最終更新: May 19, 2010 (WED) 20:51
2009年は「新型」インフルエンザのパンデミックがあり,山ほど関連書が出版されたが,本書は文句なしにその中でナンバーワンである。現代に生きるすべての人が読むべき本だと思う。評者は1年生に講義をするために「新型」インフルエンザ対策の公衆衛生学的視点という資料をまとめていたときに本書に出会ったのだが,自分の資料とは比べるのもおこがましいほど,質・量ともに抜群の出来であった。
まずいきなり,「まえがき」に痺れる。夜の地球儀(欲しい!)によって地球上のヒトの営みのネットワークを想像しながらインフルエンザを考えるという導入は読者の科学的好奇心をそそりつつも,優れて詩的で美しいイメージを脳裏に浮かばせる。危機感を煽る本やウイルスそのものについての解説書やHow to本は多いのだが,これほど総合的に(いうなれば公衆衛生学に近い)立場で「インフルエンザ」という対象を捉えようとした本は,山本太郎『新型インフルエンザ 世界がふるえる日』岩波新書,ISBN 4-00-431035-0(Amazon | bk1)(ただし,山本太郎本の「新型」はH5N1高病原性鳥インフルエンザがヒトからヒトに感染する能力を備えた場合を想定している)以来で,かつ,そのパースペクティブは山本太郎本を凌駕していた。その分,厚さも山本太郎本の倍くらいあるのだが,これを正味3ヶ月で仕上げられたとは凄すぎる。
瀬名さんがサイエンスコミュニケータとして凄いのは,冒頭で発揮されている詩的表現力もさることながら,いわば構成力というか,横道に逸れそうなところや不要なディテールを捨象する力だと思う。短期間でこれだけ取材したら飽和しそうなものだが,うまく取捨選択して,すっと頭に入ってくるストーリーを作り上げていることに感心した。例えば,WHOが進藤さんとかに配っている端末がiPhoneでなくてブラックベリーだとか,最後の高山先生(群大にも非常勤講師に来ていただいている)との対話が日比谷公園を歩いて抜けた先にあるホテルのカフェで行われたとかいうディテールは臨場感を高める。それに対して,取材の過程では本に書かれたことの10倍くらいの情報量が得られたはずだけれども,省いた方が物事の筋道がわかりやすくなるようなディテールもあるので,そこはかなり大胆にばっさりと捨てていると思う(書かれなかったことについての想像だから,これが当たっているという保証はないが,たぶん当たっていると思う)。小説も『パラサイト・イブ』や『ブレイン・ヴァレー』に比べると『デカルトの密室』の方が遥かに完成度が高くなっていると思うけれども,やはり瀬名さんは天性のサイエンス・コミュニケータであって,こういう仕事での表現力と構成力は世界でもトップクラスだと思う。
本文に入ると,第1章では「二十一世紀のパンデミック」と題して,さまざまな関係者の取材から得られた生の声を積み重ねることによって,「新型」インフルエンザのパンデミックの経緯を多角的に無理なく記述する手際の鮮やかさに唸らせられた。次いで,主としてウイルス学について書かれている第2章「糖鎖ウイルス学の挑戦」では,世をときめく東大医科研の河岡義裕教授が若かりし頃,ウィスコンシンで進めていたインフルエンザウイルス研究のかなりの部分が,瀬名さんの父上である生化学者・鈴木康夫氏との共同研究として達成されたことを知った。インフルエンザウイルスの分類の謎についても歴史的な経緯の説明がきちんとなされていて,もし1980年に,それまで3つの亜型とされていたものを,(免疫沈降法で区別できないからといって)一緒くたにH1亜型としてしまわなかったなら,昨年来の「新型」はそれまでの季節性のH1N1と表記上も区別できたはずだった,ということがわかった。この点は,ぼくがこれまでに読んだ他のインフルエンザ本には書かれていなかったので,大きな収穫だった。ただ,少し気になった記述が1つ。変異したインフルエンザウイルスが出現する仕組みとして3つを取り上げ,遺伝子再集合によるもの(1)は,点突然変異によるもの(2)や宿主の抵抗性による淘汰によるもの(3)とまったく違うといった主張がされていたように思うが,むしろ,これら3つはそれぞれまったく異なるメカニズムだと言うべきではなかろうか。見方を変えれば,(1)(2)は変異型が生まれる仕組みであるのに対して,(3)は誕生した変異型が定着する仕組みなわけだから,必ずしも(1)と(2)(3)との違いを強調するのは合理的ではないだろう。
