神戸大学 | 医学部保健学科・大学院保健学研究科 | SDHE Lab. | フィールド紀行 | Top

2012年9月のパプアニューギニア往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2012. Last Update on 2012年9月28日 (金) at 19:22:35.

【第5日目】 村人たちとの話し合いと村内地図作り(2012年9月12日水曜)

現地語でグゾサナと呼ばれる,サゴヤシデンプンとココナツの白い部分を削ったものを混ぜて椰子の葉にくるんで焼いたものと,ヤムイモを焼いたもの,それにインスタントコーヒーという朝食の後,先発隊も来ていることだし,日本人調査隊4人とカウンシラーとコミッティ(村会議員のようなものか? 2人いて選挙で選ばれる)を含む村人たちとディスカッションとなった。目的は,40年にわたって調査対象となっている地域なので,我々調査チームは村に対してどういう貢献ができるのかということであった。もちろん学術調査隊なので,直接的な金銭的貢献はできないことをまず理解してもらった上で,我々にできることは,この地域の村人の生活と健康についてのfactを明らかにし,そのfactに基づいたsustainable developmentのプロジェクトを村人が作って州政府,PNG政府と上げていって,PNG政府から日本政府に依頼があればJICAなりなんなりがプロジェクト支援をするというルートはあるので,この地域のプロジェクトが採用されるように働きかける推薦状を書くことくらいだということを説明した。村人たちもそれで喜んでくれたので良かった。ついでに,村人が集まっているいい機会なので,山内さんとぼくの滞在目的である人口のフォローアップ調査と生体計測についても説明し,了承して貰った。

午前中は先発隊の帰り方を模索するので終わってしまったが,飛行場の近くの家の軒下で待っている間に推薦状の文面を考えたので,時間はそれなりに有効に使えたと思う。

しかし先発隊は大変な思いをしたらしい。結局飛行機は来ず,カヌーで途中まで行って,エンジン付きのディンギーが使えるフライ河に出たら(タピラかレワダのどちらかのステーションまで辿り着けばディンギーがたくさんあるそうだ)乗り換えてダルーを目指すことになった。翌朝10:00にダルーを発つ飛行機に乗るには,それしか方法がないのだった。しかし,その日のうちにはタピラにもレワダにも辿り着けず,野宿に近い状態で夜明かしせざるを得なかったりで,結局ダルー発ポートモレスビー行きの飛行機に間に合わず,翌日の別の会社(Airlines PNG)の飛行機でポートモレスビーに出るしかなかったそうだ。その顛末は,どこかに先発隊のどちらかが書くらしい。ちなみにタピラやレワダは伐採会社が木材を出荷するため開発されていて,大きな埠頭があるそうだ。

午後はコミッティの1人S氏や暇にしている若者たちに案内して貰って村内の地図を作った。地図と言っても正確な測量をしているわけでは無く,世帯を見落とさないように,家屋建物のだいたいの位置関係がわかるようなスケッチをして番号と世帯主名を振っていくだけだが,これがなくては人口調査はできないという意味で,とても重要なものだ。スケッチマップ作りが完成したら夕方になっていて,とても疲れた。晩飯までのわずかな時間に昼間考えた文面を打ち,印刷してサインまでしたので,推薦状に関しては,後は頃合いと状況を見てカウンシラーとコミッティに渡すだけだ。

というわけで疲れ果てたこの夜は,晩飯の後は村人たちと少し喋って眠った。

前【第4日目】(カパール村入り(2012年9月11日火曜) ) ▲次【第6日目】(測定開始(2012年9月13日木曜) ) ●2012年9月のパプアニューギニア往還記インデックスへ


Correspondence to: minato-nakazawa@umin.net.

リンクと引用について