神戸大学 | 医学部保健学科・大学院保健学研究科 | SDHE Lab. | フィールド紀行 | Top

2013年9月のパプアニューギニア往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2013. Last Update on 2013年9月23日 (月) at 14:02:50.

【第7日目】 カパール村へ飛べるか(2013年9月18日)

現地時刻6:30に起床。寝汗をかいていた。予定通り7:00から朝食をとり,すぐにチェックアウトして空港へ。空港で待っていた他の乗客と話していたドライバーが,まだ時間があるから買い物とかはないかと尋ねてきたので,じゃあATMを試したいと言って連れて行って貰った。途中,Lさんから電話があって,どこにいるかと訊かれたので,空港に着いたが,まだ飛行機が来なそうなのでATMに行ってくるところだと答えた。いろいろ気にかけてくれてありがたい。

前日使えなかったせいか,何人か並んでいたATMだが,ドライバーがセキュリティの人と話をして,優先的に使わせてくれた。外国人がATM周辺に長居しているのは危険だという理由による。今度は無事に1000キナ引き出せた。これで多少余裕をもってカパールに行って来られる。OkTedi鉱山の会社所有の飛行機

空港に戻ってひたすら待ち。普通はMAFのエージェントがいて,もう少し見通しがわかるのだが,独立記念日絡みでダルーのエージェントがウィピムに行ってしまっているので,ダルーの乗客の管理がうまくいっていないようで,大勢の乗客がいるのだが,誰もいつ飛行機が来るか知らない。別の航空会社の飛行機がいくつか着陸したが,地方政府チャーター機だったり,バラマンディの輸出専用機だったりで,一般客が使えるような飛行機はないのだった。オクテジ鉱山の会社が所有する飛行機が来た時は,屈強そうな若者が奥さんと赤ちゃんと涙の別れをして,タブビルに旅立っていった。昼を過ぎてもMAFの飛行機が来ないのでいらつき始めた頃,B氏から声を掛けられた。実は彼は地方政府の事務官なので,今朝のチャーター機でダルーに帰って来て,第2便の荷物を引き取るために再び空港に来たところ,偶然ぼくを見かけたので声を掛けたのだという。8:00からずっとMAFが来るのを待っているのだと言ったら驚いていた。漸くMAFの飛行機が来たのは14:00を過ぎていた。飲まず食わずで待っていたので疲れた。来た飛行機は5人乗りだったので,やはり待っていた全員が乗れたわけではなく,カパール行きの4人とタピラ行きの1人は乗れたが,ぼく以外の全員が滅茶苦茶な大荷物を抱えていて補助座席を出せず,ウィピムに行きたがっていた2人と,もう1人カパールに行きたかった人は次の便が飛ぶ金曜日を待つことになった(それでも飛ぶかどうかわからないのだが)。ぼくが乗れたのはメールで直接本部に何度も連絡しておいたことと,有力者の口利きがあったことと,外国人の旅なので日程の制約が大きいことをパイロットが理解しているからだと思われた。ともかく,エージェントがいなくなるとMAFの運行管理は崩壊するので,次にどこかに行ってしまう時は代理を立てて業務引継をしていって欲しいと強く思った。

さて20分弱のフライトでカパールに着いて歓待を受けたのはいつも通りだったが,どうも村の様子がおかしい。訊いてみると,ついさっき,一人の女性が毒蛇に噛まれて,吐いて弱っているという。毒蛇被害は人口300人くらいのこの村では,年に多くても1人か2人だし,今年も初めてだそうだ。救急治療にあたっていたエイドポストオーダリーのD氏に訊くと,村には抗血清がないので,毒を吸い出すことしかできないのだが,そのキットが無くて困っているということだった。ちょうど飛行機がこれからウィピムに行くのだから,載せていって貰って,ウィピムヘルスセンターで治療したら? と言ったら運賃を払えないという。救急なのだしMAFという航空会社は教会運営なのだから,人道支援でタダでやってくれてもいいんじゃないかと思ったが,村人が有料だというからには有料なのだろう。いくらかかるのか訊いてみたら,患者に2人の付き添いがついて260キナだという。ちょうどさっきATMで金を引き出したところなので,それくらいなら払える。"I'll pay because life-saving is very important"(人命救助はとても大切だからぼくが払うよ)と言って260キナをエイドポストオーダリーに渡したら,村人の間から自然に拍手が湧いたが,1万円程度のお金で命が左右されるっていうのは,やっぱりとても悲しいことだと思い,複雑な気持ちだった。

いつものB君の家に荷物を置いてココナツジュースを飲みながら少し休んでから飛行場に戻り,ウィピムから飛んできた先発隊2人(+彼らがウィピムから雇っているアシスタント1人)と合流。2人とも元気そうで何よりだ。たぶんウィピム滞在はまだ1週間程度だというのに日焼けが凄かった。

今回は2日しか時間がないので,荷物を置いてからすぐに独立記念祭で人々が集まっている広場に向かい,去年の調査から今までに起こった人口動態イベントをすべて教えて貰った(細かいところは後で補足的に聞き取りする)。これが,立ったまま1時間以上の聞き取りになったので疲れ果ててしまった。が,汗で気持ち悪いので水浴びに行き,蚊帳を吊って寝袋を用意して,等々していたら日が暮れた。先発隊が米や缶詰をもってきたので,晩飯はそれを料理して貰った。湯を沸かして貰って,札幌に行った時に天使大学の佐藤先生から頂いたコーヒーをドリップして飲んだ。ブルーマウンテンとソフトブレンドを飲み比べたら,明らかにブルーマウンテンの方が美味だった。これは飲んだ3人の一致した見解だから気のせいではないと思う。

その後は調査隊内で少し情報交換してから就寝。独立記念祭のクロージングイベントがあるという話で,若い先発隊は見に行くという話だったが,結局何も無かったらしい。

前【第6日目】(ドロゴリ村に行ってくる(2013年9月17日) ) ▲次【第8日目】(カパール村での調査(2013年9月19日) ) ●2013年9月のパプアニューギニア往還記インデックスへ


Correspondence to: minato-nakazawa@umin.net.

リンクと引用について