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書評:福岡伸一『プリオン説はほんとうか? タンパク質病原体をめぐるミステリー』(講談社ブルーバックス)

最終更新: March 16, 2006 (THU) 16:57 (まだ完成ではないが遅くなりすぎなのでアップロード)

書誌情報

書評

プリオン病の病原体が本当に異常型プリオンタンパク質なのかという点について,膨大な論文やデータのレビューによって検討し,「見つかりにくいウイルスが真の病原体であって,異常型プリオンタンパク質はその産物に過ぎないのかもしれない」と主張する本である。

ノーベル賞受賞者プルシナーへの批判が強すぎて,自身の主張にも論理的飛躍が間々見られるし,細かく見れば突っ込みどころも多いのだが,語り口のうまさと相俟って,とても面白い。そう,この話のうまさは特筆すべきだと思う(きっと講義もうまいのだろう)。だから,たぶん,一般の方でも楽しめると思う。嘘だと思ったら,本書を手にとって,目次より前にある「はじめに」だけでも立ち読みされると良い。少しでも科学的好奇心がある方なら,「うわっ,面白そうだな」と惹きこまれること請け合いである(もっとも,ぼくのような,すれっからしの読者は,ここで「面白そうだが注意深く批判的に読まないと危ないな」と身構えもするのだが)。それなりに説得力があるし,レビューとしての網羅具合は相当なものだが,引用文献リストがなかったのが非常に残念で,そこが本書の最大の欠点だと思った。相当にチャレンジングなレビューワークなのだから,元論文の引き方が正当なのかどうかを読者が自分で確認できるように,文献リストをつけるのは礼儀ではないか。願わくば,著者もwebサイトをお持ちなのだから,サイト上で引用文献リストを挙げていただきたい。

ともあれ,全体としてみれば,科学の営為について知るためにも,お薦めの1冊である。細かい突っ込みは後ですることにして,まず目次をあげておこう。

はじめに
第1章 プルシナーのノーベル賞受賞と狂牛病
生物学の中心原理から逸脱したプリオン説/プルシナーと狂牛病/発火点/レンダリング/オイルショック/イギリス政府の不十分な対応/イギリスの犯罪/変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の発生/拡大する変異型ヤコブ病の感染患者
第2章 プリオン病とは何か
プリオン病の正式名称は,伝達性スポンジ状脳症/致死率は一〇〇%/スクレイピー病の研究史/感染症証明までの長い道のり/病原体はいずこに/ウイルソン,目の前にあるデータが信じられない/実験マウスで進むスクレイピー研究/キンバリンとディキンソン/スローウイルス/クロイツフェルト博士とヤコブ博士/クールー病の発見/クールーとスクレイピーの符合/食人儀式とクールー病/伝達性ミンク脳症と狂牛病
第3章 プリオン説の誕生
ティクバー・アルパーの大胆な仮説/グリフィスの思考実験 プリオン説の原型/プルシナー登場 ノーベル賞への道/プリオン説/プルシナーへの反発/ストックホルムへの道/プルシナーの野望/バイオアッセイ/越えられない壁/プリオンタンパク質/窮地から誕生したプリオン説
第4章 プリオン説を強力に支持する証拠
プリオン説は謎をどのように説明するのか/プリオン説を強力に支持する証拠/唯一の明確な生化学的診断基準/GPIアンカー型タンパク質/ノックアウト実験---決定的証拠/プリオン説によるノックアウト実験の解釈/家族性ヤコブ病の存在は,プリオン説を支持している/プリオン説は家族性ヤコブ病を次のように説明する/トランスジェニックマウスの実験/プリオン説の勝利
【コラム】アタキシアの謎
第5章 プリオン説はほんとうか---その弱点
コッホの三原則の検証/第一条項は満たされる/第二条項は満たされているのか/困難極まりない病原体の濃縮・精製の試み/プルシナーの方針転換/コッホの三原則第三条項も証明されていない/異常型プリオンタンパク質と感染性/プリオン説への疑義/根拠のない弥縫策/特定部位のみ除去するだけでほんとうに安全なのか/プリオンタンパク質変性の謎/間違っていたプルシナーモデル/エネルギーはどこからくるのか/再考,トランスジェニックマウスの実験/なぜ複雑な条件の実験をするのか/問題山積の“プリオン説の最終証明”/シンプルでないプルシナーのロジック/プルシナー研究室の実験環境への疑念
【コラム】正常型プリオンタンパク質の機能
第6章 データの再検討でわかった意外な事実
カイネティックスは一致しない/電離放射線による不活性化実験の問題点/病原体粒子の推定データ/不活性化実験の再検討/スクレイピー病原体の不死身伝説への疑問
【コラム】酵母プリオン
第7章 ウイルスの存在を示唆するデータ
潜伏期の短縮現象/つじつまが合うウイルス説/スクレイピーには多数の「株」がある/種の壁/孤発性の伝達性スポンジ状脳症はどのように説明しうるか/プリオン病は本当に自然発生するのか/病原体はどのようにして移動しているのか/病原体の免疫系B細胞依存性
第8章 アンチ・プリオン説---レセプター仮説
レセプター仮説/家族性ヤコブ病はどのように説明しうるか/日本人はほんとうに狂牛病になりやすいのか/感染源はいずこに/アンチ・プリオン説は,伝達性スポンジ状脳症の謎をどのように説明しうるか/免疫反応が起こらないのはなぜか/異常型プリオンタンパク質の生成/神経細胞が死滅する理由/分子量五〇万の粒子が感染性を示す/ウイルス説を裏付ける説が次々に
【コラム】ウイリノ説
第9章 特異的ウイルス核酸を追って
ウイルス探索の試み/C型肝炎ウイルスはいかにして捉えられたか/先の見えない作業/伝達性スポンジ状脳症の特異的核酸を探す試み/シグナル-ノイズ比を上げる工夫/病原体を追い詰める/ディファレンシャル・ディスプレイ
おわりに
さくいん

