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書評:髙橋秀実『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』(新潮社)

最終更新:2014年2月27日

書誌情報

書評

開成の同期会で漢文のH先生が絶賛されていたので買ってみた。H先生は(H先生に限らず,開成なら多くの先生に当てはまることだが),漢文のみならずとても深く広い見識をお持ちの方だ。その語り口とも相俟って今でも覚えているのは,学術博士を英語でphilosophy of doctorというときのphilosophyとは哲学ではなくて,物事の体系という意味で,博士とは「道を得た人」という意味なので,どんな博士であろうと,すべての学問について道理がわからなくてはいけないのだという主旨のご発言である。米国留学したときに,ポスドクと院生ではまるで扱いが違うという体験をして,このH先生のお言葉を思い出して妙に納得した覚えがある。ちなみにこの同期会は「亦樂会」というのだが,その名付け親もH先生である。まあ,元が論語の「有朋自遠方来不亦楽乎」 なので,そこは漢文の先生としての見識によるものだが,同期会にはぴったりだし,いい名前だと思う。

閑話休題。そのH先生が絶賛されるからには,相当面白い本なのだろうと期待して読み始めたが,本書はその予想を上回る面白さであった。いろいろな意味でいろいろな人に広くお薦めしたい。もっとも,本気で甲子園を目指して猛練習をこなしている野球名門校の高校球児やその指導者に読ませたら,「高校野球を舐めるんじゃねえ!」と怒られそうだが。

内容は,開成高校硬式野球部についてのルポである。きっかけは,数年前に夏の甲子園の東東京予選でベスト16まで勝ち上がったことであった。進学校として知られ,どう考えても野球エリートは集まりそうにないし,練習時間だって練習場所だってとれそうにない開成高校が,どうしてそこまで勝ち上がれたのかと疑問に思った著者が,他の企画を相談していた編集者に,ポロッとこの話をしたところ,それは面白いんじゃないかと目を付けた編集者が取材にゴーサインを出したというのである。

著者は,取材開始当初,あまりの守備の下手さとか,監督の割り切った指導方針(トレーニング・ジャーナルにも取り上げられていたくらい効率はいいが,攻撃重視の練習であるらしい。けれども,外野守備だけは捨てない方がいいと思うので,ぼくが監督だったら,グラウンドを使った全体練習の時間は,選手を3グループぐらいに分けて,ノッカーは打撃練習,守備は外野の練習となるように外野ノックをさせる。本書によると最近は以前より守備も上手くなったそうなので,やっているのかもしれない)とか,さまざまなカルチャーショックに出会い,唖然とするのだが,取材を重ねていくうちに,監督や選手たちの,ある種の前向きさに感化され,ひょっとすると開成高校が甲子園に進出する日が来てしまうのではないか? などと夢想したりする。野球経験がない人だったら,確かにひょっとして? と乗せられてしまうかもしれないくらい,心をくすぐる筆致である。開成高校野球部OBの中には,東京大学が六大学野球のリーグ戦で優勝するよりは,開成高校が甲子園に出場する方が先なのではないか? などという人がいるくらい(微妙な比較だが),周りもその気になっているようである。

もっとも,当事者である監督や選手の目標は甲子園出場ではなく,あくまで強豪校打破であるという点が面白い。夏の予選では強豪校に一度しか当たらないということはないだろうし,どさくさに紛れて大量得点で勝ててしまう確率が,強豪校との1試合当たり100分の1だとすると,2回勝てる確率は1万分の1となり,3回勝てる確率は100万分の1だから,甲子園に出られる確率は限りなく低い。だから彼らは現実的な目標として強豪校打破を掲げるわけで,これはとても理に適っている。秋の地区大会で頑張って春の甲子園の21世紀枠を狙う方が,甲子園に行くには近道だと思うけれども,それさえ目指さないのだ。高校野球では,確かに守備側が動揺すると,どんなにいいチームでも大量失点してしまうことはありうる。この夏の日米戦で,攻守にわたって大活躍していた大阪桐蔭の森捕手が,米国選手の激しいタックルを食らって吹っ飛ばされた時点で流れが変わったのもそうであった。試合の流れというものが確かにあって,どさくさに紛れて大量得点できてしまう可能性はある。

もっとも,かなり低い可能性には違いないので,普通に練習時間が取れて全体練習をするグラウンドも十分にある学校であれば,こんなに分の悪い賭けはしないだろう。開成高校が,大量失点してしまうことを前提に,送りバントなどはせずフルスイングで大量得点を狙うという戦略をとるのは,あくまで,週に1日だけ,しかも日没までしかグラウンドを使った全体練習ができないからである。土日もフルには使えない上,練習試合に当てるということなので,開成高校硬式野球部の選手たちが練習できる時間は,力の入った少年野球チームより短いくらいだ。ぼくがコーチをしていた育成会チームは,息子が6年のときは身体も小さく細い子が多く,コーチングスタッフの人数も足りず,朝練をするわけでもなかったので,エラーは当たり前というチームだったが,やはり細かいことはせずにフルスイングで,走塁も少しでも先の塁を狙うという攻撃的な戦略しかとれなかった。ピッチャーがストライクを入れられないと相手に失礼だからというのも,当時のチームでは強く意識していたことであった。そのチームでも北部大会という大会で2試合勝ってベスト16になったことはあったので,勢いに乗ってどさくさに紛れて勝つというのは,こういうチームにあっては合理的な戦略だと思う。少年野球の大会は長くても7回まで,普通は5回までだし,1時間を超えて次のイニングに入らないという時間制限があることが多いので,高校野球以上に,開成方式は合理的な戦略といえる。

