枕草子 (My Favorite Things)
【第499回】 東京湾でのフィールドワーク計画(2001年3月21日〜23日)
- 突然電話がかかってきて,賞状を印刷するという急用が入ったので,結局,研究室を出たのは14:30を過ぎた,というか15:00近かった。従って,東京駅15:30発のビューさざなみ号に乗って館山に出て,バスと徒歩で船形の民宿「しおさい」に着いたのは18:00を過ぎていた。これから自転車を借りて,外の店で食事をしてくる予定。
- 21:20頃帰ってきた。駅近くの養老之瀧で生中と串など。地物ではハバノリが美味かった。帰り道にスーパーで買ったSWITCHを飲んで酔いを醒ましてから入浴。「しおさい」の風呂は「黒潮の湯」という名の温泉を湯名人みたいな機械で暖めているもので,水質が素直なので,ゆっくり浸かっていても疲れない。あがって22:00となり,すっかり酔いが醒めた。
- 何故東京湾で調査をするのかということは,これまでにも価値観の揺らぎなど何度か書いてきたが,ここで自分のためにも確認しておきたい。
- 東京湾の保全と開発を巡っては,これまで(1)工業地帯としての開発,(2)東京に近い観光地としての開発,(3)江戸前の海として住民に果たすアメニティ機能,(4)三番瀬の水質浄化機能,(5)水産資源の供給源(三番瀬が繁殖に果たす機能を含む),といった視点からの意見の応酬やデータの蓄積がなされてきたが,それらのクロスオーバーは皆無に近かった。ヒトの集団は重層性をもっており,コンビナートの労働者だって休日には釣りを楽しみたいかもしれないし,舞浜のディズニーランドまで第二湾岸ができればそれを通って遊びに行きたいと思っている横浜市民にだって,三番瀬で産卵し成長し,成魚となって横浜沖で獲れるイシガレイを食べたい人もいるだろう。そうした意味で,これまでの議論の最大の欠陥は,東京湾における漁業についての論点がほとんど水産資源量に限られており,それを獲ることに携わる漁業者の生活や価値観がほとんど知られていないことだと思う。実は未来開拓研究の研究テーマとも通じるのだが,開発計画があるときに地域住民の生活への望ましくない影響を緩和するためには,Basic Needsとかマイナーサブシステンスとかコモンズとかコンセンサス形成といった諸側面での住民の生活についての詳細な知見が必要なことは明らかである。「これまでに必要な調査がないならば自分でやる」というのは人類生態学の鉄則なので,ぼくが東京湾の調査に踏み出したのは自然な成り行きだったと思う。まだ(!)本格的にはやっていないとはいえ,うまくすると未来開拓研究の「マニュアル作り」にも応用できるフレームを提供できるかもしれない。
- なんて偉そうなことを書いたのに,22日に目が覚めたら5:45だった。既に空は明るくなっている。まずい,寝坊だ。慌てて漁港に行ったら,出航準備中の船がまだ2隻ほどあったが,他は既に出航していて,帰ってきた船も若干あった。やはり5:00前には出ないと間に合わない。生活時間がこんなに違うのだから,Basic Needsもきっとサラリーマンとは随分違うだろう。
- その後のことは時間がなくて書ききれないが,いくつかの漁協の方々に大変お世話になったことを御礼申し上げる。23日研究室に戻ってきたのは17:30だったが,国際保健学専攻のサイト新設関係(この関係で,調査地のグレー電話からインターネットに接続してtelnetで調べものをしたのは結構疲れた)で教授とちょっと打ち合わせをし,メールを読み書きしたら19:30となった。今日は20:38までには帰りたい。
- 狙い通り20:38発あさま533号に乗った。空席は少なかったが,何とか上野から座れたので良かった。しかしずっと眠っていた。さすがに歩き疲れた。
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