では突っ込み付きで,細かい内容紹介に入ろう。まずは第1章から。プルシナーがノーベル賞を受賞したところから始まるこの章では,イギリスでオイルショックをきっかけにレンダリングが行われ,羊のスクレイピーが牛の狂牛病へと移行したのであろう,さらに狂牛病の感染牛肉を食べた人へと病原体が移行し,変異型ヤコブ病患者が多発したのであろうという,「セントラルドグマ」として現在世界で受け入れられているストーリーが,コンパクトにわかりやすくまとめられていて,あまり突っ込みどころはない。

第2章はいろいろなプリオン病の概説であり,このまとめ方もうまいと思う。ただ,小見出しにある,致死率(疫学用語でいえば致命率=case fatality rate)が100%というのは,それだけでは「治らない」ことを意味するだけだ。むしろ,どれくらいの期間で亡くなるのかが大事で,つまり観察人年当たりの死亡数としての死亡率がわからないとリスクの大きさは評価できない。あるいは,患者における超過死亡を推定する必要がある。ところが,プリオン病は有病割合がきわめて低く,かつ非常に潜伏期間が長いので,十分な観察データを集めるのが難しく,現在得られているデータからだけでは信頼区間が広くなってしまう(そもそもそういう形の疫学研究すらされていないが)。しかも,たとえ発症時点で患者を把握しても,その人たちが病原体にいつ曝露したのかを特定するのが非常に難しい。カンピロバクター食中毒が,たかだか数日の潜伏期間があるだけで曝露の把握困難と言われているのに,十年以上も潜伏期間があったら,ほぼ絶望的だろう。なお,クールーを紹介するのに,前著『もう牛を食べても安心か』ではフォア族と間違っていたのがフォレに直っているところをみると,ぼくの書評を読んでくれたのかもしれない(もちろん,他の人から指摘されたのかもしれないが)。

