枕草子 (My Favorite Things)

【第125回】 ヒトは何故肉食をするのか(1999年2月24日)

ここに書きたい(または書くべき)ネタってのはたくさんあるのだが,全部書こうなんて意気込んでしまうと続かないような気がするので,気が向いたときに適当なスタイルで書いてゆきたいと思う。まだ報告書が終わらないので更新なんてしている場合じゃないような気がするのだが,森山和道さんから勧められたこともあって,メールに書いたネタを掲載しておく。

「肥満遺伝子」の著者,蒲原聖可さんが最近書いた,「ベジタリアンの健康学」という本があるのだが,たぶんこれを読んだ大方の人は,「そうは言ってもやっぱり肉も食べたい」と思うだろう。それは何故か? という話である。

人類生態学や生態人類学では,ヒトの生存にとっての食物の意味というのは大テーマなので,いくつもの研究がなされてきているが,「何故?」ということに対する結論は無いのが普通であり,この問題でも決定的な答えは無いと言って良い。ただ,これまでになされてきた論考をざっと眺めておくのも無意味ではなかろうと思うので,ここでやってみようというわけだ。

一般向けの本としては,マーヴィン・ハリスが書いた「食と文化の謎」(岩波同時代ライブラリー, 1994)の1章,7章,8章,9章で,ヒトはなぜ肉を食べるかという論考がなされている。文化的な理由と栄養学的な理由両方があげられているが,山内昶「経済人類学の対位法」(世界書院,1992)のp.180前後で書かれているように,再生産にかかわる共同体成員のみが肉を食べて循環系のポテンシャルを維持するという説明原理や,インセストタブーと同じく自分で狩ったものは食べないタブーがあることは食人タブーと同等だとかいった比較文化的な考察にはハリスのつっこみは甘いし,栄養的にもマーク・N・コーエン「健康と文明の人類史」(人文書院,1994)のp.123から125あたりで触れられている,野生動物と家畜の脂肪含量の違いという重要な視点が抜けているのだが,まあ一般書としてはお薦めできる(訳者のあとがきにもあるように,文化人類学者からは毛嫌いされているようだが,ぼくはハリスは生態人類学や人類生態学に相通じる視点をもっていると思って評価している)。

ハリスも含めて大部分の研究で言われるのは,「タンパク源」ということである。小山修三編「狩猟と漁労」雄山閣,1992では,p.353からの討論4で延々と論じられ,薬としての動物タンパクとか,日本では水田に鯉を飼ってタンパク源としたとか,面白い話がいくつか出ている。征服の象徴としての「王者は狩人である」とかいった視点もあるが,基本的にはタンパク源という捉え方は研究者の間でかなり共通しているようである。栄養的には鉄でも脂質でも獣肉と魚介類は随分違うのだが(とくにbioavailabilityにおいて),狩猟採集社会から農耕社会への移行にも関わらず肉食が必要とされた原因としてはタンパク源ということが一番重視されているようで,その限りにおいては獣肉と魚介類を区別して考える必要はないということなのだろう。秋道・市川・大塚(編)「生態人類学を学ぶ人のために」(世界思想社,1995)で岐阜大の口蔵さんがp.60あたりから書いているのも同じ論調だが,D.F.オーウェン「人類生態学入門」(白日社,1975)の第8章で書かれているクワシオルコールの問題が注目されたので,生態人類学者・人類生態学者は,肉=タンパク源という見方を第一にとってしまうのかもしれない。

