群馬大学 | 医学部 | サイトトップ | 書評

書評:鎌田 實『チェルノブイリ・フクシマ なさけないけど あきらめない』(朝日新聞出版)

最終更新:2011年8月7日

書誌情報

書評

本書は,諏訪中央病院の院長を長く務められ,チェルノブイリ原発事故で被災した子供たちへの医療支援を長年にわたって続けて来られた鎌田實さんの最新著作である。原発事故と健康・生活にかかわる著者なりの総括と思われる第1章「マルに近いサンカクを探る」,ほぼリアルタイムで著者自身が綴ってきた公式ブログ「八ヶ岳山麓日記」からのピックアップである第2章「カマタ・フクシマノート」,微妙に立場の異なる3人の専門家との対談からなる第3章「三人と意見をぶつけ合ってみる」を,詩のような前書きと(鎌田さんの強い想いが込められていて感動した),悩みながら走り続ける現在の心境を綴った後書きが挟んでいるという構成である。非常に内容豊富なので読むのに時間がかかるが,真面目に原発事故と健康について考えたい人は必読である。

鎌田さんは本当に医者らしい医者だなあと思う。佐久総合病院を作った若月さんの志を継ぐ者の一人に違いない。第1章では強烈な自己批判をしつつも,日赤に集まったお金が公平性を重視するあまりに被災地に届いていないという事実を批判し,もっとスピード感をもって被災地に直接お金が届くような使い方をすべきと主張されている。これは,現場を知っているからこそ出てくるコメントだと思う。章のタイトルは,この問題に唯一無二の正解は存在しないので,各自が「マルに近いサンカクを探る」ことが大事という主張である。これは環境問題と同じで,利害の衝突がある以上当然のことで,そうやって妥協点を探ることで問題に対処していくことには賛成する。このことが一般常識化してくれるといいと思う。その意味で,本書を多くの人に読んでほしい。

第2章はリアルタイムで書かれているので情報の重複もあり,整理された形ではないのだけれども,その分著者の熱い思いが伝わってくるし情報量が多い。本書を読むまで鎌田さんがweblogを書かれているとは知らなかった(いや,たぶん他の著書に書かれているのを読んだことはあるはずだが,ちゃんと認識していなかった)のは勿体なかった。5月末の時点で,「チェルノブイリ原発事故の10分の1くらいなどと言っていられない」「放射能汚染は広範囲に広がっている。自分のところはだいじょうぶと思わないほうがいい」「牧草や原乳の放射線量をきちんと調べ,汚染されたものは市場に出さないことを徹底すべき」と書かれているのは慧眼だが(京大の今中さんなどは3月15日時点でそういう発言をされていたが,原子力専門でない人の中では5月末時点でここまで指摘された方は少なかった),それ以上に印象に残ったのは震災当日の夜の文章だったので,勝手ながら引用させていただく。

ぼくは、反省している。

20年間、チェルノブイリ原発事故で健康被害に遭った人たちとかかわり、原発の恐ろしさをよく知っているのにもかかわらず、原発をすぐに止めろとは言わなかった。原発はもうつくらないほうがいい。そう思っていた。危険な原発から時間をかけて廃炉にしていけばいいと思っていた。ぼくは反原発でも脱原発でもなく「超原発」派。原発をのりこえるエネルギーシステムをつくること。多様な再生可能エネルギーを効率よく引き出すシステムを開発して、これを、いずれ輸出の柱にする。内向きの思想や清貧の思想や断捨離ではなく、若者の雇用を拡充するため、経済をよくするエネルギー革命を起こすべきだ。そのために原発にかけていた莫大なお金をシフトすればいいと思っていた。原発をすぐに止めろと言わなかったのは、経済が悪くなると勝手に思い込んだからだ。経済が悪くなったら、若者の雇用はもっとシビアになり、この国はめちゃめちゃになると思っていた。原発に真っ向から反対しなかった。自己批判しないといけない。そう思っている。

