ぼくは「個人情報」のページに書いたように日本オセアニア学会の編集担当幹事なので,この時期になると毎年恒例の学会誌編集作業がある。この,「学会誌編集作業」については,若干の説明を要すると思われる。この作業は,「編集」というか,より正確に言えば「版下作成」である。世間一般の財政的に余裕のある学会では,業者に委託すると思われるが,日本オセアニア学会では,編集長と編集担当幹事がやるのである。昔は東京大学大型計算機センターでtroffを使っていたが,ぼくが人類生態学教室の修士課程に入った頃からパソコンでTEXを使って版下を作るようになった。いちいち大型計算機まで行くのが面倒だったこともあるが,当時教室に入ったCanonのLBP-8IIという300dpiのレーザープリンタが驚異的に美しかったので,これに出力しようということになったのである。編集長(当時は助教授,現在の教授)もその美しさには満足しておられた。
当然のことながら,入稿はWordStarやら一太郎やらいろいろな形式でくる。当時はCanowordなんていう専用ワープロで入稿されたこともあった。これをTEXで編集できる形に変えるのが一苦労であった。もちろんASCIIテキスト形式で送るように依頼するわけであるが,全角スペースは入っているし漢字は入っているし罫線は一太郎罫線だし…初めて編集を手伝うようになったときは頭をかかえたものである。編集長がWordStar使いなので,そういう怪しいテキストファイルをWordStarフォーマットのファイルに変換するソフトとか,イタリックとか肩字(superscript)とか添字(subscript)が入ったWordStarのドキュメントファイルをTEXのソースファイルに変換するソフトなんてものをTurbo PASCALで書いたりした。当時使っていたパソコンはPC-9801RA2で,TEXはASCIIから98,000円で買ったMicroTEXであった。コンパイルもとろかったが,プリント1枚する間にコーヒー1杯飲めた。
その後dviout/dviprtを使うようになってプリント速度が格段に向上し,さらにDellの466/Lを導入して,MS-DOS 6.2/VでVTEXTモードでpTeXを使うようになって飛躍的に作業は早くなった。編集はずっとVZエディタでやっていたが,一緒に編集をやってくれていた大塚教授の秘書さんはなかなかVZエディタに馴染めず,WordStarのNon-Documentモードと一太郎を併用していたのを思い出す。そのうち,大塚教授は日本オセアニア学会の会長になり,編集長が北海道東海大の印東先生に移ったので,基本的な編集作業も北海道に移り(印東先生はMac使いなので,Macのエディタでご自身でTeXの制御コードを打たれ,pTeXでコンパイルされる),ぼくの仕事は「難しい表を組む」ことだけになった。見開きとか複数行にわたる大括弧とか,plain TEXのテクニックは,なかなか他人に教えられるものではない。
今年は4人分の表がやってきた。現在の作業は,Windows95のマルチウィンドウでできるので,昔に比べれば雲泥の差である。まず,Dolphin Kickでファイルの入ったディレクトリを表示しておき,同じディレクトリをカレントにしたDOSプロンプトも開いておく。Dolphin Kickで編集したいファイルを選び,[E]を押してWZエディタを起動し編集する。編集が終わったら保存してDOSプロンプトのウィンドウにフォーカスを移し,ptex ????.texと打ってコンパイルする。エラーが出たらXと打ってプロンプトに戻り,WZエディタにフォーカスを移してエラー部分を訂正し,保存して再コンパイルする。これをうまくいくまで繰り返してから,Dolphin Kickにフォーカスを移し,????.dviの上で[SHIFT]リターンすればdvioutのWindows版(現在のところ3.05wを使用)が起動する。ここで見た目を確認し,満足いくまで編集とコンパイルをやり直し,完成したらtexファイルをメールで印東先生に送れば仕事は完了である。今年の入稿はExcelが1人,MS-Wordが3人であるが,カットアンドペーストでWZに張り込めばタブ区切りになってくれるので,タブを"&"に一括置換すれば表の要素はいじらなくてよい(とはいっても巨大な表とかだと駄目だけど)。時代も変わったものだ。