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書評:白洲信哉『白洲家としきたり』(小学館101ビジュアル新書)

最終更新:2011年5月5日

書誌情報

書評

日本の四季折々の年中行事についての故事来歴を,白洲家における想い出と絡めながら鮮やかに描き出している名著だと思う。東京生まれで東京育ちの自分には欠けているタイプの教養なので,とても面白い。しかも,ぼくより1歳年下だというのに,平易でありながら格調高い文章が素晴らしい。

1つ例を挙げる。節分といえば豆まきと思うのが一般的だろうが,『白洲家としきたり』によると,平安時代に生まれた信仰として,柊の枝に焼いた鰯の頭を刺したものを玄関に飾って邪気を祓うというものもあるそうだ。焼いた鰯の頭の臭さと柊の棘で鬼の侵入を二重に防いだものだそうだ。「鰯の頭も信心から」(鰯の頭のようなつまらないものでも信仰すればありがたく見えてしまうという意味で,新興宗教にハマる人を揶揄して使うことが多いと思うが,人目を気にせず自分の信じたものを信じ続ける力を評価するときにも使われると思う)という諺もここに由来するそうだが,Googleで検索して見つけた語源由来辞典では,鰯を使い始めたのは近世以降で,平安時代は注連縄に鯔(なよし)の頭と柊を飾っていたと書かれていた。諸説あるということか。「なよし」というのがどんな魚なのか知らないが,この字はイナダとも読み,イナダはブリの若魚なので,もしかするとブリの稚魚であるワカシを「なよし」とも呼ぶのかもしれない……などと予想したのだが,同じ語源由来辞典の記述によれば,鯔という字はイナとも読み,これは全長20 cm程度のボラの若魚を指すが,その異名が「なよし」なのだそうだ。確かにブリよりもボラの稚魚の方が入手しやすそうだし臭そうだ。ちなみに『白洲家としきたり』によれば,元々は二十四節気の前日はすべて節分と呼ばれていたが,室町時代からとくに立春の前日を節分と呼ぶようになったそうで,寒さが厳しいために体調を崩しやすい季節であることから,体調を崩す元となる邪気を防ぎたいという信仰が生まれたらしい。普段,あまり気にしないのだけれども,風習の由来は,知ってみると面白いなあと思うことが多い。

本書にはこの種の教養が満載である。世界が広がるのでお薦め。

【以上,2011年5月5日,メモから収録し加筆修正】


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