチンを打ち込むと効くから輸送障害であるという論拠はクリアだが,どういうふうに輸送障害が起こっているか,そのメカニズムは不明なのだな。
高脂肪食がDITが低くて満腹感が得にくい(なぜかここだけ試験食を与えての聞き取り結果を引用しているが,マウスの満腹中枢の反応とかでいいのに)から肥満には良くない食事だという説明はクリアで面白い。レプチン抵抗性もメカニズムは不明か。レセプターがいかれてしまうのだろうか?
5.1の断り書きには好感がもてる。5.2は,W/H比とV/S比は知っていたが超音波が実用になりそうだとは知らなかった。ぼくが保健学科の学生だったころ五月祭でやった怪しげな計算とは違って腎臓周囲とか腹膜前とかの脂肪を推定できるならすばらしいことである。どうやるのか知らないが。5.3の内蔵型肥満の方が危険だというのはよく知られた話である。5.4は,肥満でTNFαレベル上昇がみられ,それがインスリンレセプター機能を低下させるというのがはっきりしているなら,すでにサイトカインとの共役もわかっているのではないか。しかし一般にサイトカインの機能は局所濃度依存だから,この記述ではよくわからないが。in vitroでの実験結果に意味がないという論拠はよくわかった。確かにレセプターを考えずにホルモンの実験をするのは無意味である。5.5と5.6は,昔聞いた説(肥満から高脂血症になると末梢の血管内にコレステロールが付着して動脈硬化になり,血管の血流への抵抗が増して高血圧になるという)には触れられていなかった。触れられてさえいないということは,あれは俗説なのだろう。どこが間違いか聞いてみたい気がするが。5.8の胆石症に関しては,最近,腎結石とか尿管結石の原因はナノバクテリアであるという論文がPNASに発表されたので,もしかすると胆石まで肥満の合併症とするのは考え過ぎか?
第6章に書かれていることによれば,ある知人が提唱している,果物と刺身による食事療法というのは合理的だ。ペスコ・ベジタリアンというとは知らなかった。この記載からは蒲原さんが推薦するオボラクト・ベジタリアンが,なぜペスコ・ベジタリアンよりいいのかはわからないなぁ。EPAとかDHAとかの摂取を考えたら,ペスコ・ベジタリアンの方がいいように思うのだが,どうなのだろう。
第7章,BMIで診断して処方するってのはまずいと思う(5.2で書かれていることからすれば)。さらに,肥満のセットポイントが遺伝子によって個人差があるように,肥満がいろいろな病気のリスクになる程度だって個人差があることを忘れているのではないか。あまりにコントロールすることだけを目標にするのは変だと思う。ヒトはそれほど画一的なものじゃないことはわかってるでしょうに。
「おわりに」p.259で蒲原さんがいっていることには同感,というか,遺伝子の適応度は環境依存であるから,「優生学」がおかしいのは明らかなのだ。分子遺伝(遺伝疫学)研究者にはここを忘れないで欲しいものである。
【1998年8月7日記】