しかし,「タンパク源として」なんてことをタンパク質所要量を知らない人が意識して食べるとは思えないわけである。ダーウィニズムでいけば適当な量のタンパク質嗜好をもつ人の包括適応度が上がって選択されたと考えれば済むわけだが,どうも釈然としない。やはり肉は「うまいから」食べるのではなかろうか? ここで考えるべきデータとして,小石・鈴木(編)「栄養生態学」(恒和出版,1984)のp.78から当時味の素にいた弓狩さんと鳥居さんが書いている,タンパク栄養が充足された状態ではうま味嗜好が高まる,という現象がある。うま味とはグルタミン酸と核酸に由来し,細胞新生に必要な成分である。また,栗原堅三「味と香りの話」(岩波新書,1998)のp.242にも書かれているが,鳥居さんのデータでは,リジン欠乏にさせたラットでは摂食中枢でリジン応答性の神経が発現してリジン嗜好が高まるというのもある。以下はぼくの勝手な想像だが,これらの事実から,良い狩人となって肉を食べることができてタンパク栄養が充足された状態になれば,細胞新生が十分に行われ,身体が頑健になってさらに良い狩人となれるという正のフィードバックメカニズムが考えられる。そうした「良い狩人」たちは武力も強いであろうから,社会の支配層につくことになり,文化としても「良い狩人」になることを青少年の理想とする規範が誕生するということも考えられる。これらが相俟って肉食嗜好が伝えられてきたのではないか,と考えれば,それほど無理はないのではないだろうか。

私見では,野生動物猟が難しい現代ではペスコベジタリアン食が健康には良いのではないか(現代の物流システムを無視してローカリティを見れば,日本では海産資源は豊富だが哺乳類はそうでもないから,ペスコベジタリアンは日本に向いているし)と思うのだが,魚介類にはダイオキシン類やPCB類,あるいは水銀などの重金属が蓄積している傾向があることを考えると,一概に魚食を薦めるわけにもいかないので,なかなか難しいところである。妥協案となると,月並みに「何でもバランス良く食べましょう」となってしまうのは仕方ないのかもしれない。先月のBritish Journal of Nutritionにはベジタリアンがヨード欠乏のハイリスクグループだという論文が載っているが,このことは蒲原さんの本には触れられていない。この論文が引用している研究によれば,ベジタリアンでは甲状腺刺激ホルモンレベルが高く,ヨードレベルが低く,甲状腺ホルモンレベルが低くなっているというデータもあるらしいから,ヨード欠乏状態にあるベジタリアンがいることは否定できないだろう。ピュアなベジタリアンの勧めはよほど気をつけてやらないと無理があるんじゃないかと思うが,いかがなものだろうか。(4月3日注記:蒲原さん本人からの指摘により,不適切な表現を一部訂正しました)

以下は余談。昨日は昼飯を生協第二食堂で食べたのだが,生協書籍部の上にあるというロケーションの妙に抗いうる筈もなく,本を物色してしまった。目を引かれた本はJames Trefilの訳本2冊である。ブルーバックスの方はともかくとして,「人間がサルやコンピュータと違うホントの理由」の方はすんでのところで買いそうなのを思いとどまった。数学や物理学や哲学系の言説を追うのにはいいような気がしたのだが,立ち読みした限りでは結論は大したことを言っていないようだったので買わなかったのだ。もしやと思って森山さんの書評ページを見たら既に紹介されていたが,ぼくの立ち読み印象はそれほど外していないようなのでほっとした(とはいえ,次に本屋にいったら買ってしまうかもしれない)。出口のところで文芸新刊に半村良の伝説シリーズの新刊「ガイア伝説」(注:本当はガイアは漢字である。ガイの方はJISにある"乂"なのだけれどアの方はUNICODEで4E2Bの「CJK統合漢字」という領域にあるJISにもSJISにもない漢字なので書けないのだ。WEBで書評をする人は困るだろうな……って他人事じゃないのだが)なるものを見つけ,これまた食指が動いたが思いとどまった。ああ,心臓に悪い。その反動か,音楽CDを2枚買ってしまったではないか。去年出たJobimの"TIDE"(POLYDOR K.K., POCM-5053)と企画ものの"A Tribute to Antonio Carlos JOBIM"(XIII Bis RECORDS, QTCY-2112)なのだが,前者はどちらかというとジャズっぽいスタイルでJobim自身が演っていて痺れるし,後者はフレンチポップスとボサノバの融合という感じで何度聞いても飽きがこない。両方に「イパネマの娘」が入っているのだが,後者のピチカート・ファイヴ版は,綿雲のように限りなく軽くて心地よい,出色の出来と思う。極楽極楽……って早く報告書仕上げろよ,と自分に言い聞かせる今はA.M. 5:10なのであった。


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