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書評:宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱:自然エネルギーと共同体自治に向けて』(講談社現代新書)

最終更新:2011年8月7日

書誌情報

書評

宮台真司というと,どうしてもサブカルのオピニオンリーダと思ってしまうのだけれども,本職は社会学者で,しかも博士論文であった『権力の予期理論』は数理社会学の研究だったそうだ。本書の問題設定は,宮台氏のまえがきにある通り,「原発をどうするか」から「原発をやめられない社会をどうするか」ということであり,それに答えるのは,311以後メディアで引っ張りだこの飯田哲也氏である。この2人の対談が(時折衒学的過ぎるきらいはあるにせよ)面白くないわけがない。

ただ,本当にタイトルにあるような将来像を描いているのなら,もう少し,経緯や立場に関する議論を排して,数値に絞ってリスク論的なアプローチをするのが先決ではなかろうかと思う。飯田氏が語る北欧の実践の素晴らしさはわかるが,日本でそれが成り立つかどうかをシミュレーションで示してくれれば,もっとクリアな話ができるはずだ。

飯田氏は京都大学の工学部原子核工学科卒で,かつて神戸製鋼で原発担当業務を一人何役もしていた,「原子力ムラ」のインサイダーだった過去がありつつ,現在は自然エネルギー推進の先陣を切っている人なので,「原子力ムラ」の内情がいろいろ語られる。しかし陰謀論には与しないので,たぶんフェアな語りなのだろうと思われる。例えば,p.13に,宮台氏の発言として,『最近,京都大学の小出裕章さんなどが仄めかされるように,原子力推進の口実もしくはきっかけとして,「核兵器,核武装の可能性について余地を残しておきたい」という理屈や心理がどこかで機能しているのかどうか。飯田さんはどう思われますか。』とあるが,飯田氏の答えは,『その意見にはあまり賛成できません。確かにそういうことを言う政治家もいますが,それが日本の原子力政策のメインストリームに影響を与えていることはない。ただ,そうとでも考えないと理解できないような異常さ,非合理的な側面があるということだと思います』となっていた。

飯田氏が北欧で学んできた自然エネルギー推進にかかわる社会の仕組み(昨今日本でも議論されている定額買い取り制の話とか)は参考になるが,環境問題との関係での背景についての認識は浅いように思われるのが(まあ,その頃は原子力村にいたのだから当然かとは思うが),やや残念なところだ。例えば,p.32で,宮台氏が,日本の戦後復興と高度経済成長について,農村の過剰人口が都市に移され産業化の尖兵として動員されたことによって成し遂げられ,それゆえ都市に出てエリート官僚や政治家になった人たちが土木で地方に金を還流するのが当たり前となり,公害対策として環境保護をするとその図式が根本から崩れてしまうので,国民のマインドとして,『公害問題はせいぜい「やりすぎ問題」でしかなかった。だから公害病問題にしかならなかった。環境問題として社会問題にならなかったんです。』と語るのに答えて,飯田氏は,『そうですね,非常に表面的に,技術的に裁かれた。これは環境分野では「エンド・オブ・パイプ」というアプローチです。発生した有害物質を最終的に外部に排出しない,「排水とか排気ガスが問題なんでしょ? だったら,出口にフィルターをつけてそのレベルを落とせばいいんだよね」という考えです。……(中略)……八十年代になればヨーロッパでは「エコロジー的近代化」という考えに進化した。市場メカニズムと環境原則をうまく融合させるために汚染者負担原則や予防原則を哲学として確立しながら,それを実践的に政策的にどう組み込んでいくのか,という知的努力を積み重ねて社会を変えてきました。日本は「フィルター付けたら終わりでしょ」というレベルがいまだに続いている。』と語っているのだけれども,中西準子さんが,『水の環境戦略』で書いているように,下水道においてエンドオブパイプ方式ではなく,発生源対策こそが大事という対策を推進し,通産省若手からも一定の理解を得られるようになったのは八十年代のことだったと思うし,もっといえば,1975年のマスキー法で要求された自動車の排ガス対策として世界中の大手が進めていたフィルター(白金触媒)方式ではなく,有毒物の発生そのものを減らすためにエンジンの構造を工夫したホンダのCVCCとマツダのロータリーエンジンという発想は,まさしくエンドオブパイプではなく発生源対策でなければ,というものであった。ぼくは小学6年のときに有吉佐和子『複合汚染』(新潮社)でそのことを読んでいたく感動したので良く覚えているが,日本がすべてダメなわけではない。世界でも先駆的な試みや思想は日本にもたくさんあったわけで,問うべきは,なぜそれがメジャーになれなかったのかという点だと思う。

しかし,その経歴ゆえに過度にイデオロギー的にならなかったおかげで,本書で示されている飯田氏のスタンスは,たぶん一般の人にも受け入れやすい。飯田氏はそのことに自覚的で,『普通の人が普通に変われることがないと,絶対に世の中は変われない。』(p.81)と語っている。それでも自然エネルギー推進によって脱原発依存できるならば,素晴らしいことだと思う。その将来像をシミュレーションしてLCA的に数値で示してくれたらいいんだが,本書は対談だし,そこまでのデータは示されていなかった。いつかそういう本を書いてくれたらいいんだが。

【以上,2011年8月7日,メモから収録し加筆修正】


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