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人類生態学

人類生態学は,ヒトの集団が,その居住する自然環境と,文化,社会組織を通してどのように相互作用しながら生存しているかを調べる学問です。

そのために,フィールドワークを行って,人口,文化,社会組織,行動,栄養(食事)などを調べたり,生体計測や尿検査などによって健康状態を調べるのと同時に,環境試料や生体試料を採取して日本のラボに持ち帰って分析し,それらの結果をもとに,そのヒトの集団の生存を包括的に明らかにすることを目指しています。

「包括的に明らかにする」と言うのは簡単ですが,これは非常に困難なことです。そもそも,どのような理解ができれば「包括的」なのかさえ自明ではありませんが,生存にかかわる可能性のある要因の変化の可能性をすべて含めて(要因同士が独立ではなく相互作用しあうことも含めて)理解しようとする点に特徴があり,これは,疫学が他の条件を統制した上での因果関係を探索するのとまったく逆のベクトルといえましょう(*)。

そのような理解ができたならば,偶然変動も考慮したIndividual-Based Simulationモデルをコンピュータプログラムとして実装することによって,個々の条件の変化がどのような結果をその系に及ぼすのかを予測できる可能性が開けてきます。このようなシミュレーションの利用の仕方は,Dyke (1980)がhonorable useと言っているもので,現実としてありうる可能性を直接示すことができる点に最大の価値があります(その可能性がどの程度なのかという見積もりもできます)。

(*) 疫学が一般的に成り立つであろう「真の因果関係」を探求するのに対して,人類生態学は,あくまでも,対象集団が,その属する地域生態系の中で,どのように生存してきたのかという固有の歴史と将来を考えることが中心テーマです。もっとも,人類生態学は,集団の長期的な生存をアウトカムメジャーにした疫学であるといえないこともありません。ただし,そうなってくるとcomponent causesの特定すら極めて困難ですから,通常の疫学の方法論はそのままでは適用できません。

雑多な資料

「人類生態学」入門のための推薦文献

人類生態学が学問分野として確立したものであるかどうかは議論のあるところです。人類生態学の研究者が100人いれば100通りの捉え方があるともいわれています。しかし,ヒトの集団の生存をその環境とのかかわりで捉えるという思想は,ある程度確立したものであるといっていいと思います。この学問に関心をもたれた方に推薦できる,「人類生態学」の思想を書いた本をここにあげておきたいと思います。具体的なテーマ・地域についての研究は,それぞれのページで紹介します。

