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倹約遺伝子の本体は
β3アドレナリンレセプター遺伝子か?
The body of the thrifty gene.

Last updated on August 22, 2007 (WED) 12:30 (ヘッダとリンク先の更新).

背景

概念図

倹約遺伝子とは,オセアニアやアメリカ先住民で近代化に伴って肥満やインシュリン非依存性糖尿病(NIDDM)が急増した「新世界症候群」の原因を説明するために,集団遺伝学の立場からJ.V. Neelが1963年に提唱した仮説的遺伝子であり(図0),NIDDMの有病割合とAmerindian(注:アメリカ大陸原住民は,昔はインディアンとかインディオとか呼ばれていたが,今日ではアメリンドあるいはアメリンディアンと呼ぶのがふつうである)との混血割合との関係から,NIDDMハイリスク集団とそうでない集団の混血のモデルを考えた結果,単一の劣性遺伝子によって遺伝すると予測された(Weiss, 1992)。

また,アボリジニのNIDDM患者に伝統的な食生活をさせると体重が減少する(O'Dea, 1984)とか,オセアニアの島々の住民の欧米またはオーストラリア・ニュージーランドへの移住者と地元に残った者で食生活が違い,かつNIDDM頻度や高血圧有病割合が異なっている(Mascie-Taylor, 1993)とか,アメリカの同じ町に住んでいるAmerindianとCaucasian(注:いわゆる白人のこと。原住民をアメリンドと呼べば白人はコーカソイドであり,アメリンディアンと呼べばコーケジアンとなる)でほとんど同じような食生活をしているのにAmerindianの方が糖尿病罹患率が高く,それらは倹約遺伝子に起因するといった疫学研究は,枚挙に暇がない。さらに,NIDDMにかかると死産率が上昇する(Sicree et al., 1986)ため,倹約遺伝子に淘汰がかかって世代を追うにつれてグルコース不耐性の頻度とNIDDM罹患率が下がったという報告(Dowse et al., 1991)もあり,何らかの遺伝子の存在は確実視する研究者が多い。しかし,具体的にどんな遺伝子が,どんなメカニズムで「倹約」を実現しているのかは未解明であった。

メカニズムへの接近

ニールがいうような「エネルギーを効率よく利用する」メカニズムがあるとすれば,少なくとも次の3つの可能性が考えられる。まず,食物からのエネルギー吸収効率が良いという可能性である。この場合,小腸での吸収に絡む遺伝子の変異を検索することになる。第二に,余剰エネルギーを貯蔵する傾向が強いという可能性である。この場合,グリコーゲン生成経路及び分解経路に関与する遺伝子の変異を検索することになる。しかし,これら二つの可能性に関しては今のところ画期的な発見はない。そこで浮かび上がってくるのが,第三の可能性,つまり,無駄なエネルギーを使わないという可能性である。例えば,食物を摂取するときに生じる産熱であるDIT(注:Dietary Induced Thermogenesisの略。かつてはSDA [Specific Dynamic Action=特異動的作用]と呼ばれていたし,最近はTEF [Thermic Effect of Food]と呼ばれるものとほぼ同じ概念である)が低いとか,組織の基礎代謝が低いといったことが考えられる。β3アドレナリンレセプター遺伝子の変異は,この第三の可能性を強く支持するものとして1995年にNew England Journal of Medicine誌で報告され(Walston et al., 1995),その後急速に研究が進んでいるが,賛否両論渦巻いているのが現状である。この小論は,賛否それぞれの知見をまとめ,その食い違いの原因を探ることを目的としている。

β3アドレナリンレセプターとは?

