ちなみに,何が「そういえば」なのかわかりにくいと思うので連想を解説すると,シッキム→喫茶ML→烏龍茶とシッキム→インド・ヒマラヤ→「氷河の氷でオンザロックを」(件の本の第6章)である。
「チーズの文化誌」(河出書房新社)という新刊にもちょっと心惹かれる。しかし,それ以上に森枝さんの本を読んで強く思ったことは,開高健の「ベトナム戦記」「夏の闇」を読まねばなるまいということと,生のメモをそのままに近い形で出版するのも情報量が多いということである。あと,こくら日記は出版レベルのクオリティがあるということ(出版社の方,大介研究室はお薦めですよ),imaum氏にも是非森枝さんの件の自伝は読んで欲しいということ。上野駅の公園口を出ると,冬至も近い近頃の午後3時は,もう夕方の雰囲気である。いつものように上野の山を越えて不忍池の畔に出たところで,突然,「はい,ランナー通りまーす!」と野太い声に気をとられて左手をみると,何か白いものを抱えた若い男性が走ってくる。よく見ると,それは,「Y2K」とマジックで書きこみのある,真っ白いマネキンの上半身なのだった。はて,何でそんなものを抱えて走っているのか,少年よ? と聞きたくなったが,彼はぼくだけではない多くの通行人の好奇心に満ちた視線を知って知らずか,ややうつむき加減に走り抜けていくのだった。
何かのイベントなのだろうか? 頭の中で疑問符を渦巻かせていると,再び,「はい,ランナー通りまーす!」との声(そういえば,この声の発信者に触れないでいたが,やや筋肉質に見える成人男性である。ランナーの印象が強すぎて顔など覚えていないのだが,ラフな服装であったようだ)。今度のランナーは,ゼッケン番号が入ったジャージ姿の若い男性である。
ははーん,これは近所の高校のイベントなのだな,きっと。「ランナー通りまーす!」の方は体育の先生なのだろう。それにしてもさっきのY2Kマネキンは何なのだ。重いだろうに,あれはもしかすると運動の得意な生徒へのハンディなのか? それとも何かの懲罰なのか? やはり疑問符は消えないのだった。が,立ち止まっているわけにもいかないので大学への道を急ぐ。
と,弁天堂の前辺りで,今度は別の「ランナー通ります」という声がした。今度の声の発信者は,眼鏡をかけたスーツにコートの成人男性である。きっと英語の先生だろう(何の根拠もないが)。振り返ってみると(注:ランナーの進行方向はぼくと同じなのだ),ギョッとしたことに,今度のランナーは,エレキギターを抱えた少年なのである。しかしゼッケンはしっかり入っているので,やはり同じ学校の生徒と思われた。ギターを抱いた渡り鳥,などというフレーズが脳裏を掠める。君は小林旭か? さすがにエレキギターは重いらしく,よたよたという感じで走る姿に,思わず「頑張れ」と声をかけたくなるのであった。すると,まるでぼくの心を読みとったかのように,件の英語の先生が(すっかり決めつけているが,先述のように根拠はない),「頑張れよ」と彼に声をかけるではないか。そうだよ。頑張れよ。その心だよ。
少年と一緒に弁天堂の石の渡り廊下の下をくぐると,ボート池の前に,女子学生と思しき若い女性が3人いて,「頑張って」と彼に声をかけるのであった。彼は舞い上がってしまったのか,ここで道を間違えそうになったらしい。左手に曲がろうとして,件の女子学生たちから「そっちじゃないよ,こっちこっち」と読んだだけでは指示内容のわからないガイドを受け,右手に進路を変えたのであった。やや後ろ姿が恥ずかしそうでもあった。彼の行く手には,またもや先生風の成人男性が数人いて,「ランナー通りまーす!」と声を上げる。ボート池に沿った狭い道を塞ぐように語らい歩く成人女性が数人いたので,この声は正当なものではあるのだが,ギターを抱いた少年は,やはりちょっと恥ずかしそうであるようにも感じた。その後目にしたランナーは,すべてごく普通のジャージ姿だったけれど,やはりちょっと伏し目がちに走るのであった。
ぼくは,なるべくランナーたちの邪魔にならないように,縁石の上を歩きながら,はて,さっきの女子学生たちは,その学校の生徒なのだろうか? それとも関係ないボランティアなのだろうか? なんて,やくたいもないことを考えるのだった。