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生態人口学試論
(環境人口論セミナー講演の概要)

このページは,2002年11月8日に,名古屋大学大学院環境学研究科の「環境人口論セミナー」に招かれ,自分の人口研究の紹介とその人口学の流れの中での位置付けを,ということで講演した内容の概要である。

人口学について詳しく知りたい方は,人口学のページをご覧頂きたい。

内容

日本の人口学

人口学の諸分野

代表的な本の章立てから説明する。

岡田実・大淵寛【編】「人口学の現状とフロンティア」大明堂,1996, ISBN: 4470921068
・日本人口学会の学会賞を受賞した本。
第1章 科学としての人口学
第2章 人口思想史
第3章 歴史人口学
第4章 経済人口学
第5章 社会人口学
第6章 地域人口学
第7章 生物人口学
第8章 形式人口学
第9章 政治人口学
第10章 人口政策学
日本人口学会【編】「人口大事典」培風館, 2002の一部
・今年刊行されたばかりの,日本人口学会の会員が総力を挙げてまとめられた大事典。
8章 現代の人口思想
  1. 戦後のマルサス論争
  2. 人口転換論とその再検討
  3. 人口と成長の限界
  4. 人口・開発・環境をめぐる修正主義
  5. 人権論・フェミニズムと人口思想
  6. 宗教と人口思想
  7. 人口政策思想の変遷
  8. 低出生力と文明
9章 人口学とその構成領域
  1. 科学としての人口学
  2. 歴史人口学
  3. 経済人口学
  4. 社会人口学
  5. 地域人口学
  6. 生物人口学
  7. 形式人口学
  8. 応用人口学

世界の人口研究拠点

詳細は日本人口学会の廣嶋清志会員のサイトのリンク集や,Social Science Information Gateway(SOSIG)のDemographyのリンク集を参照されたい。

主要組織

主要なUSの大学のPopulation Research Institute

日本の拠点

世界の人口研究状況

全体として,方法論の開発か,ヨーロッパの人口を対象とした研究に偏っている。途上国の人口問題はあまり研究者がいない。

人類の寿命の延びの予測のようなマクロで大きな話は,人口学者と数理科学の研究者が共同してやっているが,多くはない。

環境と人口の関係について

あまり研究が進んでいない。マルサス(*1)以来の環境(あるいは食糧)が支えることができる人口の限界を危惧する流れとリビジョニストの反論をも踏まえた,コーエン『新「人口論」』(*2)に載っているレビューがわかりやすくまとまっている。

(*1) マルサス「人口論」中公文庫,1973年(生活財が等差数列的にしか増加しないのに人口が等比数列的に増加するから生活水準を維持するには人口抑制が必要だと論じた古典。原著初版は1798年刊)

(*2) ジョエル・E・コーエン著,重定南奈子・瀬野裕美・高須夫悟訳『新「人口論」:生態学的アプローチ』,農文協,1998年

古典的枠組み

人口と食糧のジレンマ
紀元前1600年より前の叙事詩に,人口過剰と,病気や天災や不妊がそれを調整する神の恩寵であるという考え方が出ている
ギリシアの叙事詩「キプリア」でも,「地球上の人口が過剰にならないように神が戦争や疫病を課している」とある
紀元前500年頃,韓非子「息子の数が5人というのが多いと思われなくなっているので,人口過剰になって富が減る」
ジレンマ解決の可能性として想定されたもの
ロジスティック成長で解決?
農耕の集約化(化学肥料と農薬を使った労働集約的な,高投入高収穫の農耕)と灌漑などによる農地の開発を通しての食糧増産でも解決?