第2章後半から第3章「ディジーズ・コントロール」,第4章「時間と空間と呪縛を超える」の中では,学際的共同研究の面白さが述べられているところがいくつもある。分野は違うけれども,評者も文化人類学者や農学者と共同でフィールドワークをしており,その面白さ,学際的共同研究ならではのブレイクスルーには思い当たることも多い。ただ,同時になかなか意思疎通が難しい面があって困ることも多いが,その辺りの記述はあまりなかった。たぶん取捨選択で瀬名さんが捨てた部分なのだろう。
第4章ではリスクコミュニケーションの吉川肇子さんや空間情報科学の柴崎亮介さんら,かなり広い視野からのアプローチが紹介されているが,その中で,稲葉寿さんと西浦博さんに取材し,数理モデルについてもかなり詳しく説明されている。評者はこのお二人を直接存じ上げているが(というか,たぶん取捨選択の結果として本書には書かれていないが,西浦さんに稲葉さんにコンタクトを取るよう勧めたのは,何を隠そう評者である),感染症数理モデルについての取材ができる日本人としてはベストの選択だと思う。もちろん,本書の説明だけで数理モデルが十分にわかるわけではないのだが,基本再生産数や超過死亡についてきちんと説明されているというだけでも本書の価値は大きいと思う。とくに超過死亡については,メディアはあまり触れていなかったが,個人的にもReichert TA, Sugaya N, Fedson DS, Glezen WP, Simonsen L, Tashiro M (2001) The Japanese experience with vaccinating schoolchildren against influenza. NEJM, 344: 889-96.(原文pdf)を読まねばと思ったのが収穫だった。本書の記述から受けた印象としては,学童へのインフルエンザワクチン集団接種をしていた時期と,インフルエンザ等に起因すると思われる超過死亡が低くなっていた時期が一致しているという,時系列の集団ベース研究のように思われたが,そんなにクリアなんだろうか? 偶々時期が一致(どうやって「一致」といえるのかも,実は難しい問題だと思うが)している他の現象は無いのだろうか? と思われた。ともかく元論文を読んでみなくては何ともいえないが,素人ではないつもりの評者であっても,いろいろと刺激を受ける記述が多かった。
リスクコミュニケーションについての記述では,災害対応の3つのフェーズという話が最も重要だと思った。吉川さんたちの考えを瀬名さんがまとめた内容として,災害対応が「真理へと至る対話」「合意へと至る対話」「終わらない対話」の3つのフェーズからなること,どのフェーズでの対話をしているのかがずれていると論点がすれ違ってしまうので,常に対話のフェーズを意識しなくてはいけないこと,「終わらない対話」を止めてはいけないことが書かれていた。この話はインフルエンザに限らず,リスクコミュニケーションすべてに通じる。本書には多くの人に読んでほしいと感じるところがたくさんあるのだが,ここも間違いなくその1つだった。
第5章「想像力と勇気」も素晴らしい内容だが,とくに,最後に高山先生との対談をもってきたのが読後感を引き締めている。インフルエンザについて何か語りたい人は必読の基本文献といえる(もちろん,本書で紹介された専門家の言葉の中には疑問を感じる点もいくつかあるが,それも含めて瀬名さんの書き方がフェアなのが良い)。なお,あとがきの最後に書かれていた言葉「本書の主題であるインフルエンザ・パンデミックは,世界の問題である。よって本書も無償の活動として執筆・監修された。本書の印税の一部は取材費に充てられ,残りのすべてはインフルエンザと直接関係のない慈善事業に寄附される」は深いと思った。欲を言えばどういう慈善事業に寄附されるのかを明示してほしいところだが,プロの作家である瀬名さんが3ヶ月をかけて(それでも本書の内容の広さと深さから言ったら,よくぞ3ヶ月でここまでのものを仕上げたものだと感銘を受けるが)無償でやった活動だという点,ただ脱帽するのみである。
「はてな」で見つけた書評(千早振る日々さんと自治体職員の読書ノートさん)には概ね同感であった。何度も繰り返し書くけれども,本書は紛れもない名著なので,自信をもってお薦めする。パンデミックがほぼ終息したといっていい現在,改めて本書を読んでみることによって得られるものも,また大きいと思う。
【Flu memoから,2010年5月19日まとめと追記】