アドレナリンレセプターは,2つのホルモン(アドレナリンとノルアドレナリン)の生理作用を媒介するもので,αとβ各々2つずつ,合計4つのサブタイプが古くから知られてきた。これらはすべてGタンパク質と共役する膜レセプターであって,アゴニストの結合によってアデニル酸シクラーゼを活性化し,Gsのαとβγサブユニットの解離及びGTPとGDPの交換を起こし,最終的にcAMPを産生する(堅田, 1993)。αとβの違いは,Ahlquistが1947年に報告した麦角アルカロイド存在下でのアドレナリンの血圧降下作用に由来する。彼はアドレナリンの血圧上昇作用をα作用,降下作用をβ作用と呼び,麦角アルカロイドはα作用を抑制すると解釈した。さらに,3種類の交感神経作用薬([1]アドレナリン,[2]ノルアドレナリン,[3]イソプロテレノール)の効力順位が[1]≧[2]>[3]となるものをαレセプター,[3]>[1]>[2]となるものをβレセプターと呼ぶことを提案した。その後は特異的合成アゴニストを用いた実験によってその性質が明らかにされてきている。

β1は心筋や脂肪細胞に多く局在し,心拍数増大や脂肪分解促進といった作用をもち,β2は動脈や肝臓に多く局在し,動脈の弛緩やグリコーゲン分解促進といった作用をもつことが明らかであったが,その他に非定型βレセプターが消化管,脂肪組織,骨格筋に多く局在していると予想されていた(これは従来のアンタゴニストによってほとんど活性が阻害されなかった)。実はこの非定型レセプターがβ3であって,消化管弛緩,脂肪組織における産熱,骨格筋におけるグリコーゲン生合成に関与していることが,その後明らかになった(Arch et al., 1984)。さらに,ヒトゲノムライブラリの検索から42881 Daの分子の配列が特定され(Emorine et al., 1989),アドレナリンよりもノルアドレナリンへの感受性が高いことがわかった。このことは,その活性の調節がストレス,高エネルギー摂取,あるいは寒冷適応などの状況に反応して交感神経系を通して起こることを示唆するものであった。

Trp64Arg変異はthrifty genotypeか?

アリゾナに住みNIDDM有病割合が異様に高いことで知られているピマインディアンでβ3の変異を検索し,アミノ酸配列で64番目のトリプトファン(Trp)がアルギニン(Arg)に置き換わったもの(TGGからCGGへの1塩基置換)の頻度が高いことを見出したのが,この遺伝子がthrifty geneである可能性を示唆した端緒である(Walston et al., 1995)。

この報告によれば,この変異型の遺伝子頻度は,ピマインディアンで0.31,メキシカンアメリカン0.13,黒人で0.12,白人で0.08であり,ピマインディアン内でNIDDM患者とそうでない人の間で頻度に差はなかったが,NIDDM患者のうちTrp64Argをホモ接合でもつ人は,ヘテロ接合でもつ人やもたない人に比べ発病年齢が有意に低く,間接熱量測定装置で調べた安静時代謝も低い傾向があった。

同じ号に掲載されたフィンランド人の結果でも,糖尿病患者と患者でない人の間でTrp64Arg遺伝子頻度に有意差はなかったものの(全体をプールしてみると遺伝子頻度は0.13),糖尿病でない人についてだけみるとTrp64Argの人の方がインスリン抵抗性が高く,仮説は支持された。また,フランス人でも,BMIが平均47という病的肥満の人でTrp64Argの遺伝子頻度が0.08,平均BMIが25のコントロール群で0.10で差はなく,Trp64Argをもつ人ともたない人の間の比較では現在の体重には差がなかったものの,20歳時の体重との差でみるとTrp64Argをもつ人の平均値の方が有意に高かった。この結果も,この変異型をもつと太りやすくなることを示し,これが倹約遺伝子であるという仮説を支持している。家系で分析した研究では,現在は肥満でなくともTrp64Argホモの人がいたが,その人は,詳しく聞き取ると病的肥満から心筋梗塞を起こして食事制限によって肥満を防いでいたので,仮説に矛盾は生じていない(Clement et al., 1995)。

日本人についても,肥満女性(平均体重80.6 kg,BMI 33.3)88人と肥満でない健康な女性(平均体重50.5 kg,BMI 22.3)100人の間でTrp64Arg頻度に有意差はなかったが,遺伝子型別に見るとヘテロの人で安静時代謝が有意に低く,低カロリー食と運動療法の組み合わせによる治療の効果が有意に低かった(Yoshida et al., 1995)。また,別の350人の日本人についても,NIDDMでない191人の中でTrp64Argホモの人の平均BMIは24.7,Trp64Argをもたない人の平均BMIは22.1で有意差があった(Kadowaki et al., 1995)。