第3章。p.60からのティクバー・アルパーの論理は鮮やかだけれども,回帰の外挿だという統計的弱点に触れないのは手落ちだと思う。タンパク質そのものが病原体かもしれないという発想自体は,プルシナーよりずっと先にグリフィスが考えたという指摘は重要である。もし,プルシナーがScienceに1982年に発表した論文(PubMedで探したところ,Prusiner SB (1982) Novel proteinaceous infectious particles cause scrapie. Science, 216(4542): 136-44.であろう)でグリフィスの研究が引用されていなかったなら,プルシナーは不勉強なのか不誠実なのかどちらかだし,Scienceも意外にチェック体制が甘いということになる。逆に,ちゃんと引用しているのなら,著者のこの指摘には学問的には意味がなく,プルシナーは正当なレビューをしたことになる。もしそうなら違う書き方をすべきだったであろう。ここは原典に当たってみないと評価できない部分である。

なお,本書p.75-78のバイオアッセイの説明は一般論ではない。本書で説明されている手法もバイオアッセイの一つには違いないのだが,バイオアッセイはもっと意味が広い言葉である。希釈は10倍刻みに限らないし,半数発症をエンドポイントとするとも限らない。もっと言ってしまえば,直接定量できないものを,生物への効果を使って定量の代わりにすれば,すべてバイオアッセイと言える。もちろん,ここではこの病原体のバイオアッセイ法を説明しているので,論旨は間違っていないのだが,誤解しないように注意していただきたい。

第4章はプルシナー側の主張が紹介されている。あとで個別論破するために,ここではわざと淡々と紹介しているようだ。

第5章で指摘されている弱点のうち,コッホの三原則については,プルシナーのグループがPNASで「遺伝子組み換えマウスをBSE牛の脳から抽出したプリオンの注射によって感染させ発病させることに成功した」と発表したときにweb日記で紹介して「ほぼ満たされている」と書いたが,著者の見方はもう少し厳しくて,潜伏期間が長くて複雑な継代をしているうちにコンタミがあった可能性まで疑っている。そこまで疑えばなんでもアリになってしまう気もするが,その後の追試状況はどうなっているんだろうか。

第5章でもう1つ重要なのは,p.125-128で紹介されている,長崎大・片峰グループのデータである。ここで唾液腺に投与後2週間目に感染性の増大が起こり,その後も高い感染性は暫く維持されるけれども,8週を超えると感染性が低下すること,感染性が増大するときもプリオンタンパク質の量は増えないことが示されている。このデータが正しいとすれば,確かに,プリオン説よりも,著者が本書後半で主張するウイルス+レセプター仮説の方に分があるように思える(実際,著者も,このデータに何度も言及している)のだけれども,このデータがどういうジャーナルに載ったのか,あるいは私信なのかも書かれていないので,そこを確かめようがない。他のグループによって追試がされているかどうかもわからない。プルシナー研究室でのコンタミの可能性さえ疑っておきながら,片峰グループのデータだけ無批判に採用というのはどうかと思う。

第6章は,本書のなかでも,もっとも鮮やかな部分であろう。もっとも,著者のオリジナルというわけではなく,プルシナー説に批判的な米国の研究者「ローワー博士の論文」(元ネタとして読むべきと思うが,書誌情報が掲載されていないので見つけられない)をわかりやすく紹介したということのようである。プルシナーが時間軸を対数でとった図を提示して,異常型プリオンタンパク質と感染性の体内動態が一致しているように見せかけたという指摘には一理ある。変化のパタンが一致しているかどうか調べたければ,開始時点からの変化率にして,それが適合しているかどうかのカイ二乗適合度検定という手もあるので,本当にプルシナーの図だけをもって「動態パタンが一致している」と認めたのなら,Scienceのエディタやレフェリーは手抜きだと思う。もっとも,タンパク濃度と感染性の関連がリニアになっている必然性はないので,時間軸を横軸に取らないで,横軸に異常型プリオンタンパク質濃度を,縦軸に感染性をとって,経時的な変化を折れ線でつないだときに,たとえ非線形であっても相関があれば,プルシナーの主張は崩れない。せっかく数値があるなら,図6-1のように横軸を対数でなくするだけではなくて,そういう図を書いて欲しかったところだ。図6-2で,ティクバー・アルパー説打破のために,ウイルスゲノムサイズについて新しい値を使って二本鎖核酸ウイルスと一本鎖核酸ウイルスでは回帰直線の傾きが違うとして推定すると,4.5×106ラドが必要でも,一本鎖で分子量90万,二本鎖で分子量150万となるので,スクレイピー病原体は核酸をもっていてもおかしくないという論理はもっともだが,先に指摘したとおり,そもそも回帰直線を作るのに使ったウイルスのどれよりも耐えられる放射線量が高いという段階で,回帰関係の外挿となるので,直線的な関係が維持されるという根拠がなく,同じ理由で,この推定値も弱い。何か別のメカニズムで放射線耐性が高いことがあっても不思議はない。