20世紀末以降の枠組み

世界人口予測方法

見かけの変化に合わせた単純なモデル
(実はどれも十分な説明にならないことが既知)
  • 指数的増加モデル: dN/dt=rN,即ちN=N0exp(rt)
  • ロジスティック増加モデル: dN/dt=rN(K-N)
  • 最後の審判日モデル: dN/dt=rN2
  • 指数的増加の和のモデル: 2つの部分集団
マクロな法則性を仮定する複雑なモデル
システムダイナミクス:いろいろな関連要因を考慮できる。長期的には無力
地域あるいは国別にコウホート要因法などで予測をしたものの足し合わせ(条件付き/無条件)

人間に関する地球の環境許容量

マクロな研究の欠点

生態人口学の発想

モデルの比較

生態マクロミクロ(MAMを含む)
対象地域小集団自治体,国,世界地域又は自治体
構造多因子,多層単層多因子
自由度
必要な説明力
データ
計算量

事例:パプアニューギニア低地ギデラの低出生力

ギデラはパプアニューギニアの南側の低地に13の村落に分かれて居住しており,総人口は2000人余りである。これらの村落から生態的条件が多様になるように,北方川沿いの2村落,内陸の1村落,南方川沿いの1村落と海岸の1村落を選び,1996年と1997年の2回にわたって調査を行った。これら5村落の思春期以降の女性全員を対象としたが,実際に調査を行えたのは,その約6割にあたる160人であった。

ギデラを含むいくつかの集団の完結パリティ分布

ヒトの集団において,女性の生涯の出産児数つまり完結パリティの分布は,一般にポアソン分布または負の二項分布に従うことが知られている。Woodによって報告されたGainjや,Howellによって報告された!Kungのように,意図的な出産抑制が行われていない集団では,平均と分散がほぼ一致するポアソン分布型になり,先進国のデータでは分散の方が大きい負の二項分布型になることが知られている。ポアソン分布ということは,連続する出産が独立に起こり,かつ出産パタンに個人差がないことを意味する。しかし,ギデラのデータはこのどちらにもあてはまらない。完結パリティが0の人が最も多く,あとは徐々に減って行く右下がり型である。生涯婚姻しないで終わる人はいないので,なんらかの,低出生力をもたらす要因の存在が示唆される。それが何なのかを多角的に探るのが本研究の目的である。

完結パリティ分布の変化

1980年から1982年に行われた家系図復元調査に基づく完結パリティ分布と,1996年から1997年の聞き取り結果を比べてみても,すべてのグループで完結パリティ0が最多というパタンに差はなかった。家系図を遡って最も昔のグループと考えられる女性たちは,ほぼ1880年前後から1910年前後に生まれているので,彼らがかなり古くからそうした再生産パタンをもっていたことがわかる。したがって,この原因は人工的な避妊などではありえない。そこで原因として考えられたのは,性病などによる後天的な不妊の多発である。

低妊孕力の病理的原因

Mascie-Taylorによれば,出生力を下げる感染症は下表のようにまとめられている【Mascie-Taylor, C.G.N. (1996) Relationship between disease and mortality. In: Rosetta, L. and C.G.N. Mascie-Taylor [Eds.] Variability in human fertility. Cambridge University Press, Cambridge. pp. 106-122】。このうち,ギデラで問題となるのはマラリアと淋病だが,完結パリティ0の人が多いということは,再生産開始前に不妊になっていることを示唆し,マラリアにはそういう効果はない。淋病はPID (pelvic inflammatory disease)を何度もおこすと卵管閉塞になって不妊になる可能性が高いので,低出生力の原因はこれではないかと思われたが,最近は衛生状態が向上し,淋病に罹っている人も減ったので,それでもなお低出生力が続いているならば,淋病だけに低出生力の原因を求めることには無理がでてくる。

