往路あさま504号。昨日の復路もそうだったが,今日の往路もずっと,篠田節子「弥勒」(講談社文庫)を読み続けている。今年の2月26日から始まったタリバンによるバーミヤンの石仏破壊に対する国連や諸外国の対応を考えると,この物語のようなことが起こったら,たぶん国連が動くと思われるし,フランス語やラテン語を自由に操るような知識階級が住んでいる都市があったのなら,インターネットを介した情報発信が行われるに違いない。その意味では,この物語のようなことが起こる現実性は乏しい。しかし,荒廃したアフガニスタンの現状を思うとき,この物語はまったくの絵空事とはいえない迫力を感じさせる。篠田節子の着眼点の鋭さには脱帽せざるをえない。
今日は子守りのため早退し,16:18発あさま521号で帰途につく予定。
予定通りの復路あさま521号車内で,「弥勒」を読了。原理主義的マルキストに率いられていても,旧東側諸国がそうだったように組織は必ず腐敗して汚職が横行するという構図は,リアリティを増すのかもしれないが安直だったと思う。もっと,個人の幸福と全体の幸福の対立に焦点を絞った方が良かったのでは? とはいえ,物凄い迫力の大作であったには違いない。