第7章はウイルスの存在を示唆するデータということで,病態が異なる複数の株の存在とか,潜伏期の短縮が起こることから病原体が変異可能といった,いくつかの論文が紹介されている。ハンターらのNature, 1997の論文とか,アグーチらがB細胞欠損マウスでは腹腔注射では感染しないことを示した論文とかを読んでみたい(後者はFrigg R et al: Scrapie Pathogenesis in Subclinically Infected B-Cell-Deficient Mice. Journal of Virology, 73(11): 9584-8, 1999か? それとも,この論文で16.として引用されている,Klein MA et al.: A crucial role for B cells in neuroinvasive scrapie. Nature, 390: 687-690.か? どちらもAguzzi Aのグループの仕事だが)。

第8章はレセプター仮説ということで,正常型プリオンタンパク質を感染レセプターとするウイルスが伝達性スポンジ状脳症の真の病原体である,という仮説を提示している。この仮説が,正常型プリオンタンパク質をノックアウトしたマウスにこの病気が感染しない理由をうまく説明するのは,著者がいう通りだと思う。家族性ヤコブ病をウイルスへの親和性が高いレセプターの遺伝的多型とするのも,なるほどと思う。図8−2で好発年齢が65歳にピークがある釣鐘型だから遺伝子損傷が積み重なって起こるタイプの疾患でないという論理は弱いと思う。その部位の損傷の分散が他の部位より小さくて,しかも増分が大きければ,遺伝子損傷が積み重なって起こるタイプの疾患だとしても,釣鐘型になる可能性はあるだろう(ちゃんと確認してはいないが,たぶんシミュレーションも可能と思う)。そう考えると,プリオン単独犯説も図8−2とは矛盾しない。2005年9月のNatureに分子量50万の粒子が感染性を示す論文が載ったとか,2005年10月のScienceに重複感染が成立しないという論文が載ったとかいう話も,ウイルスの存在を示す補強材料として紹介しているが,それ自体がプリオン単独説と矛盾するわけではないだろう。重合したら重さ当たりの表面積は小さくなるので,大きすぎない方が感染性が強くてもおかしくない。この辺りは,元論文の著者たちは慎重に書いているはずのところで,福岡氏もフェアに「著者らは慎重な議論を行ってウイルスの存在そのものを言明してはいない」(p.216)と書いているけれども,その後の論理展開がちょっと強引すぎると思う。

第9章はC型肝炎ウイルスの粒子自体をいまだに顕微鏡で捉えることができていない例を引いて,如何にウイルス探索が大変な作業であるかを説明しつつ,福岡氏自身が開発したテクニックとか,その他の新しい試みを紹介していて面白い。この部分だけを具体的に書き綴るブログがあったら面白いだろうと思う。

以上紹介したように,著者の論旨を最大限認めても,ウイルス+レセプターの可能性もあるかもしれないなあ,というくらいであって,プリオン単独説よりもそちらの方が有力とはいえないだろう(もちろん著者もそんなことは百も承知だろうが)。ただ,このようなアンチテーゼもありうることを,ブルーバックスという形で紹介してくれていることは,科学の裾野を広げるために(あるいは科学を社会化するために)とても有益だし,その意味では,多くの人が本書を読んでくれることを願う。

【2006年3月16日記】


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