1) 非STD
アメーバ症: 妊娠中の死亡率を上げる
ジアルディア: 重症化すると栄養吸収阻害をおこし,出生力が低下する
結核: 性器結核にかかると性交が痛みを伴うので出生力が落ちる
リーシュマニア: 妊娠中のカラ・アザールに感染すると胎児死亡のリスクが上がる
トリパノゾーマ症: 経胎盤で胎児に影響し,自然流産や死産のリスクが上がる。眠り病は発熱により自然流産や死産のリスクを増し,受胎確率を下げる
マラリア: マラリアに罹っている間は高熱により精子数が減り,胎児死亡率も上がる
腸管寄生虫: 女性の生殖器に入って,卵管卵巣膿瘍を起こすことがある
フィラリア:精管や精巣の腫れなどにより性交が痛みを伴うことがある
2) STD
AIDS: 妊娠中は T4が減るのでAIDSに感染しやすくなる
淋病: 卵管に炎症を起こし,卵管閉塞を起こす場合がある。妊娠中に感染すると胎児の成長が阻害される
梅毒: 流産を起こすことがある。先天梅毒の新生児は死亡率が高い
クラミジア: 非淋病性の骨盤内炎症性疾患(PID)の2〜5割を占める。不顕性感染が多い
単純ヘルペス: 感染中は性交できない

低妊孕力の非病理的原因

Rosettaによれば,感染症以外の低出生力をもたらす要因は,下表のようにまとめられている【Rosetta, L. (1996) Non-pathological source of variability in fertility: between/within subjects and between populations. In: Rosetta, L. and C.G.N. Mascie-Taylor [Eds.] Variability in human fertility. Cambridge University Press, Cambridge. pp. 91-105】。本研究で問題にしているのは完結パリティなので,1)の個人内変動は関係ないし,ギデラは栄養状態に関してはエネルギーもタンパクも十分に摂取できていることが既知なので,2)と3)のうち低栄養による無月経などの問題は無視できる。また,授乳期間による産後無月経はパリティ0が多いという問題には無関係である。環境内分泌撹乱物質については不明だが,50年以上前からの傾向なので考えなくてもよい。聞き取りによって,ギデラには意図的な出産抑制の習慣がなかったことはわかっている。結局,感染症以外の可能性としては,ステロイドホルモンのレベルが低いことによる出生力低下が残るので,女性の尿中ステロイドホルモンを測定し,出生力との関連を探ることにした。

1) 個人内の変化に影響する因子
a) 加齢
  • 初潮直後や閉経前は月経が不規則になる。性ホルモンレベルも変化する。
  • 精子数も50歳を超えると減る
b) 環境要因
  • 栄養状態が悪かったり身体活動レベルが高いと月経に影響する(絶食だと無月経)
  • 夏は気温が高いので精子数が減る
2) 個人差に影響する因子
a) 産後無月経期間が長い/成熟が遅い
  • 長期間高頻度な授乳,低栄養
  • 遺伝的素因(排卵期のステロイドホルモンレベルが低いなど)
b) 精子産生量が低い
  • 遺伝的要因,環境要因(環境内分泌攪乱物質など)の両方が関与
3) 人為的な因子
避妊や人工妊娠中絶
文化的要因(複雑な婚姻規制など)による制限

調査方法

  1. 既往出生児数,月経の状態,授乳の状態についてのインタビュー
  2. 尿中hCGレベルのチェックと1年後に出産していたかどうかによる早期胎児死亡の検査
  3. 出産経験の有無により尿中ステロイドホルモンレベルに差があるかどうかの比較
  4. 栄養状態の指標としてBMIや体脂肪割合を用い,出産経験の有無によりこれらの値に違いがあるか比較

最終月経からの経過期間別人数

尿サンプル採取時の最終月経からの経過期間別の人数をみると,1週間毎にまとめて数えた人数がほぼ同じであり,別に聞き取った周期が4週間から5週間の人が大部分だったことからすると,とくに月経に異常がある人が多いとは思われなかった。授乳性無月経の人が閉経前の女性のほぼ2割とかなり高い割合を占めているのは,ギデラにおける授乳期間の長さを反映している。

末子出産年別,授乳状態別人数

一番最近に生んだ子どもを生んだ年と,現在の授乳の有無をクロス集計すると,1995年に生んだ子どもにもう授乳していない一人を除けば,全員が2年から3年は授乳をしていたので(下表),授乳性無月経が比較的長期にわたることは不思議ではない。パリティ0が多いことへの寄与はないが,授乳期間が長いことも低出生力の一因であったことは,間違いないと思われる。