(出典:鎌田實『チェルノブイリ・フクシマ なさけないけど あきらめない』朝日新聞出版,2011年,pp.46)

第3章の対談の相手は,長崎大学教授で被ばく医療の専門家である山下俊一氏,1999年のJCO臨界事故の時に原子力安全委員会の委員長代理だった,原子力村のインサイダーである住田健二氏,脱原発の理論家である田中優氏という,まったく立場の違う3人であり,鎌田さん自身がこの3人の誰とも少し意見が合うところがあり,少し違うところがある,と明言されている。山下氏は,先頃,広瀬隆氏らから告発されてしまったが,原子力村からは一銭も金は受け取っていないそうだ。低線量放射線を浴びても「大丈夫だ」と言い続けるという,ある意味汚れ役をやってきたのは,チェルノブイリで活動してきた経験から,強制移住させられた人々の人生が如何に過酷だったかを知っているので,少しでも自分の家から強制的に離れさせられる人を減らしたいと思ったからだろう,と鎌田さんは推察している。もしそうならば,それは公衆衛生学的に「健康」を考える視点では一理あると思う。1986年にWHOの会議で合意されたオタワ憲章において,健康には前提条件として,平和・住居・教育・食料・収入・安定した生態系・持続可能な資源・社会正義と公平の8つが必要だとされているので,低線量の放射線によって発がん確率が上がることと,望まない転居によって住居や教育や収入などが不安定になることは,「健康」を保つ視点からは,どちらをより避けるべきか,という選択の問題になる。どちらを避けるのが正解とはいえない。病気は放射線曝露による発がんだけではないという意味で,山下氏の発言には公衆衛生学的に筋が通っている。ただ,山下教授は,傷ついた遺伝子は自己修復するから大丈夫だと言っておられるが,Mori and Nakazawa (2003)の死亡の雪崩モデルが正しければ,遺伝子損傷の起こりやすさは,それまでに蓄積した損傷量に比例する成分をもつので,次の放射線曝露があるまでに完全に修復されるのでない限り,加速度的に遺伝子損傷が増えて発がんに至る可能性はあり,その場合はワンショットで同じ量の放射線を浴びるよりも発がん確率は上がる可能性もあるはずなので,ぼくも鎌田さんと同じく,そこは山下氏には与さない。また,住田氏の発言から,自分の勘違いを知った。これまで,例えば食品行政についてリスク管理を農水省が,リスク評価とリスクコミュニケーションを食品安全委員会が担っている(少なくとも建前では)のと同じように,原発については管理を経産省下の原子力安全・保安院が,評価とコミュニケーションを内閣府の原子力安全委員会が担っているのかと思っていたが,まったく違っていて,管理推進は経産省本体,評価を経産省下の原子力安全・保安院が担っていて,原子力安全委員会は保安院をチェックするだけなのだというのだ。それではダメだから推進と規制を分離せよという提言を住田氏が2009年秋に新聞に書いたが変わらなかったということだ。田中氏が数字を挙げて,すぐに原発を停止しても,節電と自然エネルギーで対応できる,というのは,ある程度納得がいく。日本の毎年のエネルギー資源輸入額23兆円の使い方を変えればいいとか,自然エネルギー発電でのメンテナンス要員の必要性を雇用創出と結び付ける点など興味深かった。

ともあれ,原子力関係の言説は,/.JのAC書き込みにあった西日本新聞記事にあるように,国策として情宣活動(プロパガンダ)が長年行われてきたこともあって,何が正しくて何が間違っているのか,どういうフレームでなされている発言なのかがよくわからなくなっている面があり,数字と一次情報だけに基づいて一度論点を整理し直してみる必要があると思う。本書は,その意味で,かなりデータも挙げられていたので参考になったし,他のところも非常に印象深い本だった。

【以上,2011年8月7日,メモから収録し加筆修正】


リンクと引用について