東京に帰ってきたら,apacheの設定が甘かったことが露呈していた。すっかり迷惑をかけてしまって萩原君に申し訳ないことをした。ごめん。
さて本論。京都参りは無事に終了したのでよかったのだが,濃いスケジュールだったのでまったく暇がなかった。せっかくの晩秋の京都という観光シーズン真っ最中だったというのに。いや,もちろん公費で研究会のために行ったわけだから本気で観光しようとは思わないが,1時間くらい散歩したかったなあ,と思うわけである。京都大学の北部キャンパスでは銀杏がすっかり黄色くなっていたし,然るべき所に行けばさぞかし紅葉もきれいだっただろう。以下,京都で打った文を貼り付けてみる。
この文書は文豪ARDATAで入力しているのだが,面倒なことこの上ない。軽いし,単三乾電池4本で20時間も動くというのは偉いのだが,日本語を打つには今一つである。慣れの問題かという気もするが,日本語と英語の切り替えとか,カーソルキーの位置とか,読点には確定が必要ないとか,慣れがたいものもある。もっとも困るのは,EUC-JPで編集できないことである。やはり欲しいぞVAIO NOTE。
今日は前にも書いたように京都にきているのだが,宿泊している芝蘭会館というのはなかなかよい宿だ。東京から京都へは珍しく新幹線できた。生協で昨日買った安売りチケットはお得である。10:07に東京駅をでて12:46に京都に着き,仮設A-3乗り場から市バス17番で京大農学部前下車するまで30分ほどかかった。意外に遠いものだ。会場は理学部2号館で,狭い会場が40人くらいの人でいっぱいだったので驚いた。
昼間の研究会は無事に済んだし,「たくま」という店で行なわれた懇親会も楽しかった。宿の門限が23時なのでチェックインしてからは珍しくテレビなどみているのだった。いじめ自殺を隠した学校に怒って銀行を襲った男のドラマ。無茶苦茶ではあるのだが,主人公の刑事たちがみんな熱いのがこの番組の特長である。最後にこどもたちが「ごめんなさーい」と叫ぶのはお約束。すばらしいのは,なんといっても高橋真梨子のエンディングテーマ曲に尽きるのだが。その後ニュースステーションをみたら,AOLによるNetscape Communicationsの買収の話で,日本でもコンピュータ販売台数がふえればインターネットがもっと生活の中に入ってくるだろうと言っていたが,ここには重要な視点が抜けている。日本の電話代の高さである。Bell Atlanticなみにローカルコール定額制にでもしないと 普及には限界があろう。もっとも,テレホーダイで部分的には実現されているような気もするが,時間限定で混みまくるのをみると,まだまだと思う。もっとも,これ以上生活の中に入ってきても支障がないためには,ハードウェアの革新的な変化が必要と思う。脳波インターフェースのWearable Computerででもないと,一日中キータイプしているなんてことになりかねない。養老さんは「唯脳論」で脳と計算機の直結よりは脳を大きくする方が早いだろうと書いているが,脳を大きくしたからって情報交換速度は速くならないではないか。メタ脳として部分脳のネットワークを発達させるとしても,脳を百万倍の大きさにするよりは百万人の高速ネットワークをつくる方が楽ではないかと思うのだが。
研究会の内容は,松枯れシステム,バンの托卵行動といったものからC型肝炎の発症サイクルに至るまで,さまざまなホストパラサイト系の数理モデルが紹介され,非常に面白かった。ぼく自身の関心はマラリアの伝播過程にあるのだが,数理モデルの面白いのは,対象が違っても部分的には応用可能かと思えるところである。いろいろinspireされた。だから,もちろん本来の目的は果たしたので,晩秋の京都の風物を見られなかったことくらいはどうでもよいのだ。帰りも17:00に終わり,17:57京都発の混みまくりの新幹線で帰ってきたが,家に着いて晩飯を食べたのは21:00を回ってからだった。ふう。
ところで,さっき歯科治療から帰ってきたのだが,消毒用エタノールがきつくて,やや酔いを感じるのはまずいなあ。口の中がひりひりするし,何とかならないものだろうか。