末子出産年授乳中非授乳
1996年90
1995年101
1994年80
1993年42
1992年以前273
合計4376

月経中/閉経後別パリティ分布

1996年の聞き取り結果では,パリティの分布は,閉経後の女性に限ってみますと,先に示したように0にピークがある右下がり型になるが,結婚経験がある女性全員でみるとピークが1にきて,平均3.7人,分散7.2人となる。閉経前の女性だけ考えるとパリティが0の人の割合はさらに減ることがわかった。

このことは閉経前の女性において出生力が大きくなってきていることを示唆する。1996年の時点で閉経後の女性は,おそらく1950年あたりより以前に生まれているので,若い頃は近代的な医療の恩恵に与ることもほとんどなく,淋病に何度もかかることによって卵管閉塞を起こして不妊になった人が多くても不思議はない。また,当時は出産に伴なう死亡が多かった可能性もあり,現在生き残っている人の中で不妊だった人の占める割合が相対的に高くなっている可能性もある。この辺りはシミュレーションなどで確認する必要がある。ギデラでは成人の過半数について,遺伝情報として,HLA-DRや,いくつかの血清タンパク多型がわかっているので,遺伝的多型の頻度によって,出生と死亡の偏りがあった場合のシミュレーション結果を検証可能である。

一方,思春期以後の女性のうち,未婚の人の20%は,1名または2名の子どもをもっていた。この割合は以前より高くなっており,その原因として莫大な婚資を要求されるので形の上では結婚しないままでいる人が増えてきたことや,町の中学や高校に行ったときに妊娠してしまう女性が多くなってきたことがある。以前は厳密な半族間の姉妹交換の順番を待って結婚し,出産していたので,比較的晩婚かつ晩産の傾向があった。1996年時点で閉経後の女性の出生力が低かった原因には,こうした社会的規制もあったと考えられる。

1996年において尿検査から妊娠していると判断された,妊娠していると自覚していなかった女性は3名であった。この3名はそれから8〜9ヶ月後に出産していて,早期胎児死亡は少ないものと思われた。バングラデシュで同じ方法で早期胎児死亡を評価したHolmanの研究ではきわめて高い早期胎児死亡が報告されているが,ギデラの低出生は胎児死亡によるのではないとわかった。

閉経後の女性について,出産経験の有無と尿中性ホルモンレベル

閉経後の女性48人について,完結パリティが0の人とそれ以外の人との間で,尿中性ステロイドホルモンを比較したところ,有意な差はなかった。閉経後にこれらの濃度が低下することはよく知られていて,閉経前は差があったのかもしれないが,1996年時点で閉経前でパリティ0の人は6人しかいなかったし,その人たちは比較的年齢が低いので,閉経前の人について統計的に比較することは不可能だった。サンプル数を増やしてフォローする必要がある。

栄養状態の指標としてのBMIにもパリティ0の女性とそれ以外の女性の間で差はなかったので,ギデラにおける低出生には,栄養状態はあまり重要な要因ではないことが示唆された。

まとめと展望

ギデラにかつてみられた低出生は淋病に起因する可能性はある。社会的規制による晩婚と晩産や長い授乳期間の寄与がある可能性もあるが,性ホルモン状態や栄養状態はおそらくあまり関係していない。

これらの要因の出生力への相対的寄与を分析し,ギデラにおける出生のメカニズムを明らかにした上で,個人ベースの人口シミュレーションモデルに組み込む予定である。死亡についても同様な分析を行い,etiologyを明らかにした上で,それもモデルに組み込めば,生態人口学的なモデルが構築できるのではないか。少なくともギデラにおける人口再生産の現状のメカニズムのある局面を捉えたものになると思われる。そこに至って初めて,条件付きの予測が意味のあるものになりうると思われる。


リンクと引用について