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書評:高野秀行『辺境メシ』(文藝春秋)

更新:2018年11月18日

書誌情報

書評

ぼくも相当いろいろなものを食べてきたと思うが,高野さんには到底敵わない。ともかく世界各地で,人間が食べているものなら大丈夫という判断基準で何でも自分の身体で試してしまうのだ。そこまではフィールドワーカーとして大変正しい態度だと思うが(ぼくもほぼ同じ基準で現地の人々と同じものを食べさせて貰うが,これまでで唯一,生きたアリだけは拒否してしまったので,その時点で高野さんに負けている。高野さんは「恍惚のアリ食」で生きたアリを美味いと書いている),高野さんが凄い(そして怖い)のは,時としてその基準を超えたゲテモノまで食べてしまうことだ。

本書の中で挙がっているゲテモノは5つあって,チェンマイのマーケットで売られていた調理用のイモムシを生で食べてしまったこと,熊本で偶然焚き火から出てきた生焼けのカタツムリ,新宿のレストランでパスタとともに調理されていたチャバネゴキブリ,上海小吃という店で調理前に食べてしまった節足動物,キャットフード「ちゅ~る」だが,とくに生煮えのカタツムリは広東線虫が入っていても不思議はないので大変危険である。いずれも先人が食べずにきたものなので,避けるべきだと思う。しかし,どうしてそれを口に入れてしまったのかということが自虐的に語られる語り口が大変面白く,まさに身体を張った話芸という感じ。

語り口がなぜこんなに面白いのかというと,ディテールがきっちりと書き込まれているからだろう。例えば,水牛の脊髄を初めて見たときの描写「入店当初から,台におかれた皿に,真っ黄色の細い管がとぐろを巻くように載せられているのが気になっていた。太さ約一センチ,長さ一メートル弱。見るからに「異形」。小腸かと思うが,そのわりにはウネウネしておらずゴムホースのように滑らかだし,だいたい中身がつまっていて管ではなかった」という描き方は,一見簡単に書かれているように見えるが,努力と相当な推敲の賜だろう。

本書に書かれている食べもののうち,ワニが美味いということは20年前に書いた通り,まったく同感であった。ぼくがこれまで食べた中で最も美味だったと思うのは,撃ったその場で解体し,単純に火であぶっただけで食べさせてもらった鹿の心臓と,現地でカソワリと呼ばれるヒクイドリのレバーとモモ肉と思われる部位を植物(竹だったか?)に刺して遠火であぶった焼き鳥が双璧をなす。しかし食べものの味など,食べたときの状況にも大きく左右されるわけで,何日もタンパク質なしの,ほぼ芋だけの生活が続いた後では,サゴ甲虫の幼虫(ぼくらはサゴムシと呼んでいた)が入ったサゴデンプンを葉でくるんだものを直火で焼いただけのものが滅茶苦茶に美味くて,とくにサゴムシの中からでてくる体液がクリーミーで上質の溶けたチーズみたいな美味に感じたものだが,ブッシュワラビーとかシカの肉を食べている時期だと大して美味く感じないという経験は何度もした。

だから,高野さんが絶賛している食べものの数々も,多少割り引いて考えた方が良いのかもしれないが(カチン州の竹筒料理については,高野さん自身も「一つにはその究極的な状況がそう感じさせたのだが」と書いている),それでも大変心惹かれたものが多数あった。とくに魅力的だったのは,ネパールの水牛の髄液胃袋包みカリカリ揚げ,タイの赤アリ卵の缶詰,ミャンマーの納豆バーニャカウダ,トルコのカイセリマントゥ,ペルーのペヘサポ料理といったところであった。逆に,これは食べられないかも,と感じたものも多数あったが,それすら危険な魅力を感じさせてしまう高野さんの語り口は癖になって止められないのだった。

ぼくの部屋にはハンモックがあるので,最後に書かれていたヤヘイを試してみたい気もする。きっと宇宙が見えるのだろう。


【2018年11月18日,とりあえず読了したのでメモ】


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