枕草子 (My Favorite Things)
【第452回】 年末進行というか何というか(2000年12月19日)
- 目が覚めたのは7:00だったのだが,食後,水筒に茶を詰めたりゴミ出しをしたりしているうちに8:00近くなり,往路あさまは506号。長野駅で時間が中途半端にあったので,KIOSKを覗いたら年末進行のせいか火曜の朝なのに週刊アスキーが並んでいたので購入したが,目にとまった記事は,ミズグチ画伯のROBODEXレポートにあったアトムのモックアップ写真みたいなのは何なのだろう? という程度。
- 今週は金曜日に娘の保育園のクリスマス会の紙芝居で魔法使いの台詞を読むという役回りがあるので休みをとるし,来週は月曜から水曜まで子どもの迎えのために早退しなくてはならないから,その分研究室にいる時間は集中して仕事をこなさねばならない。また学会の仕事とかも集中するから余計に大変なのだ。新幹線の中で,日本オセアニア学会の仕事を一応完了。CGIを使うので,サーバに上げてから調整は必要かもしれないが,概ね大丈夫だろう。
- 大丈夫だということが確認できたのは夕方大掃除が終わってからになった。午前中はメールを見て急ぎの返事を書いて論文のDiscussionをしたら過ぎてしまい,13:30から17:00過ぎまで研究室挙げての大掃除となったのである。まあ年に一度しかやらないのだから,これくらい時間をかけるのは当然かとも思う。終了後食べたピザが美味だった。
- その後,学科Bulletin用の原稿を整理して不足部分を問い合わせて補足し,完成させてメールで送ったら21:40となっていたので,もちろん帰りは終電。大宮まで座れなかったので,最近講談社文庫で再出版された清水義範「黄昏のカーニバル」を読み始めたら面白くて軽井沢辺りまでかかって読了してしまった。解説にも出てきたが,もっとも印象に残るのは「デストラーデとデステファーノ」だった。しかしぼくだって中日ファンの端くれなのだが,1990年というと博士課程1年で必死に抗マラリア抗体価を測っていたためか,デステファーノは印象になかった。評判倒れの国際補強選手としてはスパイクスという打者が印象に強いが,デステファーノというのは覚えていなかった。所詮ぼくのドラゴンズファンなどその程度の底の浅いものだということか。
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