反論

ところが,1996年になって反対意見がいくつか発表された。例えば,Québec Family Study (QFS)の対象者についても,Swedish Obese Subjects Cohorts (SOS)の対象者についても,これまで報告されたどの項目についてもTrp64Argの有無で有意な差はなかったというのである(Gagnon et al., 1996)。これに対応してWalstonらのグループもトーンダウンし,ナウルの集団ではTrp64Argがまったく見られず,サモア人でも52人中7人がヘテロだったもののNIDDM有病割合に正常な人と差はなかったといっている(Silver et al., 1996)。サモア人ではBMIや耐糖能などにTrp64Argの有無との間に一定の傾向は見られたが統計的に有意ではなかった。彼らは,ナウル人とサモア人は中国から渡来したからといって中国人でもTrp64Arg頻度を調べているが,結局,数が少なくてはっきりしたことはいえないというに止めている。

食い違いの原因は何か?

では,β3アドレナリンレセプターが倹約遺伝子である可能性はないと結論されるだろうか? 「NIDDMに関しても肥満に関しても,Trp64Argはナウル人では主要な寄与因子ではない」とWalstonらは言ってしまっている(Silver, 1996)が,それは早計である。

ここで,Weissの予想を思い出してみよう。ピマインディアンの混血の結果から予想されたのは,倹約遺伝子が常染色体上の一遺伝子座劣性遺伝する遺伝子である,ということであった。劣性遺伝子なのだから,当然のことながら,ヘテロ接合体では発現しないのである。QFSとSOSではホモ接合体の人は各々1名ずつであり(総対象者数はそれぞれ242人,385人),統計に耐えないということで分析されていない。さらに,このサンプルでは耐糖能も調べられているが,ほぼ正常である。つまり,疫学調査で示唆されたように,死産率の差のために倹約遺伝子頻度と平行してグルコース不耐症の頻度が低下するとすれば(Clegg, 1994),このデータは,既にTrp64Argが淘汰された後の状態を見ていることになる。

ナウル住民においてTrp64Argが皆無だったことも,同じ解釈が可能である。ナウルにおいては,1970年代から80年代にかけてグルコース不耐症の頻度が有意に低下しているのである(Dowse et al., 1991)。確かに,現在のナウルのNIDDMの主要因ではないかもしれないが,Western Contact直後の肥満とNIDDM急増を説明するには,Trp64Argが倹約遺伝子型であったと考えても何も不都合はない。ピマインディアンと日本人の頻度が白人や黒人よりも遥かに高いのは確かであり,依然として倹約遺伝子候補の一番手であることに変わりはない。飽食の時代には負の淘汰がかかるので,この遺伝子の頻度はますます低下して行くことが予想され,研究が難しくなっていくことが懸念される(ちなみに,QFSでヘテロの人の頻度は0.15で,ハーディ=ワインベルク平衡から予想される頻度0.14よりやや高く,Trp64Argホモの人の死亡率が高い可能性を否定しない)。

おわりに

この種の分子遺伝疫学的な研究で見解の相違が起こるのは,分子研究者が集団遺伝学及び統計学の理論に暗いことと無縁ではない。今後この分野での理論の専門家が増えてくることが期待される。

Neelが倹約遺伝子仮説を唱えた論文で最後に強調しているのが,この事例が優生学への強烈な批判になるということである。遺伝子の適応度が環境によって大きく影響されることを端的に示してくれる点が,倹約遺伝子仮説のもっとも重要なimplicationかもしれない,と思う。遺伝子の本体が特定されても,その点には何の変わりもない。

文献

English References

堅田利明 (1993) Gタンパク質とアデニル酸シクラーゼ. 井村裕夫, 岡哲雄, 芳賀達也, 岸本英爾(編)「レセプター 基礎と臨床」, 朝倉書店, 東京, pp. 45-55.


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