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2011年2月ソロモン諸島往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2011. Last Update on 2011年7月11日 (月) at 17:30:01.

【第5日目】 健診一日目にしてお別れパーティの日(2011年2月12日)

6:45に起床し,用便と朝食を済ませて8:15には健診準備を完了していたが,まったく車は来ないのだった。何人か村人が健診を受けに来たのだが,申し訳ないがまだホニアラからのチームが来ていないのでもう少し待って欲しいとお願いするしかなかった。

9:00に山内さんから電話が掛かってきてわかったのは,事態は予想以上に悪いということだった。こちらの番号をFさんから聞いて,Telecomのsimカードを自分の携帯電話に挿して掛けているのだけれども,いまホテルを出たばかりだという。ホテルにもこちらにもまったく連絡もなく2時間遅れてやってきたFさんが言うには,確保していたはずのG-Provinceのドライバーが確保していたはずのHiluxに乗ってどこかに行ってしまって連絡もつかない(たぶん前日の金曜に酒を飲み過ぎて眠っているのかもしれない?)ので,急遽別の車と別のドライバーを探すのに2時間(土曜の朝だから当然だが)かかったということだった。木曜も10時と言って11時だったから,1時間くらいの遅延は覚悟していたが,2時間,連絡もなく遅れるのはひどいと思う。日本ならクビであろう。しかし研究所には彼女しか動ける担当係官がいないし,ご兄弟のご不幸とか,ワークショップの準備が忙しいこととかで,過大な負荷がかかっているのは間違いないし,彼女の言葉を信じれば,遅れてしまったこと自体の原因はG-Provinceの運転手にあるわけだから,同情の余地はあり,我々としては,ちゃんと連絡するようにしろとしか言いようがない。しかしそれがまた,前日にSupreme Car RentalからEla Motorsに電話するために,ぼくが50 SBD出して,彼女の携帯電話の通話可能残額を"Top up"した(CASINO HOTELではTelecomしか"Top up"できず,Be-mobileは扱っていないのだった)のにもかかわらず,自分の携帯電話は通話可能残額が0.2 SBDしかないので連絡できなかったというのだ。しかし土日の2日間しかない健診のスタートが大事なことは彼女だってわかっているはずなので,そこは自腹を切ってでも通話可能にしておくべきだろう。

いずれにせよ,これでは最短でもあと1時間は着かないので,待っている村人たちに,トラブルがあったので,あと1時間は健診を始められないと説明して,いったん帰ってもらわなくてはいけなかった。たぶん畑に行ってしまう村人もいるだろうから,健診の受診者が減ってしまうという意味でも,彼ら自身が健康状態をチェックするチャンスを失ってしまったという意味でも,非常に残念だ。

不幸中の幸いといえるのは,急遽G-Provinceから借りたという別のHiluxが非常にいい車で,ドライバーも優秀だったので,ホテルから村まで約1時間で着いたことだ。50 kmの距離だから,道路の状態が良ければ1時間で着くのは不思議でもないのだが,RAV4では1時間半から2時間近くかかるのが普通なのだ。7時ホニアラ発で9時スタートのつもりだったのが,9時ホニアラ発で10時スタートになったので,結果的には1時間の遅れにはなったが,それでも土曜朝の1時間の遅れによって減ってしまった健診受診者のことを考えると頭が痛い。

村でのお別れパーティのご馳走結局,昼飯を挟んで16:00頃までの間に57人の受診者があった。ホニアラから来たチームのうち山内さんも今夜は村に泊まることになっていて,CS神父の家が使えないのが問題だったわけだが,ぼくらがお世話になっている家で眠っている子供たちに,一晩だけ場所を貸してもらうことになった。荷物を住処に運び込んでからデータ入力とか受診者写真ファイルの整理とかをしていたらすっかり日が暮れた。作業が終わったのは20:00近かったと思う。晩飯が遅くなって済まないとJC氏の娘が言いに来たが,これはたぶんお別れパーティのご馳走を用意しているのだろうと思ったらその通りだった。鶏肉がしこたま入った水炊き風のスープが実に美味だった。この日は天気も良くて星空が美しく,素晴らしい夜であった。

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Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.

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