しかし,しかしである。やはりそれでは,地区大会でも優勝はできないのであった。長野市大会に出てくるチームの中には,仕事を引退して時間がとれる監督が,巨大なビニールハウスを改造して雨の時や冬でも練習できるような環境を作っていた強いチームもあって,そこは土日の他に平日2日間,放課後にも練習していたので,開成高校よりも長い時間の練習ができていた。そこと試合で当たると,サードやファーストのダッシュが遅いとみると,足が速いバッターにはどんどんセーフティバントをさせてきたり,バッテリーが疲れてくる試合後半になると,すかさずダブルスチールしてきたり,実に抜け目がなく,エラーも少ないチームであることを,敵ながら感心して眺めていた。少年野球の全国大会で何度も優勝している,大阪の長曽根ストロングスというチームは,『Hit&Run』という専門誌に載っていた情報によると,月・水・金が高学年,火・木が低学年という感じで,ナイター設備もある環境で,毎日練習をしていたようである。連係プレーとかサインプレーといった細かいことを身につける(考えてから動くのでは間に合わないので,考えなくても身体が動くようにする)ためには地道な反復練習しかないし,そういう練習時間はどうしても必要なのだ。そうした強豪チームであっても,いい投手と対戦したら簡単には打てないので,細かいことができるようにしておかなくては勝ち進めないのである。

練習時間が短くても,娘が中学生の時に入っていたソフトボールチームのように経験者ばかりであれば,全体練習のときは細かいプレーの練習,それ以外は各自,という方針も可能かもしれない。しかし,開成高校硬式野球部の選手は,野球経験ゼロの生徒こそ少ないようだが,キャッチボールすらまともにできないくらいのスキルしかないらしいのである。それで細かいプレーをさせようなんて考えたら,いくら時間があっても足りないだろう。だから,青木監督の言葉では「正面衝突」するようなスイングということだが,たぶんフルスイング時のレベルスイングが安定してできることを体得させるだけでも大仕事だろう。

少年野球の場合は毎年選手が入れ替わるので,弱いチームがずっと弱いままかというとそうではなく,娘が6年生のときは,低学年の頃から一緒にやってきた剛速球エースで4番のKK君とか,好フィールディングと柔らかいバッティングを見せていたサードMK君とか,1学年下のキャッチャー兼強打者のTS君とか,抜群の運動センスをもっていてピッチャーとしても素晴らしいフィールディングを見せてくれ,ショートでもサードでも華麗な守備を見せてくれたKN君,さらにはもう1学年下の天才としかいいようがないRT君といった子供たち(彼らは中学に入ってから,リトルシニアでも活躍し,全国大会に出たりしている)が毎日のように朝練に励んでいたし,合宿練習などもやったので,守備や細かい連携や抜け目のない走塁などまで鍛えることができ,サインプレーも使って何度も大会で優勝できるようなチームになった。けれども,開成高校の場合は,そういう才能のある選手が入ってくる可能性は非常に低く,本書に書かれているように開成中学時代には軟式野球部には入らず,地元のリトルシニアチームでやっていたとかいう選手は1年に1人か2人がせいぜい,という状況であってみれば,いわゆる強豪チームになれる可能性はゼロといっていい。だから,彼らは甲子園出場なんてことは言わない。でも,強豪校に一度でも勝つということなら目標にできる。それが高校野球なのだと思う。

さて,本書には高校野球ルポというのとは別の楽しみ方もある。それは生徒の受け答えである。ぼくにも覚えがあるが,真面目に正確に答えているだけなのに,妙に世間とはずれてしまうようなのだ。著者の描写があまりにも的確なので,何度も吹き出してしまった(その部分を楽しむためだけでも,開成の卒業生は必読)。現役高校生である彼らの勉強の仕方は,練習と同じく,実に効率が良い。進学校だったらどの高校生でも参考になるかもしれないので,そういう読み筋もありだと思う(娘にも読ませてみようと思った)。

【以上,2012年11月20日記】


2014年2月24日付けの鵯記にメモしたが,弱くても勝てます ~青志先生とへっぽこ高校球児の野望~|日本テレビという4月からのドラマは,本書のドラマ化なので,制作陣には開成の生徒との受け答えの再現を期待していた。が,2月24日付けのデイリースポーツの記事によると,有村架純マネージャーということは共学設定だから,ストーリー上,開成らしさは減りそうだな。そこは少し残念。ドラマのキャストという意味では,有村さんの他にも福士蒼汰,薬師丸ひろ子というあまちゃんキャストが出演するそうなので楽しみではあるが。

なお,娘の少年野球仲間だった野球少年たちのうち,1学年下のTS君が,強打の内野手として高校野球選手名鑑というサイトに取り上げられた。我がことのように嬉しい。

【以上,2014年2月27日追記】


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