枕草子 (My Favorite Things)
【第470回】 B.R.I.(2001年1月18日)
- しまったぞ。朝食後残った米の量が中途半端だったので,全部弁当箱に詰めてもってきたのは良かったが,その後米を研いで炊飯器にセットした段階で安心してしまい,炊飯器のタイマーのスイッチを入れ忘れて来てしまった。後で電話しなければ。
- 今日は9:00から10:00まで停電なのでサーバを一旦停止しなくてはならないのだが,萩原君がやってくれるということなので甘えることにして,最近愛用している8:37発あさま506号に乗っている。氷点下10度とかいう寒い朝だが,それだけに空気が澄んでいて,青空のもとで自転車を漕ぐのも気持ちよかった。相変わらず凍った道なのだが,今日は粉雪がないだけ昨日より楽だった。
- 新幹線では1号車に座って,B.R.I.(バトル・ロワイアル・インサイダー)という本を読んだ(この本も記録的に誤植だらけだ。最近の本は校正をしないのだろうか?)。
- 本書は,かの傑作不条理小説「バトル・ロワイアル」が書かれるに至った裏話や,作品分析や,映画の内幕が詰まった分厚い本なのだが,恐るべきことに12月20日に第一刷が出たばかりなのに,1月6日に第三刷になっているから,無茶苦茶売れているようだ。読み通す人がどれだけいるかはわからないが,映画のスチール写真を眺めるだけでも買いたいと思う人はたくさんいるのだろう。しかし,ぼくはこの本を読んで,映画を見る気は失せた。各俳優の細かい演技をビデオかDVDで何度も見たいとは思ったが,坂持金発をキタノに変えて,個人レベルの物語を背負わせてしまったのは失敗だと思う。坂持がどうしようもなく体制に組み込まれていることが,バトル・ロワイアルの世界の不条理性の象徴だったし,3年B組金八先生に代表される,わかったような振りをした丸め込みの欺瞞性への批判なのに,そこをなくしてしまっては物語として台無しになってしまう(最大限気持ちを酌んでみても,原作のテーマの半分以下しか表現されえない)。つまり,少年少女の個人としての物語を背負った人間としての成長と,個人レベルの事情を超えた社会体制からの圧力のコントラストが醸し出していた切れ味が,単なる人間ドラマに堕してしまったように思われるのだ。そもそも現代の閉塞感が個人としての大人の<<不在>>にこそあることを強く意識させる原作に対して,「国家」vs「個人」の構図を「大人」vs「子ども」に置き換えるのが無理だと思う。しかも,それを親子対決という構図に重ねていくという結末では,救いようもなく陳腐と言わざるを得ない。
- 大東亜共和国という設定に現代日本のリアルを感じられないのは,単に深作監督の想像力が足りないか(B.R.I.に書かれていることを信じるとそうだ),あるいは観客の想像力を見くびっているのだろう。原作者高見氏は,内心忸怩たる思いだったのではないだろうか? それとも映像的迫力の魅力に負けたのか? いずれにせよ映画を見る気がしなくなったのは確かだ。映像は見たいし音も聞きたいが,設定の矛盾がどうにも気持ち悪くていけない。
- 昼間はずっと来週月曜の講義準備をした。途中,新幹線の中で気が向いたときにWZ MEMOに書き付けていた「ウェルカム・人口減少社会」の書評を書き了えていたことを思い出したので書評掲示板に書き込んだ他は,ずっと講義準備をしていたのだが,時間的余裕を感じるとつい凝ってしまうので,なかなか捗らない。帰りは終電1本前。エルキンズ「洞窟の骨」を読み始めたが,どうにも眠くなったので軽井沢過ぎから眠ることにした。
- 長野に着いてみると,積もった雪で20 cmほど埋まっている自転車に,なお小雪が降りかかっていた。雪から自転車を掘り出し,漕いで(時折押して)帰ったが,前方から風が吹いてくるたび,顔に冷たい雪が当たるのが痛いほどだった。
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