枕草子 (My Favorite Things)

【第45回】 マスコミの貧困(1998年7月16日;7月29日訂正及び追加)

「化学」(化学同人)と「科学」(岩波書店)の7月号は,どちらも環境ホルモンの特集であった。テーマが同じでも切り口が違えばいいのだが,著者の顔ぶれもほとんど同じである。この「右へ倣え」傾向はなんとかならないものか。両方買ってみたのだが,森千里氏の精子数減少に関するレビューなど,表現や順序を変えただけで内容はほとんど同じである。スカケベック論文の引用の不正確さまで同じである。あの書き方ではメタアナリシスだということがわからないではないか。著者のモラルについては別の機会に論じたいと思うが,「環境ホルモンの恐怖」にも出ているくらいの情報(注:この問題についてより詳しくは,ここを参照されたし)なのに,チェックできないのだろうか? いくら忙しくても,これくらいのことは気がついて欲しいと望むのは欲張りなのだろうか?(7月29日注記:ここでの批判に対し,「科学」編集の方から,特別な場合を除いては時間がなくてチェックが不可能である旨ご返事いただいたので,表現を改めた。しかし,一般読者への影響を考えれば,記事内容の信頼性についてもう少し高いところを期待したいのである。これを商業誌に望むことは無理強いなのだろうか?)

マスコミが右へ倣えであるという現象はこれだけにとどまらない。ワールドカップになればどのテレビ局でも特集し,カズを外したことについて岡田監督を批判し,城選手がミスしても白い歯を見せているからやる気がない,といって叩く。参院選で自民党が大敗したといっては橋本首相の退陣を求め,後継者が旧態依然とした派閥の中からしか生まれないと嘆く。いや,注目すること自体はいい。しかし多面的な見方がないと,ソースが複数になっている意味がないではないか。編集者には,独自の見識(あるいは観点・意見)が求められると思うのだ。

まあ,なかなかそれがマスコミによってなされないが故に,これだけWEBが流行っているのかもしれない。独自の見識をもつ個人が集めた情報を,その見識というフィルタにかけてまとめてから再発信し,それを不特定多数の人が受信するのであるから,やっていることはマスコミと変わりない。違いは商業ベース(を意識する)かどうかだけかもしれない。そういう意味では,こうやってWEBページに何かを書くことの責任も自覚しなくてはいけないと思う。中村正三郎さんなどは,その昔THE BASIC(あるいは「ざべ」)で書いていた頃よりも,WEBページ作者としての方が世間に対して影響力があるのではないか。

しかし問題は,WEBページ作者そのものも不特定多数であるということである。作者のバックグラウンドを知らずして発信された情報を評価することは,誤解のもとである。しかし,バックグラウンドをいちいち把握してから情報を見るなんてことをしていたら,いくら時間があっても足りない。その点,マスコミは,ターゲットたる読者(視聴者)をある程度想定しているから,その人たちの利益になること(あるいは利益になると思わせられること)を,その人たちの生活に関連したタイムスパンで提供していることがわかっている(わかっていない編集者/プロデューサが増えてきたようで,上述の事態を招いたのだろうけれど)。だから,マスコミがしっかりしてくれる方が,個人のWEBページに頼るよりもずっと効率がよいのは自明なのだ。頑張ってくださいよ,マスコミ関係者諸氏。

表題とは関係ない情報を2つ。


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