渡辺知保・梅﨑昌裕・中澤 港・大塚柳太郎・関山牧子・吉永 淳・門司和彦『人間の生態学』,朝倉書店[本書の紹介ページ。正誤表pdfもダウンロードできます],東京,409pp.,税別6,400円,ISBN 978-4-254-17146-4(Amazon | セブン&アイ | bk1
『人間の生態学』書影本書は,まず「人間の生態学とはいかなる科学か」と題して,人類生態学研究方法の3つの柱であるフィールドワーク,ラボワーク,モデル研究について論じます。次いで,「人間の生態を構成する要素」と題して,time allocation,人口分析,化学物質,食物と栄養,バイオマーカー,健康問題という,人間=生態系への代表的な切り口からの研究方法と知見を紹介します。ここまでが,大雑把にいえば,人類生態学の考え方と研究方法論についての概説になっています。本書の最大の特徴は,次の第3部「人間の生態学の成果」にあって,ここでは,パプアニューギニア,中国海南島,バングラデシュ,ケニア,インドネシアにおいて東大人類生態のメンバーが実際にやってきた研究成果をまとめて紹介することにより,人類生態学のビビッドな面白さが読者に伝わることを期待しています。最後に「人間の生態学の課題」と題して,環境問題との接点,保健学への応用,都市の生態学という,今後の大きな展開が期待される領域への展望を示しています。なお,本書のタイトルは『人間の生態学』となっていますが,「はじめに」で,「人間の生態学は,人間生態学・人類生態学ともよばれ,英語ではhuman ecologyという語がこれに対応する」と書いてある通り,内容はまったく同じです。
鈴木継美(1980)「人類生態学の方法」東京大学出版会(UP選書213),980円
目次は,まえがき,第一章:人類生態学とはいかなる科学か(イ:研究の領域と方法,ロ:実験科学か野外科学か,ハ:人類生態学の扱う「問題」),第二章:人間とその環境(イ:情報としての環境,ロ:生態学的複合,ハ:各種のアプローチ),第三章:手作りのセンサス,第四章:センサスから人口動態へ,第五章:人口の長期変動,第六章:人口調節のメカニズム(イ:人口の再生産,ロ:人口の移動),第七章:生業の構造(イ:生業を把握するために,ロ:生業活動の記録,ハ:分業と協業,ニ:投入される活動と産出されるもの),第八章:消費の諸側面(イ:生産から消費へ,ロ:分配の機構,ハ:入手可能性と受容,ニ:消費と支出),第九章:環境の評価(イ:生息の場所,ロ:環境の個別性,ハ:順応・同化・文化変容,ニ:適応の破綻,文献と参考書,となっています。もう四半世紀も前の本だというのに,内容が古くなっていません。パイオニアワークとしての気概がビシビシと伝わってきて興奮させられます。
鈴木継美,大塚柳太郎,柏崎浩(1990)「人類生態学」東京大学出版会,本体3200円
かつて人類生態学教室のスタッフが書いた教科書です。
大塚柳太郎,河辺俊雄,高坂宏一,渡辺知保,阿部卓 (2002)「人類生態学」東京大学出版会,本体2000円は,大塚教授になってから教室出身者で新たに書き下ろしたもので,データが新しくなっただけではなく,若干ターゲットが変わっています。
ELLEN, Roy (1982) Environment, Subsistence and System: The Ecology of Small-Scale Social Formations. Cambridge University Press.
著者はケント大学の人類学の教授でした。最初の4章で生態人類学の展開の歴史を概観し,それから生態系とヒトの生業との関係を,時間配分とエネルギーを鍵にして分析しています。最後に適応,再生産,方法論についても論じています。なんといっても,なぜヒトの生存を考えるのに環境(あるいは生態系)を考えなくてはならないか,それをどう考えるべきか,を論理的に示していく前半がすばらしいです。英語が難しいのが難点ですが,頑張って読むだけの価値はあります。
MORAN, Emilio F. (1982) Human Adaptability: An Introduction to Ecological Anthropology. Westview Press.
著者はインディアナ大学の人類学・公衆環境問題の教授です。この本も最初の3章ではヒトの適応に関する研究の歴史を論じています。第4章で,「生態人類学」の基本概念が示されます(なお,適応を主題にしたのが人類生態学,進化を主題にしたのが生態人類学という区分がかつてはあったそうですが,現在ではどちらもヒトの生存を主題にし,適応と進化の両方を捉えるのが不可避なので,本質的に人類生態学と生態人類学の差はありません)。5章から9章はいろいろな環境におけるヒトの適応の事例が豊富に示されます。最終章はヒトの適応に関する研究の将来の方向性が示されています。この「将来」はだいたいにおいて手を着けられてはいますが,解かれてはいません。ぼくは基本的に「ヒトの適応の研究は純粋科学と応用科学の間の細い線の上をずっと歩いてきた」という彼の言明に同意しますが,この言明こそは著者の研究の方向性を示しているものといえます(現在では,彼は公衆環境問題への取り組みを組織化し,実践しています)。ELLENの本に比べると英語が平易で取り付きやすく書かれています。論理も追いやすいですが,深みと緻密さはELLENの本に一歩譲ると思います。
G.W. Lasker and C.G.N. Mascie-Taylor [Eds.] (1993) Research Strategies in Human Biology. Cambridge Univ. Press.
Prof. C.G.N. Mascie-Taylorは大塚さんの友人で,Journal of Biosocial ScienceのEditor in Chiefです。人類生態学で使われる調査の方法論について,この本を読めば概略をつかむことができます。

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