枕草子 (My Favorite Things)
【第369回】 簡単で難しいこと(2000年8月23日)
- 往路はあさま2号に滑り込みセーフ。6時前に起きているのだから,7:50に長野駅に着くのは簡単な筈なのだが,たいていこんな感じ。昨日みたいに空席がなければ1本遅らせることもある。しかし,大事なことは,1本遅らせることに慣れてしまわないことだ。504号が常態になれば,都合が悪ければさらに1本遅らせて8:37発でいいやということになり,徐々に堕落して行くであろうことは明らかだ。いずれ外的な歯止めがかかるにしても,それではあまりに情けない。毎日同じ電車に乗るというのは,簡単だけれど難しいことの一つだと思う。
- 思いつくことは簡単だが,実現するために一歩を踏み出すことは難しい。ぼくが高校生だったころ,NHKの全国学校音楽コンクールの課題曲に「わが里程標」(里程標と書いてマイルストーンと読ませる)という名曲があって,「一歩を踏み出して,さあ,明日に石を積もう。小さな石を積もう」というフレーズに感銘を受けたものだが,一歩を踏み出せば二歩も三歩も歩けるのに,最初の一歩を踏み出すことが如何に難しいかを実感したのは,もっとずっと後になってからだった。考え方を変えれば簡単なことでも,自己規制してしまうことがいかに多いか。
- 最近は,意図的にすぐに一歩を踏み出すことにしている。そのせいでいろんな方向への一歩が多すぎて道に迷いそうなのだが,手を貸してくれたりムーヴィングロードを作ってくれる人もいるから,この戦略は間違いではないと思っている。小さな布石が後々役に立ったりすることもあるし。
- とはいえ,あんまり苦しんだり他人を苦しめたりするのは本意ではないから,大抵の一歩は自分のペースでやれそうなことに限っているのだが。
- 上記は抽象度が高すぎて自分にしかわからないかもしれないなあ,とちょっと反省。
- フローラ上野ブックガーデンを通ったとき,本が呼ぶので4冊買ってしまった。井形慶子「南の島に暮らす日本人たち」(ちくま文庫),池澤夏樹「母なる自然のおっぱい」(新潮文庫),大坪檀(監修)O-CHA学構想会(編)「お茶のなんでも小事典」(講談社ブルーバックス),佐藤洋一郎「縄文農耕の世界:DNA分析で何がわかったか」(PHP新書)。
- 人口学会関係の仕事の1つが一応終わった。もう1つは,もうちょっと時間がかかる。
- 帰りは終電の予定。
- 予定通り終電に乗ると,案の定満席で,大宮まで座れなかったので読書。大宮で座ってから軽井沢過ぎまでかかって,「南の島に暮らす日本人たち」を読了。オセアニアに没入していないだけに,感覚が普通なのがぼくには新鮮だった(ぼくの感覚とはずれているということだが)。歴史的事情とか鳥瞰的な視点とか価値観の相対化は中途半端なのだが(解説者も含めてキリスト者なので,キリスト教がミクロネシアの島々に何をもたらしたのかという意味を問い直そうなどとは考えないあたり,池澤夏樹がハワイイの原点に突っ込んでいく態度に比べると浅いといわざるを得ない),著者はそれを目指しているのではなくて,徹頭徹尾「自分語り」を意図している文章なので,自分の人生に正面から向き合おうとする大人の正直な気持ちの吐露になっていて,素朴に感動を覚える。村山由佳の「野生の風」の決め科白みたいに一言余計な気もするが(例えばp.160「多分,それは距離よりも,日本というシステムからかけ離れた場所に来たんだという思いだった」とか),主なターゲットとなる読者層にはその余計な一言が好まれるのかもしれない。こういうの,ケレンっていうんだっけか。なお,巻末の解説が実に的確に指摘する通り,この本の本質は著者の魂への旅であり(解説者は適切な訳がないと惚けているが,ヤマト言葉ではspiritは「たましい」である),それだけに,こういうのを削ぎ落とした生のコトバで読んでみたいと思った。
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